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腹黒いと駄目なのか?

7月8月は受注がほとんどなくて、不要品をひたすら捨てていた。

納戸に放り込んでいたもろもろ。
床に敷く何か。保留袋に詰めていた衣類。アルミっぽいすだれ。買って忘れていた防災グッズ。置き畳。自炊代行拒否作家の本。スライド本棚の手前の棚。何に付いていたか分からない部品。お買い物カート。腰を駄目にするビーズクッション。座椅子。客用布団。何かのコードうねうね。修理に出せば使えるかも〜と置いといたPC周辺用品。などなどなどなど。
粗大ごみ回収センターを何往復もした。あーすっきりした。

捨てた中には、聖書、賛美歌集、聖歌集もあった。
そう。捨てちゃったんです。信仰関係のもの全部。
教会に行かなくなって久しいし、急に「もういいかな」という気分になったから。
ものを捨てたことは信仰を捨てたこととイコールではないんだけども、やっぱりずいぶんすっきりしてしまった。

教会に対する罪悪感も捨てた。礼拝に行ってないとか献金できてないとか、そういう罪悪感がずっとあったけど、すーっと消えた。

そして、内心の自由を取り戻した気持ちになった。

自分の行動のモラルに従っていればいいんじゃないの?
腹黒い自分に罪悪感を持つ必要もないんじゃないの?
誰に許されなくても別にいいんじゃないの?

その「自分の行動のモラル」は、ろくでもない不真面目な信徒なりに、40年のキリスト教徒生活で一応培われたモラルなのかもしれないけど。
内心ではどんなに腹黒いことを考えていても、私は善き人として暮らしていこうと思う。

人類の罪を背負ってくれたイエス様。
今でも大好きだけど、私の分の荷物は降ろしてください。今までありがとう。


キリスト教をモチーフにした小説はたくさんあるけども、
買った当時大泣きして、今もときおり読み返す短編が、エリック・フランク ラッセルの「どこかで声が…」だ。
表題作の「わたしは無」も名作なので、どこかで見掛けたら読んでみてください。


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よしこ
サポートしてくださるの? ありがとう…。ご恩はきっと返すわね。