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『氷室京介』という存在

 どれだけ時間が流れても、昨日のことより明確に思い出せる日があると思う。私にはある。2016年5月23日。初めて1人で行った東京。あの日はとても暑かった。そしてその夜の東京ドームは、自分自身が音楽と向きってきた中で、最も熱かった瞬間だ。『KYOSUKE HIMURO LAST GIGS』の最終公演。氷室京介のライブ活動無期限休止前ラストライブ。私はその場にいた。はっきりと目にも記憶にも刻みつけたが、あれは本当に現実だったのかと疑ってしまうほど、夢のような空間だった。



音楽知らずのゲーム少年

 氷室京介が自分自身にどれほどの影響力を持っているか。それを語るためだけに突然私の幼少期の話になってしまうが、ご理解いただきたい。
好きで聴くアーティストは、数で言えば今もそんなに多くはない。しかし、他と比べてこれほど飛び抜けて熱い気持ちを向けるのは彼だけだ。聴き始めたきっかけはというと本当に些細なもので、当時プレイしていたゲームの主題歌を担当していたからである。

 物心ついたころから、好きなものと言ったら真っ先にテレビゲームを挙げていた。今でも付き合いのある親友達とも、ゲームきっかけで仲を深めたのが始まりだった記憶がある。お互いが所有している作品について語ることはもちろん、時には片方が全く知り得ない作品が話に出てきて発見があったりと、ゲームの話ばかりしていた。アニメの話題はよく出ても、音楽について語ることはほとんどなかった。アニソンを聴くことはあっても、それはあくまでアニメやゲームに関連しているというだけだったから、音楽自体への興味は本当になかったのだと思う。流行りのJ-POPも、テレビで聴いたことあるものを知っているくらいだった。

 思春期を少し過ぎたころ、いつの間にか兄の影響で音楽を聴くようになっていく。親友同様、ゲームやアニメの話に付き合ってくれていた兄。趣味が広がった兄は「これ、いいよ」と、名前も聞いたことがないバンド・アーティストの楽曲をあれこれ教えてくれた。その頃に出会った楽曲の中には、今でも聴き返すものも沢山ある。更には進学した学校にいた上級生の影響でギターを始めたりと、少しずつ音楽に傾倒するようにはなっていた。しかし、前よりかは音楽に興味が出てきても、「やっぱりゲームが楽しい」が正直な気持ちであり、「誰かが聴いている音楽しか知らない」というよく分からないコンプレックスが常に頭の中にあった。知っている曲だって、兄が聴いているから聴いているだけ。真正面から「好き」と言えるものではなかった。何となく音楽に囲まれているけれど、本当は別に好きじゃないのかもしれない。帰宅しても楽器の練習などせず、ギターと、そばにある1曲もまともにコピーしていないバンドスコアを横目にやりながら、罪悪感を押しつぶすようにゲーム機の電源を押すのだった。

出会い

 そんな中途半端な音楽嗜好で過ごしていたある日。セガの『龍が如く』シリーズ最新作の情報が入ってくる。このゲームは、元々親友によるプレイを見て出会った作品だ。『スーパーマリオ』や『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』ばかり遊んでいた自分自身にとって、リアル調のキャラによるバイオレンスなアクションは衝撃だった。すっかりその豪快さに惹かれ、気づけば大好きなシリーズとなり、それは今も変わらない。既発のものは遊びつくし、早く最新作が遊びたいと首を長くして待っていた頃に、このニュースを知るのだ。

 まず、名前が読めない。さすがに『こおりしつ』ではないだろうということは、学がなくても分かる。「楽しみにしているゲームの主題歌、この人が歌うみたいなんだけど、知ってる?」と母に聞いたことを、今でも覚えている。有名な人なのかもしれないという興味深さと、ほんの好奇心からの質問だった。すると母は驚いたように名を読み上げ、そこで初めて『氷室京介』という響きを耳にする。ゲームの楽曲を手掛けるなんて意外と話す母。最新作を極限まで楽しみたいと思っている自分。そんな自分自身に付き纏い続ける、自らの手で音楽を開拓したことがないという劣等感。「この人の楽曲を聴いてみるのもいいかもしれない。」、そんな好奇心が生まれた。プレイするゲームにしろ聴く音楽にしろ、背伸びをして大人ぶりたかったのだろう。こう文字に起こすとますます恥ずかしい。それでも、自発的に音楽を探し出そうという気持ちが生まれたのは、これが初めてだった。とはいえそんな気持ちが芽生えたところで、すぐに行動には移らないのが、優柔不断かつ面倒くさがりな私だ。調べたところ、かなり長いキャリアで活動している人物であることは分かり、そうなると何から聴けばいいか分からない。今となっては手当たり次第に手を伸ばせば良いと思うのだが、『聴く』ことに慣れていない当時は、ひたすら混乱していた。

 更に時間が経ち、『龍が如く』最新作もいよいよ発売間近の頃のこと。新たなトレーラーが公開された。映画でいう予告編だ。

やられた。8:32〜の『WILD ROMANCE』。このトレーラーを見た私は、趣味も嗜好も、これから先の音楽との付き合い方も、全て氷室京介に気持ちを持っていかれたのだ。運命的に運び込んでくれたとも言える。楽しみにしていたゲームの全貌がようやく明らかになった興奮もあるが、そんなゲーム内容と張り合うほど引き込まれる音楽があるという衝撃。音楽のことなどどのようなジャンルが存在するかも知らないが、こんなにも一発で惹かれる楽曲があるとは。
 
 この曲を聴きたい。ゲーム音楽ばかり同期し、宝の持ち腐れだったiPod nanoに入れて、いつでも聴けるようにしたい。収録されているCDを探して、レンタルしに行ったことを、はっきり覚えている。そして私が初めて触れた氷室京介の作品。2008年リリースのベストアルバム、『20th Anniversary ALL SINGLES COMPLETE BEST JUST MOVIN' ON 〜ALL THE-S-HIT〜』である。

とにかく聴きまくった。真っ先に『WILD ROMANCE』を再生して、何度も何度もリピート。その欲求は益々高まり、他の楽曲にも自然と耳を傾けていく。『SUMMER GAME』に『NATIVE STRANGER』、『SLEEPLESS NIGHT』とどんどん手を伸ばし、後になって分かるが、馴染んだ曲はライブでも定番のアッパーチューンばかりだった。ただただかっこいい。純粋なその気持ちで、イヤホンを外したくなかった。
 また、アニメにしろゲームにしろ、アップテンポな曲しか聴いていなかった自分。そのため比較的落ち着いた曲調の楽曲はほぼ聴いたことがなく、ますますき合い方が分からなかった。しかし、ここでも『龍が如く』に使われるという理由から、ゲーム内の挿入曲とは異なるオリジナルバージョンの『魂を抱いてくれ』を聴き、感銘を受ける。ストリングスをバックに放たれるあのメロディーと歌声は、「テンポが早い曲こそかっこいい」という固定観念をこれでもかというほど打ち砕いたのだ。

本作を繰り返し聴き込み、とにかく氷室京介を知りたい一心で、次々と他のCDに手が伸びていく。オリジナルアルバム、ベストアルバムなんて言葉は聞いたことがなかったので、何も調べずにレンタルしてきて、曲が被りまくったのも今となっては良い思い出だ。

その流れで軽音楽部に入学し、バンド活動に明け暮れる日々。音楽に夢中になることと並行して、もっともっと氷室京介を知りたくて仕方がない。上にも書いたように、一応ギターを始めてはいたものの、この頃はバンドというものがどのような存在かはよく分かっていなかったと思う。このあたりでようやく、BOØWYを聴き始める。氷室京介も昔はソロのアーティストじゃなかったのかと不思議に思ったのが第一印象だった。その後の衝撃たるや。バラエティ番組で耳にしたことがあった『スリル』、まさかそれを生み出した布袋寅泰と共に活動していたとは当然知らず、『MARIONETTE』はどこかで聴いたことがある楽曲だったが、アイドルか何かの楽曲かと勝手に勘違いしていた。BOØWYに関しても入り口となったのはベストアルバムで、最初に聴いたのは1998年発売の『THIS BOØWY』。

1曲目の『DREAMIN'』が流れた瞬間、思いっきりぶん殴られたような感覚に陥った。ビートに乗せた氷室京介の歌声にのめり込んでいた私にとって、解散してちょうど25年経っていることに、古臭さなど一切感じられなかった。この楽曲の作詞曲に氷室京介の名はクレジットされていないが、私の中でBOØWYは、『DREAMIN'』から始まったのだ。
 こうしてBOØWYを聴くか氷室京介を聴くかの日々が始まる。時には4人での洗練されたバンドサウンドに酔いしれ、時には氷室京介流のソロライブでのセルフカバーに心を奪われる。ただただ彼に飲み込まれていくばかりだった。

余談ではあるが、BOØWYについての気持ちも『note』に吐露している。比較することは無粋だが、こちらも貼っておく。

このようにして、ようやく心から『好き』と言える音楽と出会えたのだが、ライブに行くという気がなかなか起きなかった。BOØWYもソロも、ライブ作品は金銭の許す限り手を出していても、その空間に自分自身がいるということがイメージできなかったのだ。それに、「ライブというものはもっと聴き込んでから行くべき」と、誰かに言われたわけでもないのに前提条件を課していた。

そして、これが良くなかった。

突然の卒業

 2014年7月13日(日)。冒頭同様、忘れられない日。でも、その感情はまるで違う。山口県でのライブのMCで、彼は決意を露わにする。

「翌週のツアー最終日をもって、氷室京介を卒業する。」

SNSに流れてきたライブ後のファンによるツイートを見て、悪質すぎるデマだなと強がりながらも、手は震えが止まらない。よく眠れないまま、翌朝の月曜日は放心状態で自転車に乗って登校した。

 この時氷室京介は、25周年記念のベストアルバムを引っさげてツアー真っ最中。全国を回る怒涛の50公演は、私の住む都道府県にも来たというのに、それを上のふざけた理由で見送ってしまったのである。

以前、「推しは推せる時に推せ」なんて言葉を聞いたのだが、この時の体験を思い出さずにはいられなかった。胸を張って「好き」と言えるキャラクター・人物がいつか姿を消してしまうかもしれない。それが明日くる可能性は、決してゼロではない。次元に限らず、自分自身の目に姿を、耳に音を届けてくれることは、この上なく奇跡なのである。

発端であるMCは、映像や音声が残っていない。ファンの又聞きばかりで広がっていってしまったためか、ネット上では情報が錯綜することとなり、公式サイドも詳細な声明をアナウンスする事態となる。あの日から数日経っても、現実が飲み込めない。予約していたシングル『ONE LIFE』をフラゲ日にCDショップへ受取に行き、「これが最後の作品になるのか?」という根拠のない恐怖を胸にしながら、この作品も繰り返し聴き返した。そうでもしないと、どうにかなりそうだったから。

 山口でのライブから1週間後。いよいよ横浜スタジアムでのツアーファイナルを迎える。現地にいるわけでもないのに、ソワソワして仕方がない。野外ライブということもあり、音漏れを聴きに行ったファンも大勢いたのであろう。掲示板やSNSを覗いて、他のファンの心境に目を通して気持ちを落ち着かせようと必死だった。そしてライブ開演直後、気持ちは一気に救われた。

「ゴチャゴチャ考えてんじゃねぇぞ騒ごうぜ!!」

ステージに登場するなり氷室京介は、気が気でない雰囲気のファンへこう叫ぶ。上のダイジェスト映像の再生直後にそのシーンが使われている。

「騒ごうぜ」

バンド時代から客への煽りに使っている聴き慣れた言葉。長いキャリアに終止符を打つことを宣言したある種の異常事態の中、これまでと変わらないテンションで氷室京介は圧巻のパフォーマンスを届けに来た。そこに湿っぽさのようなものは全くない。この一言目で救われたファンが、きっといることだろう。他ならない、私がその1人だ。

 そして私の気持ちは、ほぼ完全に勢いを取り戻す。正真正銘のラストライブを開催することが、終演間際に本人の口から告げられたのだ。

この横浜でのライブも非常に中身の濃い内容で、これだけで1本語りたくなってしまう。あらゆることを省くと、予期せぬトラブルによりライブが完全なものでないまま終演することになった。来場のファン、スタッフの皆さん、そして何より氷室京介本人が悔しい思いをした中でのリベンジ決定。

 これが最初で最後のチャンス。次こそ、絶対に行く。そう決意を固めて、告知を待ち続けた。

LAST GIGS

 1年半近く待ち、ついに最後のツアーが決定する。初のドームツアー、『KYOSUKE HIMURO LAST GIGS』。ソロでもバンドでも、映像で何度も見た東京ドームで氷室京介を見たい。その一心だった。まだ学生だったこともあり、金銭的にも行けるのは1日だけ。それならばと、抽選は本当の意味での最終日を希望して応募。真の意味での集大成をこの目に焼き付けたい。何とか入会できたファンクラブ先行によって奇跡的に当選し、本当に嬉しい時は声も出せなくなるのかとこのとき知った。

 そして迎える冒頭の日、2016年5月23日。前日の朝にバスで出発し、上京したての親友の家に泊まらせてもらったことも良い思い出だ。初めて1人で足を踏み入れた東京。ライブ映像で何度も目にした東京ドーム。そこで氷室京介のパフォーマンスを見られる。その事実が、たまらなく嬉しい。繰り返すが、この目で見られるのはこれが最初で最後。当日を迎えたら、興奮より寂しさが勝ってしまうのではないかという不安もあったが、完全な興奮状態だった。

 いよいよ入場。広い。屋内にしてはあまりに開放的だが、かつては『BIG EGG』の愛称で親しまれていた白い屋根が全体をしっかりと覆っているため、決して屋外ではない。その地に足を踏み入れると、何とも不思議な空間だ。屋内と屋外の狭間にいるみたいだ。そして見渡す限りの人、人、人。私はというと、アリーナのほぼ前方が座席だった。最終日に当選しただけでなく、アリーナかつ前から数えて2ブロック目の最前列。もはや、生きていく上での運は全て使い切ったと確信する。だが、これから先の不安や恐怖など一切ない。

 5万人の待ち切れなさが頂点に達して会場が暗転。大音量のオープニング映像を遮るほどの大歓声。その一部に、当然の私の声も混ざっている。ソロデビューから歴代のライブをまとめたヒストリー映像がスタートし、本当に、本当に始まる。胸の高鳴りは落ち着くことを知らず、ライブの振り返りは、いよいよ2年前の25周年記念ツアーへ。やがて映像が早回しで繰り返され、観客のボルテージはますますヒートアップ。そして映像に今回のツアータイトルが表示されると同時に、彼は、来た。

「Hello, 東京ドーム!! 最後の夜だぜ騒ごうぜ!!」

もう、興奮でどうにかなりそうだった。氷室京介が目の前にいる。テレビやスマホの向こうではない。この空間、この東京ドームで、ライブが始まったのだ。

そしてぶつけられる渾身の『DREAMIN'』。頭の中は真っ白だ。とにかく声を出し、腕を振って、自分自身の感情を一心不乱に開放する。今回のツアーが、ソロだけでなくバンド時代も含めた総決算になることは知っていたが、初めて生で聴く氷室京介の歌声が、まさかこの曲になるなんて。

とにかく集大成のセットリスト。出会いのきっかけとなった『WILD ROMANCE』も、クライマックスに演奏してくれた。演奏されなかった曲に対しての物足りなさなど、微塵も感じられない。それほどまでに、トリプルアンコールまでの全35曲は、非の打ち所がない構成だった。

途中のMCも語らずにはいられない。最後のステージだからといって、しんみりと心境を打ち明けるようなことは一切なく、朗らかに冗談を交えながら様々なエピソードを口にする。その中で交えられた今後の展望。

「60になったら、アルバムでも出すかな」

この時の歓声といえば凄かった。いや、この日の盛り上がりは確かに終始最高潮だったのだが、新譜を待ち望んでいる5万人のファンが一斉に声を上げて喜び、私も手が赤くなるほど拍手していた。軽いトーンでの言動に思いの外のリアクションだったのか、半ば呆れながら照れ笑いしている彼の様子が、微笑しかった。

1曲1曲について記すわけにもいかないので、ここはもう何も考えず最後の曲について書く。35年のキャリアにおけるライブを締めくくった曲は、BOØWYの代表曲の1つである『B•BLUE』。

注目すべきはサビのラスト。35曲目を飾ったこの曲では、原曲以上のシャウトをワンコーラス目とラストのサビにファンへ向けて放った。音源化は当然されているが、この歌声を生で聴けたことを、何よりも誇りに思う。


おわりに

 特別な日に、氷室京介について書き綴りたい。そう思ってこの『note』を作成した。正直、まだまだ話したいことが沢山ある。だが、もはや収拾がつかないのでこのあたりで手を止める。

些細なきっかけで、素敵な出会いが生まれること。当たり前と思っていることに、突然終わりが来ること。音楽というものが、自分を熱狂させるものであること。全て氷室京介が教えてくれた。氷室京介を知って、音楽が心から好きになった。家族や親友と、数え切れないほど音楽の話をした。好きなアーティストも増えた。それでもやはり、私は氷室京介が好きだ。私の全てを変えてくれた存在だから。



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