汝の立つ場所を掘れ
また何をしてるんだかな私は。
それやってどうするの?
そう、いつからか沖縄好きが高じて琉球スタディなるフィールドワークをやるようになった、といっても、極々私的でのらのらと散歩するノリにも似たもので、まさにそこにはいつだってのら猫が「お!きたにゃ!」と言わんばかりの髭面で待ち構えてい位ののら猫的ノリなのだ。
そもそも、何がきっかけだったか。
それは首里城の火災だったかもしれない。
いやもっと遡ると嘉手納マリーナ基地内にそっと見つけた野國總監の墓だったかもしれない。あれには驚いた。琉球に甘薯を教えてくれた偉い人の墓が基地内にあるのだから。そして近くには海を渡って行かねば辿り着けない土帝君、つまり集落の祈りの場もあった。
沖縄にはあちこちに祈りの場があり、大きな墓もある。
私はある時『ハクソーリッジ』という映画から実在の前田高地で起きた激戦を外間守善先生の著作から知る。そして外間守善先生から沖縄学の父・伊波普猷先生に辿り着く。そこから琉球王国の歴代王が眠る浦添ようどれ、さらに伊波普猷先生の墓、そして浦添考へと発展。私は何かに取り憑かれたように、琉球王国への興味に惹かれはじめ、あちこち気の向くまま、のらのらとほっつき歩くことに。それを“琉球スタディ”と勝手に名付けている。名付けているだけで、それを何か書籍にする気持ちも今はない。とにかく誰に頼まれるわけもなく急にお告げのように思い立っては、調べて、ほっつき歩くのが愉しくてならない。
ふと気づけば、今年に入ってからも様々な場所へ辿り着いてしまった。
ホントに突然思い立ってしまウトイウカ、そこへ行けと誰かが何かが私にそうさせるので、もう抑えようもない。
そして、先日敬愛する先輩に案内されて出向いた場所が、今年に入ってからずっとぐるぐるほっつき歩いていた琉球初代王の舜天の次の王・義本に関する地であったこと。
実はそれは義本の墓と言われているものはなぜか沖縄にあちこちにある。
私が今年の春に訪れた墓は沖縄の南部にあって、なぜそこに行きたなったかというと、ボーントゥ墓のとんがりの謎と、食栄森御嶽に関する興味だった。そしてそこに義本の墓があったのだ。
義本というと、源の為朝伝説もあちこちにある。
世に語られているだけではない側面もあるのでないかと、思う。実際、薩摩が入って歴史を編纂した可能性もあるとかないとか。しかもボーントゥ墓。謎深い人物だ。
謎多き義本王。
その王妃の墓という場所へ先輩は案内くださった。先輩の足取りはまるで王に仕える何かのように荘厳で、尊く、美しいしなやかさ、強さをも兼ね備えていた。
後ろにのらのらついてゆく私。
鬱蒼とした植物が覆い茂る小高い丘。
ゆっくりのぼってゆくと大きな岩間に巨大ガジュマルが根を生やし気根が静かに垂れ下がっている、その岩全体を背に墓はあった。
何かどこかなぜかデジャブ感もある。
御嶽のような荘厳な佇まいもあるのだが、御嶽とも違う、大事にひっそり静かに誰かが眠る地。
吸い込まれゆく感じを肌が察知していた。
感極まって涙が溢れそうだったが、吸い込まれてはならない、そんな気がして、先輩に次いで、ゆっくり手を合わせご挨拶をした。
どうしたことだろう、何故私は義本の王妃の墓に誘われたのであろう、しかもこの先輩に。しかも私が死に損なったこの時期に。
そういえば、先輩も生きているのが不思議なくらいの大きな事故にあっていた。
なのにこうして人を大事な場所へ案内することができている、そして私も命をとりとめてこうして招かれているのだから、摩訶不思議である。
先輩が父上から受け継いでいる企業は来年創立70周年を迎える。
琉米文化を担う産業。
戦後米国統治下にあった琉球政府。
そこへ様々な米国資本企業が入ってきた。
米国から受け継いだ外食産業をはじめとする企業を受け継ぎ横並びに起業した仲間たちは皆、本土にその資本を譲ってしまったという。唯一先輩の父上だけが譲らずしっかり根をおろし残っている。
これは何かの前触れだろうか、この地に先輩の足を運ばせたものとは。
「義本王は、天災異変が相次いだことを理由に王位を英祖に譲って隠遁したとされ、国頭村辺戸で没したとも、仲順で没したともいわれる。」
私が3月にどうしても登りたかった辺戸岳つまりアスムイ御嶽は国頭で、その近くに義本の墓はある。そして仲順とはまさに、その王妃の眠る墓のある場所である。
さらには、義本は玉城城にて焼身するのだが、雨で一命を取り留めた。
それから国頭へ隠居し、読谷、仲順で亡くなったとも言われている。
「そもそもが、為朝を名乗る集団は島伝いに南下して荒神信仰を伝えたわけで、そういう意味で伊是名島、伊平屋、伊江島、そして辺戸あたりにその信仰があるのは北からの武力集団の通った道。武力と信仰が南下した、というのが伊波普猷の考察」という琉球スタディ内の某君の見解もある。
私はあることに気づく。
誰もが生まれ育った場所、その土地に、何か大事なものを見つけ出し、そこを大事にすることで、生きることに希望を持てたり、信じることの大切さを改めて気付かされるのだ。
それは伊波普猷先生も外間守善先生もおっしゃられていた
土地の信仰の大切さ、根の文化、のような気がする。
南にはそれが根強くあって、大きく視野を広げれば日本列島の津々浦々にそれはあったのだ。
本当に大事な場所は己の近くにある。
例えば生まれた地。
伊波普猷先生のニーチェの引用だが
「汝の立つ所を深く掘れ 其処には泉あり」
なるほどなと、私は思うのだ。