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かつて"サッポロバレー"と呼ばれた街が、再びスタートアップシティになるために。

はじめに

今年の4月に渋谷から札幌へ移住し、北海道の成長産業支援をテーマに活動している大久保と申します。
ちょうどいま札幌のスタートアップシーンが盛り上がり始めています。きっかけは昨年の10月に札幌市が『Startup City Sapporo』というイノベーションプロジェクトの開始を宣言したこと。今年の7月には内閣府のスタートアップ・エコシステム推進拠点都市にも選定され、これからさらに力を入れていくようです。

札幌はかつて、IT産業の最先端と呼ばれるほどのエリアでした。”サッポロバレー"って聞いたことありますかね?
私はこの『Startup City Sapporo』プロジェクトにも携わっているのですが、札幌の皆さんはこの”サッポロバレー”の存在は知っているようで、このプロジェクトを通じて「サッポロバレーの再来」を期待している方は多いようです。

ただ、その中でどこからともなく聞こえてくる質問があります。
それは、サッポロバレーという先行的な取り組みがあり、一定の成果を残した企業も存在したにも関わらず、なぜ札幌にはスタートアップの文化が根付かなかったのか?
というものです。
事実、東京はもちろん、福岡や神戸などの地方都市と比べても、札幌のスタートアップシーンは元気がないと言われることは多いですし、私自身そう感じる事も多いです。

札幌でスタートアップ関連事業に携わっている方でも、この質問にクリアに答えられる方は少ない印象ですが、ここ数ヶ月で道内のキーマンの方々にお話を聞き、自分なりの仮説が掴めてきたので、今回noteに纏めてみる事にしました。
あくまで現時点での考えに過ぎませんが、地方でスタートアップ・ベンチャー事業の推進に携わる人たちにとって考えるきっかけになれば良いなと思っています。

Who are you?

本編に入る前に、先に私が何者なのか?について簡単に触れておこうと思います。
1985年北海道帯広市生まれ。慶應義塾大学進学を機に上京し、在学中に当時笹塚にあったディー・エヌ・エーで長期インターンをしたことでIT・ベンチャーに興味を持ちます。新卒ではソフトバンクモバイル株式会社(現ソフトバンク株式会社)に入社し、新規事業推進を専門に行う部署で多くの新商品企画・新規事業プロジェクトの推進に携わりました。
その後、2015年に動画制作スタートアップのCrevo株式会社へ入社。ここでは組織のNo.2として社員数が一桁から数十名に拡大する過程での組織作りや、財務責任者として3億円超のエクイティ資金調達を行うなど、スタートアップ経営の仕事に邁進しました。
そして、2020年4月に株式会社POLAR SHORTCUTを創業し、北海道の成長産業支援をテーマに様々な取り組みを行っています。

サッポロバレー、伝説のベンチャーとその終焉

いよいよ本編に入っていきたいと思います。
※多くの方の名前を記載しておりますが敬称は略とさせて頂きます。

サッポロバレーは、1976年に北大マイコン(マイクロコンピュータ)研究会の設立から始まったと言われます。このマイコン研究会から、後に起業しIT関連ベンチャー企業経営者となる学生たちが巣立っていきました。
また、そうした若いベンチャー企業を行政が後押ししました。1980年代には札幌市厚別区に札幌テクノパークが開発・整備され、札幌駅北口~北大のエリアにも多くのIT関連企業が誕生しました。
その中でも、サッポロバレーの代名詞とも言える企業が、伝説のITベンチャー企業”ハドソン”です。

ハドソンは1983年発売のファミリーコンピュータ(ファミコン)向けのBASIC言語「ファミリーベーシック」を任天堂と共同開発。これを機に、任天堂初のサードパーティとしてファミコン用ゲームソフト開発に乗り出します。私たちの世代には懐かしいタイトルである「桃太郎電鉄」や「ボンバーマン」などのヒットシリーズや、国内のプロゲーマーの先駆者的存在である高橋名人によるメディアミックスを仕掛けた企業としても知られます。

ゲームソフトメーカーとしての印象が強いハドソンですが、当時はパソコンソフト開発でも高い技術力を誇っていました。
1981年当時、既に日本を代表するパソコンソフトメーカーの一つだったハドソン。その創業者である工藤兄弟の下に、米国の大学を卒業後、起業してわずか1年足らずの24歳の若者が訪ねてきます。
彼の要求は、既に全国的な流通網を確保していたハドソンのソフトに対し「全ての取引先との関係を打ち切り、独占契約で流通させてくれ」という、およそ正気ではないものでした。結局、工藤兄弟はその若者の熱意に賭け、良好な関係にあった全ての取引先との関係を打ち切り、そのベンチャー企業と独占契約を結んだそうです。

その24歳の若者の名は孫正義。ハドソンと独占契約を結んだソフトバンクというベンチャー企業は、これを契機に日本のインターネットの歴史の中で大きな躍進を遂げていくことになります。ソフトバンクには、ゴールデンウイーク期間に「恩人感謝の日」という休日が設けてられていますが、ハドソンの工藤兄弟は黎明期の「恩人」の一人とされています。
これらのエピソードからも分かるように、ハドソン、そして発祥の地であるサッポロバレーは、日本のIT産業の歴史に確かな存在感を残しています。

伝説のベンチャー”ハドソン”が全盛を誇った1980年代は、札幌がIT産業の旗手として沸いた時代でした。しかし、サッポロバレーは90年代半ばに終焉を迎えます。
バブル崩壊、そして北海道拓殖銀行の破綻。北海道経済は90年代半ばに大きく冷え込み、ベンチャービジネスに資金が流れなくなりました。札幌のIT産業はベンチャービジネスとして事業を作り出すのでなく、大手企業の下請けのような形での受託産業が主流になっていきます。
他の道内産業と同様に、北海道経済の低迷の流れの中で、札幌のベンチャービジネス創出の文化は次第に薄れていくことになります。

余談ですが、サッポロバレーが終焉を迎えた90年代半ばに創業され、スタートアップ冬の時代でありながら世界的なコンテンツを開発した札幌のベンチャーがあります。ボーカロイド”初音ミク”を生み出したクリプトン・フューチャー・メディアです。
クリプトンは1995年に創業、2007年に”初音ミク”をリリース、現在もNoMapsという北海道版SXSWのようなクリエイティブイベントを主催するなど、サッポロバレーの時代から現在に至るまでを繋ぐ、偉大な企業です。

対照的に、現在に至るまで輝き続ける渋谷のビットバレー

90年代半ばにサッポロバレーが終焉を迎える一方で、輝きを見せ始めたのが、東京・渋谷を中心とする”ビットバレー”です。
ビットバレーの代表格でもあるサイバーエージェントの藤田晋を筆頭に、楽天やGMOなど現在まで続くインターネットグループが誕生しました。
当時のビットバレーに関しては色々な文献が世の中に存在するので詳細は割愛するとして、ここからは「なぜビットバレー以来、東京のスタートアップ・エコシステムは現在に至るまで、継続して”良い感じ”に回っているのか」を考察していきたいと思います。

エコシステムには多くのステイクホルダーが関わるため、当然その理由は複雑怪奇ではあるのですが、私は「ビットバレーの時代から、その後の76世代を経て現在に至るまで、途絶える事なく多くの起業家を輩出し続けたこと。スタートアップコミュニティとしての起業家の世代間継承がなされてきたこと」に起因する部分が大きいのではないかと思っています。

先日読んだ「僕は君の熱に投資しよう(ダイヤモンド社、佐俣アンリ著)」にも、”場所の重要性”という文脈で語られていましたが、物理的・心理的に近いコミュニティにおいて、目標となる少し上の世代のシリアルアントレプレナーや、切磋琢磨できる同世代の起業家が近い距離に存在し、そのうちのいくつかが自分たちよりも先のフェイズに順調に進んでいくことで「事業がグロースするのが当たり前」「資金調達できるのが当たり前」という空気感が醸成されていきます。上述の著書ではイーストベンチャーズの六本木シェアオフィスにて、フリークアウトが先行者としての役割を果たし、同居していた企業が次々と成長していく他、その当時のインターンからも、後にBASEやMERYの創業者が生まれたという話が記されていました。

具体的に各世代の起業家をバイネームで見ていくと非常にイメージが付きやすいので、少し列挙してみます。(実際にはもっと多くの起業家がおりますが、各世代で著名な方を抜粋しています。)
まず、ビットバレー世代の代表格はサイバーエージェントの藤田晋が1973年生まれ、同世代には堀江貴文(1972年生)、川邊健太郎(1974年生、現ZホールディングスCEO)といった大御所がいます。
その少し後には”76世代”と呼ばれる世代があり、ミクシィの笠原健治、グリーの田中良和、2ちゃんねる創設者の西村博之など2000年代から活躍している起業家に加え、近年ではマネーフォワードの辻庸介、Sansanの寺田親弘などがいずれも76年生まれ、1年違いますが、77年生まれのメルカリの山田進太郎などがいます。
さらにその後には、例えばfreeeの佐々木大輔(1980年生)、ユーザベースの梅田優祐(1981年生)、ランサーズの秋好陽介(1981年生)、ラクスルの松本恭攝(1984年生)、メドレーの瀧口浩平(1984年生)など、80年代生まれの世代にも既にマザーズに上場しているような会社のCEOがたくさんおり、世代が途切れることなく起業家の系譜が続いていきます。

さらにもう一つ下の世代にはグノシー・LayerXの福島良典(1988年生)、BASEの鶴岡裕太(1989年生)、クラシルの堀江裕介(1992年生)などがおり、これから創業する20代前半〜中盤の起業家(1995年生まれ以降)からしてみると、より自分たちに近い世代のグノシーやBASE、クラシルが目指すべきロールモデルになるのだろうなと感じています。
東京のスタートアップ・エコシステムが(地方と比べて)凄いなと思うのは、これから創業するどの世代にとっても、目標とすべきロールモデルがあり、さらに切磋琢磨する同世代の起業家が存在することです。これは、ビットバレー以降、世代が途絶える事なく多くの起業家を輩出し続けたからこその厚みです。

札幌がスタートアップシティを目指すために必要なこと

では札幌の現在のスタートアップシーンがどうなのかと言うと、まだまだスタートアップの創出が順調にいっている状態ではありません。その理由として挙げられるのはまさに上述の「身近なロールモデルが存在しない」というものです。起業以前に、スタートアップの数が無いので、スタートアップで働くこと自体が非常に珍しいというのが現在の状況です。

また、札幌で有名なベンチャー起業家と言えば、インフィニットループの松井健太郎(1977年生)、ファームノートの小林晋也(1979年生)エコモットの入澤拓也(1980年生)といった方々なのですが、世代としては70年代後半生まれで、20代前半〜30歳くらいの起業家から見ると、大御所感が強く、なかなか気軽に相談ができるような距離感ではありません。(北海道のスタートアップ業界自体が非常に狭いこともあり、実際には皆さん、かなりフランクかつ親身に接してくださるのですが)

要するに、サッポロバレー以来、札幌のスタートアップ・エコシステムが抱え続けている問題は「起業家の世代間継承がなされて来なかった(一部の世代にしか有力な起業家がいない)こと」であり、特に今後に大きく影響してきそうなのは、東京のスタートアップ・コミュニティでは、エコシステムの中心となっている35歳前後の世代の有力な起業家が、札幌にはいないことです。
その世代の起業家・スタートアップが存在しないため、それに連なるCXOや現場のマネージャークラスといったコア人材もかなり枯渇しています。

ではこれから、札幌がスタートアップ・シティを目指していくために、何をすべきなのか?
そこにウルトラQ的な解はありません。答えは「長い時間をかけて、起業家の世代間継承の流れを作っていくこと」です。それはサッポロバレーがハドソンという偉大なITベンチャーを生み出しながらも、なし得なかったことです。

最近、私はU-25世代の支援を強化していきたいという話を周りにしていますが、それは上述の考えに基づくものです。

現在の大学生〜若手社会人(20代前半)が、積極的に学生起業やスタートアップ就職の道を選ぶようになれば、まずはU-25の世代で札幌のスタートアップ・コミュニティが厚みを増していく。そして、その中からいくつかの企業が東京のスタートアップに負けないような成長を実現した時、それが札幌のスタートアップ・コミュニティにとってのロールモデルになります。
10年後、2030年を迎えて、20代前半の若者が起業をしようと思った時に、30歳前後のロールモデルがいる。社会人生活を経て、30歳前後で起業を志した時に、同世代の起業家がたくさんいる。
そういった環境が実現できた時、札幌は再びスタートアップ・シティとして輝きを見せられるのではないかと思っています。

それでも今、札幌がアツい理由

ここまでの話を読んで「なんだ、札幌で今スタートアップする理由無いな」と思った方もいるかもしれません。
ですが冒頭に記載した通り、札幌のスタートアップシーンは、サッポロバレーが終焉を迎えた90年代半ば以来、四半世紀ぶりに盛り上がりを見せています。その理由は大きく3つあります。

1つ目は、昨年の10月に札幌市が『Startup City Sapporo』というイノベーションプロジェクトの開始を宣言したこと。そして、今年の7月に内閣府のスタートアップ・エコシステム推進拠点都市に選定されたことです。まさにいま、行政、大学、経済団体など、札幌の主要な組織がスタートアップ・ベンチャービジネスを全面的に支援しようとしてくれています。

2つ目は、デジタルガレージと北海道新聞社の合弁企業であるD2Garageという企業の存在です。
D2Garageは、2018年に設立され、国内のスタートアップアクセラレータープログラムの先駆けであるOpen Network lab(オンラボ)の北海道版を主催しています。オンラボ北海道は今年で3期目、近年の札幌にスタートアップという文化の種まきを行なっています。
今年の6月には、SAPPORO Incubation Hub DRIVEというコワーキング・オフィスを開設し、ここを拠点に様々なプロジェクトが動き始めています。

3つ目の理由は、北海道内の地元大手企業の経営陣が世代交代を始めていることです。
サツドラホールディングスや石屋製菓など、昭和→平成を長く支えてきた先代から40歳前後の新しい価値観を持った若手社長へと次々とバトンが渡され始めています。彼らは新しい働き方やIT・WEBを活用したサービス展開など、今までとは違う新しい取り組みに積極的です。この流れは今後もしばらく続いていくでしょう。

まさにいま札幌は、行政が支援を強め、地元の大手企業が新しい取り組みを模索し始め、スタートアップの文化が根付き始めている、面白いフェイズなんです。

最後に

私は前述の『Startup City Sapporo』プロジェクトを始め、北海道のスタートアップ支援の様々な取り組みをこれから進めていこうと思っています。東京にいる方でも、札幌にいる方でも、何か一緒に取り組みができそうな方は常に募集していますので、興味があるという方がいれば、ぜひご連絡をください!

ご連絡はTwitter(@OkbNori)のDMなどで受付しております。

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