あれから
黒猫はるみちゃんへ
お元気ですか?突然のお便りをどうか御免なさいませ。日本出国前は色々救援物資をありがとうございます。おかげさまで異国の地で重宝しました。さてさて、あなたの暮らす熊本は今どんな感じでしょうか?春の訪れはもうすぐかしら。熊本に行ったのはもう随分と前。宮崎滔天の話で高橋伴明監督と熊本ロケをしたのが恐らく最後だったか、いや、その後も確か立ち寄ってはいます。当時仲良くしてた吾郎へ美味しい馬肉を買って送ってあげたことをふと思い出したけど何のロケだったのか、あ!それは、樹木希林さんとの初共演のNHKドラマのロケだったことを今書いていて思い出せました。あの頃、随分周囲を手こずらせていた私。若気の至りといえばそれまでだけど仕事も暮らしも見えなくなる情熱破天荒型なまさに恋に生きる女だったなあ、なんて。私はその熊本ロケで希林さんにいろんなことを吐き出したある夜を思い出しています。でも音声は全てサイレントで彼女がじっと私の言葉に耳を傾けながら一緒に飲んだ熊本の夜の映像の記憶しか残っていません。そう、確か紅い椿の花の型染が愛らしい酒のラベルがとても印象的で、後でそれこそが芹沢銈介によるものだと知るのでありました。沖縄の紅型に影響を受けて型染作家になったという経緯ものちに知ったわけです。あの紅い椿の花の型染のデザインのボトルと、それを手にして「もう一本」と合図した希林さんの柔らかでしなやかな手ぶりが忘れられません。私の恋の話、人生の話に黙って耳を傾け、杯を酌み交わした大先輩。希林さんの、崩れもせず強かに酒を飲む女のその佇まいと芹沢銈介による酒のボトルに咲くあの椿の紅が、忘却の彼方にある、私の熊本の夜の記憶です。昼は、阿蘇の草千里でイッシマトワズ、カラダごと春の風をいっぱい感じたことです。
先日、ある新作映画をバンクーバーで見ました。『ロスト・ドーター』という映画なのですがマギー・ギレンホールという好みの女優が初監督しているという興味から見ました。以来、これがもう私の心の襞に巣食って離れず、日本語字幕版がNetflixにあったのでまたそこでも鑑賞しました。主演女優のオリヴィエ・コールマンは今期の米オスカーにノミニーされたようです。この映画良かったらお時間ある時にぜひオススメします。比較文学者という職業を持ちながら2人の娘を育てた母親、或いは妻、または女、そして1人の人間として老いてゆく主人公のレダ(イェイツの詩集「レダと白鳥」からの引用)に、私自身が主演した短編映画『終点は海』主人公の母役がどこか重なるような感覚を感じました。しかし、レダという1人の人物にフォーカスを合わせていくと、不思議な忘却の感覚に囚われました。それは、人として生まれ、女という性をうけ、やがて人の妻になり、子を産んで母になって、気づいたら、50近くなって老いた1人の人間がいる。果て?私は本当に人として生まれて幸せだろうか?どこかに私自身を置き去りにしてきてはいないだろうか?あんなふうにいきたかった、いきたはずだった、だけど、なぜ私はここで何をしているのだろう、そんな感覚です。私は母にこそなってはいないけレド、私自身どこかに忘れ物をしてきたような、忘却の感覚です。もっと個人的にお話しすると、私の母の出自に遡ります。母は実はシャーマン体質な人で、本当は子供を宿すべきではなかったのかもしれないという私の見解です。私の依子という名の依は、64年東京五輪の障害物競走の選手からだと父は誇らしげに言ってましたが、依代の依だということを先祖の無縁仏の霊に取り憑かれた私を抱え、困っていた母から聞いたことがあります。いつも空想に耽っていたと言われていた思春期からしばらくの頃です。
母とうまくいかない娘の話はよくありがちなので、私んとこも同様そんなものだとずっと思っていました。しかし決定的に何か理由があったことを知らされたのが私が成人してからでした。それは私が3歳になる前だったと思います。母は何らかの理由があって、幼い私と少しの時間離れました。その時のことはよく覚えていませんが、祖母に育てられた記憶だけは祖母の着物の匂いで覚えています。私はだから着物のナフタリンの匂いを嗅ぐと落ち着きます。母と私はとかくうまくいかないまま、それぞれが大人になり私も人妻になりましたが、ある日母がこんなことを言うのです「私はあなたの気配をたまに枕元で知る、辛い時に、それは訪れる。そしてこれだけは言っておく、あなたは子供を絶対産んではいけない」と私に諭すのです。この意味が私にはいまだによくわからないのですが、ある時そのことについて納得する出来事が私に訪れます。それはあなたも知るあの子宮癌の発症です 。母は今では認知症を発症させましたがたまに同じようなことを言います。だけど、私を産んだことなど知らないと言うのです、あなたは私の妹だと。不思議な感覚です。面白いのでそのままにして話し合わせてますけど。
過去のあれこれを忘却の彼方へ終うことを「書く」という作業で行っていますが、思えば2年前にまた大きな喪失感に見舞われました。その時は「書く」ということに疲弊し嫌いになってしまったので、なかなかその喪失感を忘却の彼方へ終うことができないまま悶々としていた。そんなことを考えていたら、はるみちゃんに誘われて書き始めた某航空会社の機内誌の連載エッセイを思い出しましたのよ。あのエッセイは本当に私にとって書くことの魅力の淵を覗かせてくれたものでしたわ。手術前に連載最終回を書きながら、私は生きて戻れないだろう、いや死んでも生きているだろう、そんな曖昧な自分の未来を想像しました。『ロスト・ドーター』の主人公のレダも同じく、生きているのか死んでいるのか、わからない、だけど、その終点は始まりでもある、そんな不思議な感覚に呼び覚まされ、あなたへ筆を取った次第です。で、私は現在、宮古島の知り合いからのススメでまたこうして書くことを、まずは書簡から始めることになったのです。長くなってごめんあそばせ。
むすびに、東京にいた頃のあなたが最後に撮った写真を貼っておきます。擬似夫婦。馬事公苑での撮影、柔らかな陽光と緑の風が気持ちよかったね。またお手紙します。
バンクーバーより愛を込めて ヨーリーより
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