我々はなぜ脱炭素しなければならないのか?
数日前にTwitterで以下の様なアンケートをとりました。
我々はなぜ脱炭素しなければならないのか?
1. 地球・人類のため
2. 日本の責任だから
3. 日本経済のため
4. 実は脱炭素すべきではない
結果は以下のリンク先の様になりました。せひご覧になる前に一度考えてみてください。
私のTwitterフォロワーというバイアスはあるとはいえ、中々興味深い結果になったのではと思います。5000名を越える方に回答頂きました。ありがとうございました。連ツイでも書きましたが、ここにも設問の意図と講評を(加筆修正して)残して置こうと思います。
設問の「我々はなぜ脱炭素しなければならないのか?」は、Twitterアンケートの文字数や選択肢の制約、以下で述べるような最終的に私が知りたい事を考慮して、あえて曖昧な表現を取っています。
まず、「我々」としたのは、選択肢にもあるように、人類としてではなく、日本の個人や企業、政府としてというニュアンスで受け取って欲しかったからです。その3つの違いでも答えは変わり得ます。
「脱炭素」としたのは、2050年など期限をあえて明確にしないこと、脱化石燃料と必ずしもしないこと、気候変動対策ともしないこと、を意図し、国内のメディアや政策に登場する用語としての頻度が十分高いだろうと考えてそうしました。カーボンニュートラル、ネットゼロエミッション、あるいはGX(グリーントランスフォーメーション)では中身がさらにわかりにくくなると考えました。
結果的に、曖昧さを残す設問になっていますが、こうした設問は、問いの定義の厳密さよりも、パッと問題を見た時の印象から結論が先に決まり、後から理由づけがなされる人間の思考を、できる限り結果にそのまま反映させたいという狙いからです。現実の世論もそうやって決まっているのだと考えています。ただ、この解像度では自分が本当に選びたい選択肢はないと悩まれた方はすいません。
選択肢1「地球・人類のため」の「地球」と「人類」は、元々は別々にすべきものでしたが、他の選択肢を残すことを優先し、泣く泣く統合しました。ただ、最近の「気候正義」の文脈では、同じように扱われることも多い気がしています。ここで悩まれた方はすいません。せめて「地球/人類」とすればよかったかも知れません。コメント等でフォロー頂ければ幸いです。
選択肢2「日本の責任だから」は、設問の「我々」とも関係しますが、世界の過去と未来に責任ある日本として、という意味と、国際公約を守るべきという意味と、個人や企業は政府目標を達成するために努力すべき、という意味が内包されていると考えました。
選択肢3「日本経済のため」は、近年の日本の脱炭素の議論で良く強調されるポイントです。化石燃料依存を減らし、エネルギーコストを抑制する、原子力を再評価する、エネルギー安全保障を高める、グリーンビジネスでの競争力や企業価値創造を高める、などの意味を含んでいます。
選択肢4「実は脱炭素すべきではない」は、1-3と少し趣が異なりますが、「1-3に掲げられているような目的がどれか設定されていたとして、その目的設定が間違っているので、脱炭素という手段を(日本あるいは世界の我々)は取るべきではない」という意味で作ったものです。ここにも似て非なる様々な立場の人が入ると思います。温暖化自体や温暖化人為起因そのもの信じていない人や、それは受け入れていても日本として取り組んでも損するだけという方、なんか胡散臭いと思ってる方、など様々でしょう。
結果についての感想ですが、2が想像以上に少なかった、4が想像以上に多かったという印象をもちました。Twitterでの匿名回答なので、メディアや政治でのポリコレに反するような選択肢が回答されやすいという傾向はあったと思います。私個人は3がもっと多くなるよう、活動していきたいと考えています。
「温暖化対策」や「再エネ推進」、あるいは「脱原発」などと違い、「脱炭素」は新しく、曖昧さを持った用語で、それが人々の中でどの様な印象を持って理解されているのかは、これからのエネルギー・環境政策を語る上で、非常に大事なことだと思います。
とても多くの回答、コメント頂きありがとうございました。
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