研修ってセルフデザインするものなんだよね。
1.前の話の続きですが。
前回、教員の免許更新制が廃止になって、新しい制度がどうなるのだろう、制度設計は難しいよね?って話をしましたが、その日に新しいガイドライン案が出てましたね。何にも考えてなくて記事を書いているので少しびっくりしました。
で、ガイドライン案については、資料がわんさかでていたので、自分の仕事が少し楽になってからここで記事にしたいと考えています。
簡単に書いているのがこの記事です。
前回の記事で、教員のキャリアデザインがないがしろにされていてみたいな話を書きましたが、この制度は本当にうまく稼働するのかなぁって思います。校長の力量と理解がカギになるのですが、そんなことほとんど求められないでしょうし。
で、いろいろと考えていたら、こんな記事を見つけました。
2.自分をセルフプロデュースする力。とそんなことを認めない体質。
この記事、本当に良記事だと思います。「学校教育を俯瞰して見る」力が必要であることは以前からおもっていましたが、記事を初めて見ました。
この記事の中に「教員のスキルアップに繋がらない学び」なんてあるのか?と書かれていますが、本当にその通りなんですよ。
日常生活に必要なこと送るわけですから、日常生活の中にヒントは隠されているはずなんです。
でもね、それを研修として認めないわけですよ。
例えば、今も制度ではある「承認研修」ってのがあるのですが、これ、図書館の研修は原則認められていません。もちろん、人事権者の校長が認められたらいいのですが、図書館で調べものしながら。。。ってのはダメなんです。その理由、サボるから。
承認研修が認められる場合って、外で公的機関や後援している機関の研修に行く場合ぐらいです。それも全額自腹。経費のはずなんですけどねぇ。法律に「研究と修養に努めなければならない」って書いているのに、経済的な負担はなし。さすが、必殺技は「各校の創意工夫で」の文科省。さすがです。
様々なことを感じて、考えて、授業に落とし込むことが大事なのであって、これなら「研修のための研修」をしないといけないってことになりかねないかなぁって思います。
それを回避するためには、自分が今どのようなことに興味があって、どのような教員像を描いているのか。さらに、管理職はどのようにその教員に育ってほしいのかって部分が大事になってくるのかと思います。
ってか、これを書いていて思いましたが、これ、管理職じゃ無理ですね。場当たり人事を繰り返している学校で、そんなスパンが必要なこと無理ですもん。地区ぐらいで人事チームみたいなのを設けてそこが研修とかを一括で引き受けていかないとって思いました。
あと、セルフプロデュース能力ですね。自分の良し悪しを客観的に把握して、自分はゼネラリストになるべきか、スペシャリストになるべきかを考えるとか、短所を縮めるのか、長所を伸ばすのかとか。
これの担保は前も言いましたけど、管理職との面談で上からの命令にならないことですね。それだったら意味がない。国会の付帯決議が何なのってなる。
こういうことをする上で一番の問題点になるのが、「自分発信の研修を認めない」っていう点だと思います。これは教育委員会が、だと思いますが。
上記の記事にもありましたが、教員って「教育界の内部からのみ学ぶ割合が極端に高すぎるように感じます。」とありましたが、これが教育のムラ意識、世間とのズレを招いているともいます。
様々な場所に打って出ないといけないのです。それが本人の研修として考えられるのであれば。だから、研修の場というか、これが必要って意識があって、それが合理的に認められるのであれば、バンバン認めたらいいんですよ。書かすもの書かせて。
ま、そんなことできないでしょうけど。