『いわき時空散走フェスティバル23』大野・玉山ツアー
『いわき時空散走フェスティバル23』最終日となる、11月26日は、大野・玉山エリアを巡りました。今回の大野・玉山ツアーを一緒に巡ってくれた”いわき時空散走サポーター”は、松本恵美子さんです!
松本さんは大野出身で、大野を自転車で巡りたい!という熱い思いからプロジェクトが動き出し、ついに今回ツアーが開催されました!閉じていく”大野”に対しての松本さんの思いと、松本さん自身が見てきた今はなき景色をツアーを通して伝え、残していきます。
まずは、四ツ倉駅に集合し、自己紹介と企画説明から始まりました!
この日のツアーの参加者は、松本さんの友人や大野出身の若者、また遥々奈良県から参加してくれた学生もいました!
大野・玉山に深く関わりのある方々も、初めての方たちもごちゃまぜでツアーが始まります!
まずは、四ツ倉駅にある『じゃんがら念仏踊り』の記念パネルの前へ!じゃんがら発祥の説の一つに、祐天上人がじゃんがら念仏踊りを広めたという説があり、四倉の上仁井田地区に祐天上人の生家があることから、このパネルが設置されているとのことでした。
ツアーでは祐天上人が描かれた資料を松本さんが見せてくれたのですが、口から喉に刀を突きさしてる絵などがあり、参加者の方々は「なにこれ!?」と驚いていました!
元々、祐天上人は記憶力が弱く、どうにかしたいと思い成田山で山籠もりをしていました。その時不動明王が現れ、祐天上人に長い剣と、短い剣どっちがいいか尋ねます。祐天上人は長い剣を選び、口から突き刺したという話があるそうです…!!
ー 四倉の海側ではなく、山側へ
そしてここから、海側ではなく、歩道橋を自転車を押して反対側へ渡り、四倉町の山側へ向かって走っていきます!四倉も広いので、同じ町でも駅の反対側に行くだけでまちの雰囲気がガラッと変わります。
反対側の駅前は、広大な空き地になっているのですが、そこは元々『住友セメント』の工場地帯だったそうです。1986年に工場は閉鎖されましたが、松本さんは工場があった時の景色はよく覚えているとのことでした。
現在は、再開発エリアになっており、何が建つのかはまだ不明ですが、地元の方によるとコミュニティーセンターや中学校が建つんじゃないかと噂があるそうです。まだ検討中なのであれば、ここにサッカースタジアムを作るのはどうか?と歩道橋からまちを眺めながらみんなで話して盛り上がりました!
駅前であり、四ツ倉駅までは複線であることからアクセスも良いので、みんなが行きやすくなりそうなどと、具体的に妄想を膨らませて話していました!地域の今後の使われ方について、自然に地元の方々とよそ者とが一緒に考えることができ、ふとした雑談ながらも有意義な時間に感じました。
それでは、やっと自転車に乗って出発です!セメント工場の跡地を走り抜け、『セメント公園』に到着しました。この公園には、『住友大阪セメント』と書かれた石碑があります。しかし、ここ四倉の歴史としては、1908年に『磐城セメント』が創業し、その後『住友セメント』に吸収され、またのちに『大阪セメント』と合併し、最終的には『住友大阪セメント』という名前に変わったという少しややこしい背景があります。
参加者からは、「この場所は生協だったと思う。子供の頃、そろばん教室に通うときにこの前を通ってました!」と新たな情報が!大野から平まで行けるバスも通っていたそうです!
ー トロッコの廃線跡を辿る
次のスポットに向かう途中で、トロッコを発見!リサーチの時から、ここにあることは分かっていたのですが、普段はトロッコが置いてある敷地の門が閉まっていることが多く、なかなか近くで見れません…!この日は、タイミングよく門があいており近くで見ることができました!
このトロッコは、鉱山の中をトロッコが石灰石を運んでいた時のもので、おそらく、貨車の1番前で牽引してくるような気動車として使われていたものではないかとのことでした!
また、大野出身の参加者の方からは、「トロッコの線路沿いにある家の畑仕事のお手伝いをしていたら、ピピー!と鳴らしてくれてキャラメルを投げてくれた」というエピソードも!!この話はみんなびっくりして笑っていました!
そして魚屋さんの横を通り、ここからトロッコの廃線跡を巡っていきます!
最初に止まったのは、二股に分かれた砂利道。一見、ただの道なのですが、緩やかなカーブになっており、昔の資料と照らし合わせると、同じ位置に二股に分かれた線路がありました!皆さんその資料を見て、「お~!なるほど!」と驚いていました。
「これが駅の方まで繋がっていたのか!」とトロッコが走っていた時代の景色を思い出したり、妄想したり。地元の方と、そうでない方と、楽しみ方がそれぞれで、それもまたこのツアーの魅力だなと思いました。
次に到着したのが、『変眼阿弥陀堂』です!両眼にルビーとサファイアが埋められていたから、この名前になったという説もあるようです。リサーチでも詳しいことはあまり分からず、変眼阿弥陀堂がある戸田地区について詳しい方がいればぜひ教えてほしいとのことでした!
少し行くと、また廃線跡スポットが!ここには、トロッコが走っていたころの橋が少し残っています。写真の凸凹したコンクリートのようなものが橋の跡です。
さっきいた廃線跡のスポットからここまで、昔は線路で繋がっていたのですが、今は線路をブツンと切るように新しい道や橋などができています。そのため、目で見ても分かりづらく、想像を膨らませながら松本さんの説明を皆さん聞いている様子でした。
ここから桜並木の廃線跡の道を進んでいきます!桜の木の根っこが盛り上がっている部分が多く、でこぼこしている道ですが、車が通らず安全で、横には畑が広がり四季折々楽しめる爽快感のある道です。ここをトロッコが通っていたと思うと、当時はとても存在感があっただろうなと思いました。桜の咲く時期にも走りたいですね!
ー 廃線跡の桜並木を抜け、玉山古墳へ
その道を抜けると、『vege Herb cafe』の前にでるのですが、そこの目の前に見える山が『玉山古墳』です。このあたりから、松本さんの実家がある大野・玉山のエリアに入り、玉山古墳へ向かっていきます!
その後途中で止まった廃線スポットは、元々踏切があった場所で、大野出身の参加者の方の話によると、当時は踏切の場所に来ると車掌さんが降りて、「ピー、ピー、通ります」と安全確認してから、「お待たせしました~」と戻って発進するという流れが踏切で毎回あったそうです!!
四倉駅の方からずっとたどってきた廃線跡は、この先も八茎鉱山に向かって続いていくのですが、今回は玉山古墳の方に向かっていきます!次回のツアーでは、廃線跡をひたすら巡っていくコースにするのも面白そうですね!
そして次に、令和2年3月に閉校してしまった『大野第一小学校』に到着!大野第一小学校は、『ドレミの歌』を翻訳したことで有名な歌手 ペギー葉山さんが小学生の頃に、戦時疎開で8か月ほど通学したそうです。
また、2013年には東日本大震災の復興祈願コンサートを開催し、大野第一小学校の子供らと一緒に歌を歌ったりしたそうです。今回参加してくれた大野出身の若者は、ペギー葉山さんがコンサートを開催した当時、大野第一小学校の生徒だったようで、覚えているとのことでした。
また、海軍大将・高木武雄さんの母校でもあります。リサーチの際に、玉山温泉の『藤屋旅館』に泊まった時に、高木大将の写真が飾ってあるのを陸奥さんが発見し聞いてみたところ、藤屋旅館の長男だと分かりました…!
高木大将は、戦艦”陸奥”の艦長で、自分の名前が入っているため陸奥さんは昔から高木大将が好きだそうで、喜んでいました!そんな歴史のある小学校でしたが、2020年の3月、147年の歴史に幕を閉じました。
そして、小学校の裏山の細道を進んでいきます。実はこの裏山が『玉山古墳』です!ずっと山道を進んでいくと、『玉山古墳』の看板が出てきました!いわきで1番大きく、東北でも4番目に大きい前方後円墳なのです!
しかし、この古墳は私有地と曖昧になっており、ふもとにはお寺や住居、地域の方々の畑やお墓もあり、生活と密に関わっているのが面白い点です。また、古墳に杉の木がたくさん生えているのですが、松本さんらが小さい頃はまだ細くて低かったので景色がだいぶ違うとのことでした!小学生のころは、古墳の中のこの道でマラソン大会があったそうです。
ー 霊魂不滅、滝夜叉姫の墓
そして、もう少し古墳を進むと、綺麗に整えられた庭が見えてきました。
その庭に入ると、中には『滝夜叉姫の墓』があります!
滝夜叉姫とは、平将門の娘であり、父・将門が討たれて逃げてくるときに、お兄さんたちを頼って北上し、いわき恵日寺で出家したという説があります。その後、会津で亡くなったと言われていますが、いわきにも来たことがあるということで分骨され、玉山古墳に『滝夜叉姫の墓』が作られています。
皆さんは、『滝夜叉姫』と聞いてすぐに姿が思い浮かびますか?滝夜叉姫は、近年でもアニメや漫画などで大髑髏を操る妖術使いとして登場しており、実は皆さんも見たことがあるかもしれません…!
今回のツアーでは、滝夜叉姫のイラストが描かれた絵巻を松本さんが見せてくれて、参加者の皆さんも「見たことがある!分かった!」と驚いている様子でした!
また、『嗚呼瀧夜叉姫之墓』と書かれている石碑の裏には、『霊魂不滅』という文字が…!お墓を建てた方の熱い思いが伝わってきますね。
続いて古墳を下り、『大野中学校』にも少し寄りました!大野中学校は、2023年3月に閉校しましたが、テニスコートや体育館を貸し出しており地域の方々が利用しているようです。学生時代の思い出話をしたり、校歌を歌ったり、昔を懐かしみながらお喋りを楽しみました。
参加者の話によると、小川郷出身の草野心平は全国的に校歌を作っていたらしく、やはり好きなフレーズがあり似ている校歌が意外とあったりするとのことでした。
また、大野中学校閉校後の活用についてはまだ未定とのことで、今後どんな風に活用されるのかも注目していきたいです!
そして、ふもとの方まで出てきました!ここには『恵日寺』があります。かの有名な日光東照宮の『眠り猫』を彫刻した左甚五郎が、恵日寺の門にある龍を彫刻したと言われています。
また、その門が昔は茅葺屋根で、門の下で手を叩くと「キュッ」と音が鳴り、龍が鳴いているようなので『鳴龍』と言われていたそうですが、屋根を瓦に建て替えてから鳴かなくなってしまったようです。
恵日寺は普通のお寺とは少し違い、お坊さんたちが修行をするお寺で、先ほど出てきた滝夜叉姫も恵日寺で出家したと言われています。
そして階段を上っていくと大野の景色が一望でき、見晴らしが素晴らしかったです!また、ここには海軍大将・高木武雄の墓も建てられており、その前でみんなで記念撮影をしました!
ここにきて今回のツアーで出てきた登場人物と色々と結びつくという…。改めて歴史、人、物語が繋がって地域ができているんだなあと実感しました。
ー 松本さんの実家にゴール!
そしてついにゴールです!最終地点は、なんと松本さんのご実家!玉山古墳のふもとにある大きな古民家で、ずっと松本さんのお父さんが一人で暮らしていたのですが、今年亡くなられて現在は誰も住んでいないとのこと。
大広間でお茶を頂きながら、今日のツアーの感想を語り合いました。大野出身の若者参加者は、「本当に知らないことが多かった。あとは、懐かしいって久しぶりに言いました。」と話し、また来年からは転職し実家に戻ってくるとのことで、次はサポーターとして新たなツアーができるかもしれません…!
また、今回のツアーは自転車競技をやってる方や普段から50~100キロ走っている自転車に乗り慣れている人達と、普段全く自転車に乗らない人達が一緒にツアーを回りました。
乗り慣れている人からすると、ツアー中の自転車スピードは衝撃的な遅さだったと思いますが、乗ってない人に聞いてみると、ちょうどいいスピードとのことでした。
「色んなサイクリングツアーに参加してきたけど、こんなツアーは初めてだった!」と、普通とは違うサイクリングツアーを楽しんでいただけたようです!
他にも、地元の方の話によると、以前まで四ツ倉駅前にあった亀のモニュメントは浦島太郎伝説のものだったのですが、石材屋さんに「亀のモニュメントを作ってくれ」とお願いしたばかりに、ウミガメではなくリクガメのモニュメントが出来上がったんだとか。そんなツアーでは聞けなかった裏話なども聞くことができました!
これでツアー自体は終了し一度解散となったのですが、参加者たちと運営メンバーなどが集まり、懇親会を開催しました!
ご実家のキッチンをお借りしてみんなでご飯を作りました!お米も、味噌も大豆から、松本さんの実家で作ったもので、他にも近所の農家さんからいただいた大根など、この土地で作られた新鮮なものばかり!
手作りの温かいご飯たちが、疲れた体にしみわたりました。
大人数で食卓を囲んで、手作りのご飯を食べる機会なんてなかなかないので、実家に親戚が集まっているようなアットホームな気持ちになりました。
この会田家(松本さんの実家)は、きっとこれまでもこんな風に行事ごとにみんなが集まって食卓を囲んでいたんだろうし、これからもそんな役割を果たしてくれそうな気がしました。
ー これからの”会田家”を妄想する
この懇親会には、交流を楽しむのももちろんなのですが、もう一つ目的があり、それは会田家の今後の活用についてみんなで語り合いたい!ということ!
今回のツアーに参加して、
時空散走で自転車で地域を巡ることで、その地域での暮らしが見えた
四倉・大野だったら、マルトあるし、直売所や道の駅もある、坂のない道を選べば、自転車で全然生活できそう!
という意見もありました。自転車は観光や趣味のためだけでなく、もっと生活に接点があるはずで、移動手段の選択肢としてあっていいはず。『自転車圏内の暮らし』を実践してみるのも面白いかもしれません。
松本:「この家をどうしたらいいかは、妹とも悩んでいて。ただほったらかしにしていると、どんどん朽ちていくだけ。でも荷物はまだそのままあるし全部を受け渡すのは難しそう。台所も使えるし、部屋もあるんだけどね。シェアハウスとかにするにしても改修が必要だと思って悩んでいたんだけど、このまえリハーサルの時に時空散走のメンバーに見てもらったら、このままシェアハウスにするのは全然大丈夫と言われて、そうなんだ!と。」
参加者:「このままの古民家の雰囲気がいいよね」
参加者:「この大広間はみんなのオープンスペースみたいな使い方もいいですよね。奥にある部屋は、プライベートな部屋にできそう。」
みんなで妄想を膨らませながら、会田家での暮らしや、活用の仕方を考えていきます。何もない空っぽの空き家ではなく、生活が残されたままの空間なので、より妄想やアイディアが思い浮かべやすく、みんなでどんどん盛り上がります!
参加者:「会田家は農家だったんですか?」
松本:「今でも農家ですよ!三女が基本的には管理してるけど、種まき、田植え、稲刈りのタイミングなどで手伝いに来てる。私たちも、だんだん年とってくるとね大変でね。」
参加者:「やっぱりこの家を管理しながら、農作業の手伝いもしてくれる人がいてくれるといですね」
松本:「うちの近所も高齢でやってる人多いから、自分のところもやってくれとお願いされたり。」
参加者:「この家の畑だからって区切るよりも、地域の畑にしてみんなで管理できるようにする方がいいのかもしれないですね。」
松本:「そうそう、あとこの辺空き家が増えてきてるから、私も草刈りをする代わりに場所を貸してって言って倉庫として使わしてもらうことになった。お金より動ける体がある方がありがたいのよね。」
参加者:「そういうのwin-winでいいですよね。」
松本:「いいと思うんだけど、どうやってマッチングしていけばいいのか…それが難しい。」
参加者:「住む場所探してる人は周りにもたくさんいるんですけどね…」
松本:「例えばシェアハウスにしたとして誰か住んだとして、この地域の人たちと繋がって開かれた場所になってほしいな。大野は閉じていくのかもしれないけど、残っている人たちが楽しく過ごしてほしいし。なんか困ったときは若者がいたらパワーがあると助かるし。」
参加者:「地域のコミュニティができると良いですよね。私は、柿の干し方とか梅仕事とか暮らしの知恵みたいなものを、一緒の地域で生活していく中で教えてほしい。」
松本:「きっと年寄りも教えるの楽しいからね。福祉的な面倒見てもらうとかより、”誰かに教える”ていう楽しみを創り出すのがとてもいいと思うんだよね。」
参加者:「他の地域のシェアハウスでは、シェアハウス住民のおばあちゃんから畑仕事を教わることから始まって、地域の繋がりが増えて他にも土地を貸してもらえたり、やっぱり近所の人たちも教えれて嬉しかったりするみたいですね。」
松本:「結局、地域にいるとおばあちゃんがとか、そのおばあちゃんの友達がとか、そういうネットワークのなかで作られていく方が間違いなくて、そうじゃないとはじき出されちゃう感じはあるよね。」
参加者:「やっぱりよそ者と地域のつなぎ目を作るってすごく重要だと思います。その点、この会田家の場合は松本さんがいるから安心ですね。」
松本:「じゃあ、まずは3月にみんなで種まきでもしますか・・!」
参加者:「もし数日泊まっていいのであれば、種まきのタイミングに合わせて人集めてここでの暮らし体験をやってみたいです!それまで家の片付けも力仕事手伝います!」
と、こんな感じで、会田家の活用についてみんなで話すことができ、有意義な時間となりました。
『時空散走』をきっかけに、その地域の人や暮らし、課題や繋がりが見えて、また地域に新しい動きが巻き起こっていく。これからの地域では、どんな出会いがあり、どんな風が吹くのかワクワクしています…!
『いわき時空散走』は今後も各地域リサーチを続け、春・秋とツアーを開催していく予定ですので、応援よろしくお願いいたします!
文章:井上栞里(NORERU?広報)
写真:鈴木穣蔵
いわき時空散走フェスティバル23レポートはこちら
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