「競争」より「協力」のコンセプトで
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫な体を持ち
…
岩手の偉人・宮沢賢治の代表的な詩の書き出し部分です。私は90年代前半、岩手大学に在学中、花巻市の宮沢賢治記念館やその他ゆかりの地を訪問し、いくつかの作品も読み、詩人、作家、科学者、宗教家と多彩な顔を持つ偉人に、自分なりに対面しました。
その対面の過程で、素直に吸収し、感銘できる部分と、何か受け入れられない、自分の心が抵抗する部分がありました。今でもそうです。宮沢賢治を敬愛する人たちには怒られるかもしれませんが、それを承知で、私の正直な見解を書くことから、この短い論考を始めます。
この有名な詩を印象付けている言葉は「負けず」です。宮沢賢治は、人間が、雨や風、雪や夏の暑さという物理的な気象現象に対抗して、勝つか負けるか、ということを表現しているのではありません。「負けず」とは比喩的な表現で、別の具体的な言葉に置き換えると「耐える」という意味になると思います。では何故に、宮沢賢治は、素直に「耐える」という表現ではなく、比喩的な「負けず」というフレーズを用いたのでしょうか?
「勝ち負け」というのは、人間社会の古くからの関心事です。部族や地域・国の間で、「勝ち負け」に拘る争いや「競争」は、今日まで、絶え間なく続いています。家族や小さなグループの中でも、兄弟姉妹間の競争、同僚やライバル同士の競争があり、その結果として、勝者と敗者が生まれます。18世紀末から欧米で始まった産業革命以来、世界に拡散し浸透した資本主義市場経済は、人間社会の大きな関心事である「競争」を大きな原動力として動いています。19世紀半ばの産業革命の真っ只中で、世の中に大きな衝撃を与えたダーウィンの『種の起源』は、「Struggle for life(資源に対する生存競争)」による「Survival of fittest (最適者の生き残り)」を生物進化の原理であると説明しています。ダーウィンのこの「自然淘汰説」は、その後、多様な分野で誤解されたり、濫用されたりします。例えば、「強いものが生き残る(ダーウィンが言う「適者」は、必ずしも強い者ではありません)」という帝国主義をバックアップする考えや、ファシズムの「優生思想」などです。「競争」を経済発展の原動力とし、弱肉強食の世界を生む資本主義市場経済も、ダーウィンの進化論によって、人間生態学的に強力なバックアップを受けました。
宮沢賢治が生きたのは、欧米に追いつけ、欧米を追い越せ、と日本の近代化が急速に進んだ時代でした。近代化以前の日本の封建社会からあった「勝ち負け」の価値観や風土に、産業技術と一緒に「輸入」された資本主義市場経済の「競争」を美化する思想が加わり、融合・強化された時代です。宮沢賢治は、そのような時代の流れと風潮に疑問と不安を抱き、「注文の多い料理店」などで、やわらかい文明批判もしています。そして、日本の田舎に古くから息付く、自然を受け入れ、自然と調和した素朴な生き方、考え方を唱えた人です。その彼が何故、比喩的な使い方でありますが「負けず」という競争に関わる言葉をここで使ったのか、というところに、私が素直に受け入れられない理由、心の抵抗があります。ではこれが「耐える」という率直な表現だったらどうでしょうか? 私は正直、まだ抵抗があります。必ずしも「耐える」必要はないんじゃないか、と考えてしまいます。「耐える」は、ポジティブに捉えると「謙遜」や自然への「畏敬の念」かもしれませんが、私は何か「卑屈」なものを感じてしまいます。厳しい自然とその物理現象を素直に受け入れて、やり過ごしたり、技術的な措置で緩和したり、または逆に楽しんだりする心の持ち方のほうが、我慢して耐えるより、精神衛生上も健康で、サステイナブルじゃないかと。人間は昔からそういう知恵も技術も持っています。
ダーウィンは、画期的な理論を構築して世の中に発表し、近代科学と近代社会の発展に大きなインパクトを与えました。しかし彼は、「競争」という、自然界の原則の1側面だけに焦点を当て、現代科学が明らかにしているもう1つの側面である「協力(共生)」の原則を見落とししていました。いや、正確に言うと、ダーウィンは、生物界に「自然淘汰説」では説明できない「相互依存関係」「利他的行動」「同期化」などがあることを自覚していました。彼の進化論は、マクロの世界、すなわち人間の視力で確認できる事象の観察から導き出したものです。現代科学は、ダーウィンが観れなかったミクロの世界、動植物の腸や根の細胞で観察される無数の細菌・菌類との複合的な共生関係を明らかにしてきています。動植物に病的ダメージを与える「悪玉菌」もいますが、それらの感染を防御してくれる「善玉菌」や状況に応じて善玉にも悪玉にもなる「日和菌」の割合が遥かに多いことも確認されています。
現実の自然界は、「競争」よりも「協力」のほうに遙かに大きな重きを置いて機能し、進化しています。ダーウィニズムの「競争進化」より、「共生進化」の側面が遥かに大きいことがわかってきています。競争や搾取は、自然界の一側面ですが、人間も含め、多くの生物種にとっては、生物学的にいうと不得意分野です。企業や団体、グループの運営においても、「競争」より「協力」の原則を活用したほうが、上手くいきますし、雰囲気もよくなり、サステイナブルなイノベーションも生まれやすくなります。