Youは何しにリトアニアへ第一弾

どうも。交換留学でリトアニアはカウナスに来ております。ぶぅです。

今回の投稿では、某有名番組の二番煎じではありますが、リトアニアに移住し、長年生活している在日法人の方をターゲットにインタビューした内容を写真と共に紹介していきます。

この投稿は、カウナスで唯一の日本人、且つ、唯一の日本食レストラン "Kamakura(鎌倉)"を経営する在立法人:佐々木雅仁(まさひと)さんとのインタビューでのお話をまとめたものです。

佐々木さんはどのような経緯からここリトアニアに辿り着いたのでしょうか。二時間に渡って行われたインタビューの中から内容を抜粋して佐々木さんの人生の一部を紹介していきたいと思います。

まずはお店の紹介から

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現在、佐々木さんが経営するお店「Kamakura(かまくら)」。

私が通う大学のファカルティーからほど遠くない場所に位置するこのお店は、カウナスで唯一の日本食レストランです。値段設定も低く、所得の低いリトアニア人でも気軽に日本食を楽しめるお店です。

ラーメンや親子丼、お鍋など、日本人留学生が日本を恋しくなったら必ずと言っていいほど駆け込む最後の砦です。笑

リトアニアに来て日本が恋しくなった時には、ぜひここに訪れて日本を思い出してみてください。そこにはきっとあなたの焦がれる日本があるはず…

※ちなみにKamakuraという名前は現在の奥さんの娘さんが住む地域であることや、字そのものの語感がリトアニア語に似ていて馴染まれやすい名前であることからという理由で名付けられたそうです。


Youは何しにリトアニアへ?

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では、今回インタビューをさせて頂いた佐々木さんについて紹介していきます。なぜ佐々木さんは日本から8,000キロ以上も離れたこの地にたどり着いたのでしょうか。そこには並々ならぬ人生のストーリーがありました。

結論から言うと、佐々木さんがリトアニアに今居るのは本当に偶然だそうです。そもそもリトアニアに興味もなかったし、最初は場所もどこだか分からなかっただとか___

この地に辿り着いたのは一人の女性との出会いとの出会いがきっかけでした


グローバルに働くスーパー営業マンとしての姿(写真は佐々木さんご本人)

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北海道の札幌で生まれ育ち、大学から東京に上京した佐々木さん。

大学2年生の時に訪れたアメリカで沢山の刺激を受けたことをきっかけに世界の大きさを思い知ります。

「世界はこんなにも大きかったのか__。」

日本という小さな国から一歩踏み出したアメリカで無限に広がる世界の可能性に気付くとともに、絶対に「将来は同じところに留まらず色々な国を飛び回って仕事をしたい」とその時決意しました。

その後、就職活動を経て株式会社山武(現アズベル)に就職を決めますが、当時専攻していた延長の理系専門職ではなく、営業としての道を選びます。

なぜなら、佐々木さんは研究や工場などで一つの場所に縛られて同じ場所で一生を終えるのではなく、営業として各地を飛び回りたいと考えていたからです。そして、アメリカを訪れた際に「日本のビジネスはもっと海外で伸びるはずだし、関わっていくべきだ」ということを当時大学生ながらも確信していたこともその一つの理由だったそうです。

その後、国際営業マンとして着実にスキルを身に着けていった佐々木さんは、インドネシアに6年、タイ・シンガポールに3年、韓国に6年、アメリカ…中東をはじめとした諸外国で30年のキャリアを積み上げていきます。

夢を叶え世界中を飛び回り、3人の子供と素敵な奥さんに恵まれ順風満帆な人生を送っていた佐々木さんでしたが、ある日の出来事でその人生は一転してしまいます。

家族のため、会社のために日々多くを学び戦略的に営業を展開する佐々木さん。家族を顧みず仕事に明け暮れ世界を飛び回っていたが故に家族とのすれ違いや摩擦が生まれ、これが奥さんとの離婚へと繋がってしまいます。

長年に渡って積み上げられた不満やすれ違いは気が付くと後戻りの出来ない状況になっていました。心から愛した妻と家族との日々がその「離婚」というその一言で突然の終わりを告げます。何とも言えない虚しさと儚さ、そして寂しさを感じる日々がしばらく続きました。

そんな時にあるリトアニア人に出会います。

彼女は当時働いていた会社の同じフロアに居た女性(今の奥さんの娘)。最初はアメリカ出身の綺麗な白人さん程度の認識だったそうです。

しかし、話を聞くとどうやらリトアニア人だと判明。彼女の母が日本の桜を見て感動したことをきっかけに彼女に日本語を学ばせ、日本にも留学させ、そして、ついには日本の佐々木さんと同じオフィスで同僚として働くまでに至ったそうです。

同じ職場の同僚としてそのリトアニア人女性とご飯を食べたり、数名で居酒屋でお酒を楽しんだりする仲になる内に、日本好きな彼女の母の存在に気が付くことになります。話が複雑になるので割愛致しますが、それから色々な偶然が重なりその同僚の女性の母と結婚するに至りました。

これが佐々木さんの人生の転機になりました。

仕事も順風満帆で家族を養えるだけの余裕を持っていたことから、一度はその婚約者に日本で暮らすことを提案しますが、リトアニアで神経科医をする彼女の医師免許が日本では役に立たないという理由(および、今の仕事を失いたくない/続けたいとのこと)から、佐々木さんがリトアニアで第二の人生を歩み始めることを決意します。

そうして、今の日本食レストランに辿り着きます。

レストランというのは消去法で残った選択肢の1つでしかなかったため、もともと決めていたものではなかったようですが、リトアニアで日本食レストランを経営するというのは、この地における最適解だったそうです。

貿易やおたふくソースの工場経営などの候補も他にあったそうなのですが、今までと同じような仕事はしたくないという理由で貿易は辞め、元々料理や釣りが好きだったことを活かしたいと思いレストランをすることに決めたそうです。(ちなみに今改めて考えると素人が飲食経営を異国で始めるなど無謀すぎるため、また同じ状況に陥ったとしたらこの選択はしないとおっしゃっていました。)

Kamakura(鎌倉ーかまくら)

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こうして始まったリトアニアでのレストラン経営。

異国の地での起業。言語も何も分からない状況でのレストラン経営は現地語の理解できるパートナーなしではとてもじゃないが不可能だとおっしゃっていました。(これはどんな仕事においても言えるそうで、異国の会社経営をするからにはパートナーを作り、共に会社を立ち上げていかなければほぼ無理だというご助言を頂きました)

1号店は今とは違う場所で料理教室と一緒に経営していたのですが、立地の問題やメインとなっていたバスケットセンターの経営状況が良好でないことが原因で現在の場所に移動しました。

最初の1号店を2年経験した後に今の場所でのKamakura営業をすること2年。その間にも沢山のトラブルに見舞われたそうです。

その中でも一番厄介だったのが「クレーマー事件」。

リトアニアでも悪名高いとされていたレビューサイトクレーマーが、Kamakuraに訪れたことをきっかけにテレビや法廷をも巻き込む一大事件へと発展していきます。

これまでクレームとレビューサイトでの酷評で多くのお店を潰して来たこのクレーマーとの闘いは困難を極めるものでした。しかし、証拠を確実に握り、「Samurai」として真摯かつ謙虚に向き合うことで戦いに勝利を納め、更にはコメントの真相をつかむ為にと訪れたお客さんで一時は大繁盛を迎えるという結果に繋げることができたそうです。

しかしながら、リトアニアでの会社経営はとても難しい__給料次第で人が流れてしまうという潮流のあるリトアニアでの雇用はとても難しく、又、経営・清掃・指導・仕入+仕込などを現在一人ですべてを賄っているため現役同様かそれ以上の業務に日々に苦しめられているとおっしゃっていました。

それでも、所得に左右されず、リトアニア人でも日本を十分に楽しめる環境づくりに一心に励む佐々木さんの姿は若々しく、私以上に野心に溢れ、キラキラと輝いているように思えました。

気さくで人生経験が豊富な佐々木さんはここでは語り尽くせない程のエピソードと知識に溢れた素敵な方でした。カウナスにいらした際は是非彼の元を訪れてみて下さい。

日本の若者に送るメッセージ

海外を出ることで見えてくる日本の姿がある。

そして、そうした外からの視点を持つことで日本人としての自分がなんなのか。又、これまで生きていた日本の当たり前の素晴らしさに気が付くことが出来ます。その姿を、本質を是非外から見つめ直して欲しい。

そのために今の日本の若者には積極的に外の世界に飛び出して欲しい。もっと積極的に世界という舞台を見聞きし、働く機運を高めて欲しい。とのことでした。

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おわりに

いかがでしたでしょうか。以上が、佐々木さんとの2時間に渡るインタビューのまとめです(一部抜粋ではありますが)。

国際営業マンとしてキャリアを積んできた佐々木さんの人生は沢山の失敗と挑戦に溢れた大変興味深いものでした。9・11との遭遇や各地でのトラブルや国ごとの国民性など、どれも驚きを隠せない話ばかりでしたが、多くを学び経験して来た佐々木さんのお話は学ぶことが多かったです。

まだまだ書き尽くせない話や初めて知った本当(裏)の世界の歴史など沢山ありますが、この記事は佐々木さんのリトアニアとの出会いや今の姿のエピソードに留めさせて頂きたく思います。繰り返しにはなりますが、この記事に興味を持って最後まで読んで頂けた方は、是非リトアニアのカウナスにいらした際に佐々木さんご本人からお話を聞いてみて下さい。

他人(ひと)の人生から学ぶことは多くあります。あなたが経験し得ない物語でも、その人を通じて出会うことが出来ます。

これからも「Youは何しにリトアニアへ?」では、あなたにとっての非日常、ないしは世の中にはこんな生き方があるんだよというエピソードを在立(リトアニア)邦人の人生のストーリーとともに紹介していきますので、これからもどうぞよろしくお願いします。

それでは、また。以上、ぶぅのリトアニアレポートでした。

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