謝っても批判されても更迭されてもイヤなものはイヤだよなあ。という話
首相秘書官っつー国民の人権を守るべき人が、
人権どころか存在を否定する発言をして
炎上真っ最中。
一応「発言を撤回」とか「誤解を生む発言した」とか「首相に謝った」とか
頓珍漢な方向に反省を見せた挙句に結局
更迭されることになったらしいのですが
更迭されたところで本人は多分
「世間がおかしい方向に向かってる」と思うだけで
自分がしたことが
自分が本当は守るべき人を傷付けた自覚とか
「今日から隣に住んでいいよ」ってなるとか
無いよなあ
と思った2023年立春でございます。
知らんけど。
秘書官っつー役職の人の、職責に対する対応としては
更迭するか辞職させるかってことしかないのは判るけれども
今回の問題で「納得できる解決方法」は「更迭」じゃあない。
本当のところは、この発言をした人が
「無理って言ってごめん。無理じゃないです。普通のことだよね」
と思ってくれることが一番の解決なんだろうけれども。
哀しいかなそれは多分無理。
この人は、
今までの環境や教育やらで
「生理的に無理」というものに育て上がっているから。
「生理的に無理」っていう感覚は怒られて矯正できるモンじゃない。
怒られたり制裁されたくらいで誰かの理想通りに矯正できるモノだったら、そもそも、こんなにLGBT本人が悩んだり苦しんだりしていない。
今回の罰すべき部分は「発言の内容(本人がそれを無理かどうか)」ではなく
「権力という腕力で殴ってきた(発言した)」部分。
「そんなことを考えるのは間違ってる」
「そういう考えは時代遅れだ」
「そんな考えの人の人格を疑う」
っていう「考え自体」への批判は的が違うよね、
という話。
批判する人は、
もし自分が
「正義の側から発言している」と思うならば
批判している相手と同じ槍で相手を刺しちゃだめだ。
「自分が正義である」証明で、
誰かを批判することを証拠にしちゃだめだ。
今回のLGBT問題だけじゃない。
「自分はコレがイヤだから人類全員イヤであるべき。
それを好むヤツはおかしい直せ自分と同じになれ無理なら消えろ」
と「自分から見た異質な存在を許さない」から
そこに悲劇が生じるワケで。
「自分はコレが無理だけど、あの人はソレが無理なのね」
と相容れない存在の「存在を許容」するのが
多様性のある社会とか、共存社会じゃないのか、と。
自分が無理であるように
相手も無理なんですよ。生理的に。
どちらのベクトルも「正解」ではなくて
ただ、そこに「そういう存在が在る」だけ。
そこに花が咲いていることが正解とか間違っているとか無くて
自然は、自然に、そこに在るだけで
何のジャッジもない。
ホモとかヘテロとか「そういう生き物」であって
そこには何のジャッジも無い。
自分がその感覚を変えられないのと同じように
相手もその感覚は変えられない。
それは互いに「相手が間違ってる」んじゃない。
そういう人がいる、
と認めないと人類が滅びてしまう。
そういう方向で批判するなり再教育するなり
ボランティア活動させて気づかせるなりしないと
「正義」の仮面被ったまま、
お互いに殴り合っているだけになってしまうじゃん。
と、思った次第。
長くなったから、今日はここまでにしといてやらぁ←誰だよオマエ
次回、「多様性を認めないと人類が滅びてしまう話」の予定(は未定)