笑いとの出会い
私が最初に笑いに触れたのはいつだろうか。自我が目覚め始めた保育園児の頃か。
やはり最初は下ネタである。ウンコに笑いチンコに笑った。自ら下半身を振り乱し笑いをとった事もあった。そして廊下に1人、下半身を出させられまま立たされ恥ずかしい思いをした事があった。
みんながお遊戯をしている最中、その輪に入る事を許されず下半身をさらけ出した私は惨めではあったが、笑っていたくせに助けてくれない友達に対し憤りを感じていた。
しかし、今はその罰を与えた先生には感謝している。なぜなら私はその後の人生で露出狂にならずにすんでいるからだ。
小学生になると8時だよ全員集合が大ブームとなった。だが、私の父は真面目な性格で基本的にNHKしか観ない人だった。テレビが1台。選択権は無く、放送日の翌日は学校で友達の話題についていけなかった。ウソをついて話を合わせた事もあった。
中学生になるとダウンタウンさんが突如現れた。西日本放送でガキの使いを録画し、何度も見返した。新しい笑いに興奮しヨダレを滴しながら笑った。母に心配された事もあった。文字通り。
ガキの使い100回記念の放送日。父のVHSレコーダーで録画予約したものの台風の影響で画像が乱れ放送を見逃した事があった。
当時、お笑い好きの親友がいて録画したビデオテープを貸す約束をしていたが果たせなかった事を今でも後悔している。ケーブルテレビを契約していないと西日本放送も観れない時代だった。高知の田舎での話だ。
その頃、吉田戦車先生の「伝染るんです」やさくらももこ先生の「もものかんづめ」にも出会った。「もものかんづめ」で文章で初めて腹を抱えて笑った。「伝染るんです」はその親友に貸したら本当に伝染病のように彼もハマった。
しかし、その彼はもういない。20代で仕事中に不慮の事故で亡くなったのだ。家族があり真面目に働いていた彼の死は不条理だ。
今はお笑いファンにとっていい時代だと思う。SNSやYouTubeライブなどで本物の芸人さんとコミュニケーションが取れる事もあるし、台風で放送を見逃す事もない。
SNSを通じて好きな芸人さんのファン同士がコミュニケーションを取れたりもする。私が初めて笑いに触れた時代では考えられない事だ。
結局、この歳になっても好きな笑いの好みは変わらないと思う。もし親友が今も生きていて、お笑いの話をするなら中山功太さんを奨めるんだろうな。