Vtuberの死ってなんだろう?
Vtuberの死ってなんだろう?
あるVtuberの歌は僕にそんな問いを投げかけてきました。
あなたはどう思いますか?
こんにちは、野良猫のユウと申します。
今日は上に書いたようにVtuberの死を考えたいと思います。お付き合いよろしくお願いします。
だらだら考えながら書くので、口調変わっても多めに見て下さいね。
では、始めます。
そもそも死ってなんだろう?
生命がなくなること。死ぬこと。また、生命が存在しないこと。
(出展:goo辞書)
では生命は?
1 生物が生物でありつづける根源。いのち。「生命の危険を冒す」「尊い生命を犠牲にする」
2 ある方面で活躍しつづけることができる根源。「政治生命」
3 人や物事がよりどころとするもの、また、それなしには価値がなくなるもの。いのち。「車の生命はエンジンにある」
(出展:goo辞書)
なるほど、死の違いは生命のゆらぎによるものなのかもしれない。
彼ら、彼女らVtuberは生きている?
死について辞書を引いたとき、生命がなくなること、存在しないことと言われた。そして生命は何か活動するものの根源だと言う。
Vtuberにとってその根源はなんなのだろうか?
引退は死か?
Vtuberが7000人以上活動している現在に至るまで、およそ数え切れないVtuberが引退してきた。
引退は即ち活動の停止を意味する。
しかし、ファンは彼ら、彼女らが動かなくなっても新天地での活躍を祈り続けるだろう。
それは?死んでいるものに対する行動なのだろうか?
肉体と魂
肉体のみが先行することがバーチャルな世界、Vtuberの世界では珍しくない。それどころか大量の同じ肉体が生産されることもある。
肉体が生まれれば生きているのか?
いや、それはただのデータで出来たお人形だろう
では魂が入ったら?
魂は入っているが何も動かない、喋らないのは生きているのだろうか?
私はお人形と変わらないと思います。皆さんはどうですか?
発信と受信
では発信するだけだったらどうだろう?
インターネットでは発信しても誰からも見てもらえないなんてことはざらに起こることだ。
これは生きているのか?発信していても誰も見ていない状態は生きていると言えるのか?
私は発信という活動を行うことは生物の根拠として十分ではないかと思います。
ではでは受信だけならどうか?
新たな発信が行われていないが、受信は行うことができる状態は生か死か
この辺りはゆらいでくるのではないでしょうか?
Vtuberの生きている根拠が動画や作品が残っている状態ならば生であるが、動画を配信し続けることが条件ならば死になるのではないでしょうか?
考えるの疲れたので少し小話を
薬袋カルテ(みないかるて)というVtuberをご存知だろうか?
私はたまたま彼女の去り際の一言を見た、記憶が正しければこんな感じだ。
「薬袋カルテは完全にバーチャルな存在になる」
消滅をもって永遠を獲得したのではないか?
私はそう感じた。
彼女の作品は全て削除されたが、コラボ動画で片鱗を覗くことが出来る。
特にVVORLDの彼女の肖像画は美しく、確かに生きていると思わせてもらえるのです。
魂を失ってもVtuberは生きているのか?
魂の死はVtuberとしての死なのか?
やはり亡くなったことを受け取ってしまえば、死として認識しなければならないのではないか?
その先でVtuberとしての彼を生かすのはファンの役割のような気もする。
まとめ
私はVtuberは発信し出すことで生まれ、発信し続ける限り死ぬことはないと思う。また、発信が途絶えても受信者がいる限り死ぬことはないのだと思う。仮に受信者が知らぬところで魂を失ったとしても。
終わりに
取り留めもなくなったので、無理くり終わらせてしまい申し訳ないです。
生と死がボヤけたバーチャル世界だからこそ、生に執着することは大切なのではないかと思います。
インターネット文化は過去のものを吸収し成長し続けます。その意味では完全な死というのはないのかもしれません。
今までの話と矛盾するかもしれませんが、最後に一つ好きなコトダマトライブのイントロダクションを貼って終わりたいと思います。
あなたなりの生と死を、存在のあり方を考えてみてください
観測されるまでは、存在しない。
ありがとうございました
野良猫のユウ