ガキの使いから垣間見える、松本さんのこだわり

 コロナ禍において【笑ってはいけない】の収録は難しいと去年つよく感じました。クオリティーを下げてまで番組を続けるのは楽しみにしてくれている方々に対して尻より心が痛いですーーとは、Twitterに記されていたダウンタウン・松本人志さんの言葉だ。

 悩んだ末の決断だったように見える。

 およそ10年以上、大晦日に放送され続けていた、ガキの使いの笑ってはいけないシリーズ。紅白歌合戦と同じくらい、年末の風物詩としての役目を果たしてきた番組の企画が、今年は休止されることになった。

 このニュースを知った時、偉そうにいえば、筆者にはそれほどの驚きはなかった。たぶん今年はやらないんじゃないかとは、ガキの使いのレギュラー放送を見ていてなんとなく感じていた。

 最近で言えば、「ハリウッドザコシショウコンテスト」、「マヂカルラブリー野田クリスタル七変化」、「息つがない部」などの放送を見て、多少の違和感を覚えた人は多かったのではないか。

 ソーシャルディスタンス、感染防止対策などがあまりなされていない映像に、まず引っかかる。まるでコロナ禍以前の放送を見ている感じなのだ。他のバラエティ番組と比較すれば、その違いは明らかになる。マスクやアクリル板など、感染防止に対する必需品を見かける頻度は、ガキの使いでは圧倒的に少なかった。裏を返せば、これこそがこの番組のこだわりだったのだと思う。

 中途半端な感染防止対策を行えば、番組や企画の面白さを存分に伝えることはできなくなる。ならば、感染防止対策は最小限にし、可能な限りかつてと変わらないスタイルで収録を行う。そうした意図が確実に伝わってくる。そしてこの番組のスタイルというのは、ほぼイコール(=)松本さんの意思と捉えることができる。

 ガキの使いという番組は、その企画や構成も兼務している松本さんが手塩にかけて育ててきた、いわば息子のようなものだ。数ある番組の中でも、松本さんの意向が最大限反映されている番組と言ってもいい。

 深夜のレギュラー放送では、感染対策もほどほどに、やりたい企画を存分に実践できたが、ゴールデンタイムに放送される「笑ってはいけない」では、それができないことがわかった。半端な対策では、番組の出来栄えに影響する。逆に感染防止対策が甘ければ、確実に世間からの追及を受ける。その狭間での葛藤が、今回の休止という決定に至るまでの間に、確実にあったものと思われる。BPO(放送倫理・番組向上機構)の青少年委員会が公表した「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー」が審議入りすることよりも、企画の中身に良くない影響が出ることの方が、番組にとってより重要だったのだと思われる。

 松本さんは相当悔しかったのではないか。メンバーの年齢的にはそろそろ厳しそうにも見えるが、可能な限りはやりたかったはずだ。視聴率やDVDの売り上げなど、休止による損失はそれなりにあるだろう。やらないよりは、やった方がいいに決まっている。それらを天秤にかけても、やらないという選択を選んだ。僕はその決断に拍手を送りたくなる。その根底にあるのは「面白さ」への追求。このままでは面白いモノを作れない。満足できないものをファンに見せるわけにはいかない。これこそが松本さんのこだわりであり、高いカリスマ性を纏う理由だと思う。

 笑ってはいけないを見られないのは確かに残念だが、ここは代わりに放送される内容に期待したい。今回の笑ってはいけないの休止により、筆者の松本さん評はさらに上昇した。今回の決定を僕はそう捉えている。

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noriaki0357
ありがとうございます