不審な人

去年のM-1グランプリの放送後、「誰も傷つけないお笑い」がキーとして挙がった。
所々で熱を発していた割にそれが定着したかどうかは見えずにいる。

感覚的に掴まれる"笑い"の正体を分析、言語化する試みはどの時代にあっても興味深い内容である。
昼頃、布団の中で上岡龍太郎と落語家さんの対談を聞いていた。
「緊張の緩和理論」、2代目桂枝雀なる人物の提唱したお笑い分類論を今日になって初めて拝聴する。
これよりずっと後の島田紳助による「紳竜の研究」あたりは才能に追いつくための努力の方法を戦略面も交えて明かされたりで、目の当たりにする皆が熱く鼓舞される内容だったのを覚えている。
今日の「緊張の緩和理論」ではやや内へ、そもそも人はどういったときに笑うのかをテーマに長年の経験と独自研究を経て、テレビ番組の対談形式で発表されたのだと受け取れた。
何れにしても、ふわふわと漂う不明瞭なものを解き明かす見事さは興味深くある。

昨年末から年始にかけては周辺のお笑い熱に感化されて、わたし自身もあの笑いの正体を言語化しようとしていた。
まあ、まずは笑い声を上げるためには呼吸が不可欠だよねと「吸う・吐く」のメカニズムがあって、その呼吸の種類と感情の結びつきが関係してるのではというような予測で止まったきり何も進んでいない。
目線を左右に動かしてみては呼吸の種類を一人であれこれ探っている、この挙動の不審さと言ったら目も当てられないくらいの有様だったなあと思い返している。

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