春が聞いてたよ、ニャーリーは好きかい?
猫のニャーリーの介護が始まり、どうにかお互い頑張って乗り越えている毎日。
輸液も3日過ぎ、血液検査をした結果少し数値も下がり、この調子でもっと下がることを祈りつつ、しかし現実問題色々壁にぶち当たっては抜け道を探したり、少し考えて立ち止まるというメイズな日々であります。そう、私はニャーリーとどう向き合うべきなのか。慣れない猫の介護に翻弄されろくに自分のことができぬまま3日過ぎて、ぼんやり考え込んでしまった。私大丈夫なんだろうか、と。もうニャーリーを最期まで看取れないんじゃないかと。不安になってぼんやりしてしまったわけだ。
ニャーリーは輸液効果でだいぶ毛並みもふっくらしたのだが、問題はこの輸液をいつまで続けるか。自宅で1人で輸液できるよう上手くゆくのか。そして排泄介護問題。彼女はチビ猫の頃から誰に教えられたわけでもなくトイレを探してやる猫だった。一度、近所の彩ちゃんちに預かってもらった時も、彩んちの猫のしじみちゃんのトイレで勝手に用を足すという、しかもちっちゃい体でよいしょいよいしょとしじみちゃんのトイレへよじのぼり、気持ちよくしゃーとしてる姿をしじみちゃんは驚愕の眼差しで見つめていたらしい。そりゃそうだ、縄張りを荒らされたようなものだもの。しっかりしてるニャーリー。こうして高齢になって具合が悪くなってもちゃんとトイレには辿り着いてどうにか排泄するのだが、上手くいかない時も多々。早速あれこれトイレを介護用にカスタマイズし、その下にペットシートだのなんだのと敷き詰めているのだが、びちゃびちゃ。1日に何度もそれを繰り返す。そして、食事も食べられるものにあれこれ挑戦。イワシの干物とおかかと熟成パルミジャーノと納豆のねばねばシートをぺろぺろするのが好きなので、それを組み合わせあれこれ食べさせてみる。まあとにかく口から食べてもらうというのが一番だそう、これって人も同じだよな。母が食べなくなった時も大変だった。
それで思い出した。
これって母が認知症になった最初の頃に感じた衝撃と切なさと虚無感にどこか似てるのだ。
ニャーリーはまるで親の介護ができないでいた私のジレンマをここで晴らすようにと言わんばかりに、私にあれこれ新しい何かを挑戦させる。
母の認知症の症状を知れば知るほど当時はただたただ衝撃で、泣いてばかりいた。鼻腔の奥におしっこの匂いが残ってお風呂に入っても離れないでいた。それは私の匂いの記憶がそうさせてしまったわけで、実際くっついてるわけでもなかった。そして、そんな母に会うたびに泣けて泣けて、自宅で介護することも真剣に悩んだが叶わないということに、また泣けて、しまいには母を見舞ってもぼんやりするしかなかった。
ある日、それを友達の矢作俊彦に打ち明けたら、「それは憐憫の思いと言うやつだなあ」と言われた。息子さんの事で憐憫の思いに囚われてどうすることもできなかったと時があった時おっしゃっていた。人って、どうにもできないことってあるんだなと、力虚しく俯いた。
でも、私は希望をみる。光射す方へ植物の蔓が伸びてゆくように。介護する私にはそれしかない。
そろそろ春だ。春は一番好き。
花が咲き始め、花を愛でる人の顔にもほんのり笑顔が綻ぶ。
毎朝、ニャーリーの輸液のために通院する途中、ガチョウ三兄弟が見送ってくれる。「ニャーリー、えいえいおー!」と言ってるみたいに。
保育園のミモザの黄色が揺れるたびに、猫と私の痛みがぽんぽんと癒されてゆく気がする。白い鳥たちが木々に止まっているようなマグノリアの花たちも、ニャーリーを応援してくれているような、寒い冬を耐えて健気に開花する春の花たち。
春が聞いてくる問いかけは愛でいっぱい。
悲しいこともある、だけど生きているものには明日がある。
春は、そんな生命の息吹を感じさせてくれる。
そういえば、歌手であり俳優だったりりィさんのヒット曲に大好きな春の歌がある。春が聞いてたよ、オレンジは好きかい?と言う歌詞が好きで、今、花たちにガチョウに歌ってる「ニャーリーは好きかい?」って。
春を待ち侘びるために、今夜の東京は春雨。
雨に濡れた仔猫だったニャーリーの20年前を思い出すそんな雨。