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嵯峨野ぐらし15 綾小路通を歩く

 綾小路さんと言えば、「やんごとなき人たち感」を醸し出す名前として、きみまろさんから翔さんまで、芸能人やマンガの世界でよく出てきがちな苗字ですが、実際は全国で数軒しかないそうです。ただ、綾小路さんというお公家さんは実在し、それにちなみ京都には綾小路通という通があります。京都の街の通を端から端まで歩いてみたシリーズ、一条通、六角通につづく第3弾は綾小路通です。

 通り名の歌、東西に走る通り編『丸竹夷二押御池 姉三六角蛸錦 四仏高松万五条』で四の次に出てくる綾、すなわち四条通の一本南の道が綾小路通です。京都を代表する繁華街四条通からすぐなので、綾小路通沿いのどこかへ行くには、電車やバスで四条通のどこかで降りて、一本南へ行けばいいわけで・・・・・・。綾小路通を歩けば、前に来たことがあるようなところばかりだけど、綾小路通を端から端まで歩くなんてことは、普通の人はせんわなぁ… というような通りです。

 綾小路通は江戸時代までは、東は寺町から西は大宮までだったとされていますが、現在は西の端は天神川通の二筋西(名もない通り)まで続いています。市バスの停留所でいうと、京都外大前と南広町の間です。今日はこの西の端から寺町まで東へ向かって歩いて行きましょう。
 まず西の端はここです。

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 突き当たりは「創価学会右京文化会館の駐車場」です。ここから東へ向かってGo! しばらく行くと葛野大路(かどのおおじ)通へ出ますが、横断歩道がな~い! 交通量の多い広い道なので渡るのは危険すぎ~る!ということで、四条通の横断歩道まで北上。このあとも西大路通や堀川通など大きな道はことごとく横断歩道がなく、しかも中央分離帯で封鎖されていたりで、そのたびに四条通まで北上しました。大きな交差点のすぐ南だからここに横断歩道を作るのは難しいですよね。

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 葛野大路を過ぎるとほどなく写真のように行き止まり。四条中学のグランドで綾小路通が途切れてます。学校の周りをまわって向こう側へ。そのあと写真のような一方通行の細い道になり、この道でいいのか?と心配になったあたりで、突然開けた場所に出ます。

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阪急電車が地下へもぐるトンネルの入口。
あまり知られていませんが、阪急電車の西院~大宮の間の地下トンネルは昭和6年に開通し、土木学会選奨土木遺産にも認定されている産業遺産です。東京で日本初の地下鉄が開通したのが昭和2年、大阪で初の地下鉄御堂筋線が開通したのが昭和8年、すなわち、ここが日本で二番目、西日本で初めて開通した地下トンネルなのです。

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しかも、トンネルが通る壬生(みぶ)のあたりは地下水が豊富なことで知られる地域なので、当時の技術では大変な工事だったようでトンネル上の扁額には『天人併其功』(天と人が力を合わせてこの工事を成し遂げたの意)という、当時の京阪電車社長の言葉が記されています。京阪って?阪急の間違いとちゃうの?という声が聞こえてきそうですが、話せば長い話になるけど、その当時ここは京阪電車の線路だったので間違いではないです。詳細はまた別の機会に。
 ここまで歩いて気付いたのですが、この通沿いには「綾小路」と名前の付いた建物や施設が全くありません。まあ江戸時代は綾小路通はここまで伸びていなかったらしいので、住んでる人も綾小路という意識があまりないのでしょうか? 初めて(たぶん)「綾小路」が出現したのは写真の橋でした。

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堀子川綾小路橋と書いてあります。
江戸時代初期の大商人、角倉了以(すみのくら・りょうい)は海に面していない京都と全国や外国との物流改善のために、朱印船貿易で稼いだ私財を投じて高瀬川と呼ばれる運河を作り、大阪から京都市内まで船で来られるようにしたり、岩だらけの保津川を開削して船が通れる道を作り、さらに嵐山から西高瀬川と呼ばれる運河を作って、丹波で取れた木材を筏にして京都市内まで運べるようにしたりという大事業を行いました。この西高瀬川は人工河川なので基本的にまっすぐなのですが、一部だけもともとあった川を利用しているため曲がっており、その曲がった部分が現在も堀子川と呼ばれているそうです。
 上写真のように住宅が密集する細道を通り抜けると、壬生寺(みぶでら)の北側に出ます。

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壬生寺といえば、壬生狂言新選組ゆかりの寺で知られています。境内は新選組の訓練場に使われたとされ、周囲には新選組の屯所(詰所)跡が何軒か残っています。そのうち1軒の八木邸は下写真のように公開されています。

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その後、八木さんは京都鶴屋鶴寿庵という和菓子屋さんを開業されており、ガイド・お茶・お菓子付で屯所を見ることができます。
さらにその近所には、新選組の墓所もあります。

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大宮通を過ぎ、堀川通を越えるとだんだん繁華街になってきます。
前に来たことがあるお店が、コロナのせいなのかいつに間にかなくなっていたり寂しいところもありますが、美味しそうな新しい店ができていたり、歩いているだけでわくわくして飽きません。

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烏丸通を過ぎると、どっぷりと夜の繁華街。下写真のアジア各国の料理を食べられる屋台がいくつもあるという店、最近おもしろい店ができたとウワサには聞いてましたが、ここだったのね。開店前の昼間に通ったのが残念。

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そうこうしているうちに東の突き当たりが見えてきました。寺町通沿いに鳥居が見えますね。あれは何でしょう?

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突き当たりは「京都大神宮」という神社でした。どちらかといえば小さなお宮なのに「大神宮」とは偉そうな名前です。なんで大神宮なのでしょう?

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実は上写真の本殿の右側にある小さな祠は、伊勢神宮の遥拝所、すなわち、ここにお参りすれば伊勢へ行かなくても日本最強の神社である伊勢神宮にお参りできるところであり、この神社自体が「伊勢神宮の京都出張所」のような位置づけなのだそうです。なので、神社の強さでいえば大神宮なのです。蹴上の日向大神宮も同じように伊勢神宮の遥拝所があるので、小さなお宮なのに「大神宮」を名乗っていますよね。
京都大神宮は、信長書店の向かいという絶好のロケーションだからか、下写真のような萌え系(?)のキャラクターのグッズを売っていたりとマニアにはたまらない神社です。

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 というわけで、今回は綾小路通を端から端まで歩きました。新選組から繁華街まで、変化に満ちた楽しい通りでしたね。美味しそうな店がいくつもあり、最近すっかりごぶさたの街飲みにも久しぶりに出かけてみたくなりました。では、また次回をお楽しみに。

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