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ひとさらい

nee様、黒猫はるみ様、武富一門様へ

連名宛の書簡をどうかお許しください。

早いものでバンクーバーに来て半年過ぎようとしてます。

この地に来て、考えること、じわじわと思い出されることがあるのですが、それは此岸と彼岸についてであり、最後まで良いお別れができなかった最愛の人のことについてであります。春がやってくるこの時期は特に思わずにはいられません。

最愛と言っても皆さんがご想像するような仲でもなく、ただただかけがえのない人生の恩師であり、15やそこらの私の心をさらって離さないそんな存在でありました。目が開いたらそれが親だったというのだったら、15やそこらの小娘にとって大人の世界を教えてくれたその人は親同等の最愛の存在であり、今でも心から離れない存在なのであります。そんな人がある日忽然と姿を消し人づてに死亡報告を受けました。その後どうしたのか、お墓もどこかもわかりません。もうこの世から消えて数年経ちますが、なぜか永遠に私を離さないで今なおいます。

思えばその人は、まるで人さらいのように私の心をさらったと思うのです。

お菓子あげるから、おいで。

そんな感じに、人さらいが声をかけるように、いや実際お菓子あげるからおいでなどと言われたわけじゃないのですが、いつも声がけは優しい方でした、時折癇癪を起こし、周囲を巻き込んでは自爆してましたが。人さらいをしたくせに、さらった人をどうすることもせず、さらわれた方は自由なので、調子狂うんですが、心は完全にさらわれていて、どんなに遠く離れようが、またそこに戻ってくるような。で、その人はあれこれと人さらいをした挙句に、最終的に自爆したのだと思っております。

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挟んだ写真はその人が撮った18歳の頃のまだ恥じらいの塊のような私の貴重な一枚です。この頃の私は無意識の中で天然培養されていた少女のままでした。美術学校の受験に敗れ、ひたすら漢詩を読み、昼間は神宮前の路地裏の片隅にある小さな喫茶店でアルバイトをし、そこの前を仲良く通過するダッフルコートに身を包んだ村上春樹夫妻を窓辺の猫になって観察したり、ピテカントロプスだのなんだのと原宿の新しい文化を横目に、好きな音楽にまみれ、将来の不安などぼんやりとまだ考えられないままの少女でした。

お手紙したのは他でもありません、こうした人さらいの経験はおありでしょうか?という問いかけです。あるわけないでしょう!と返ってきそうではありますが、それでも聞いてみたくなりました。春がそうさせるのでしょうか。このブリティッシュコロンビアという先住民の暮らした地がそうせるのかもしれません。彼らの営みの中で、此岸と彼岸の間に立てる場所がある、そんな気がするからです。呪い的なものでしょうか。よくわかりませんがジャームッシュの映画『デッドマン』のラストのような。此岸と彼岸の間の不思議な世界観です。

不思議といえば、こちらに来て何度も見かける摩訶不思議なものがあります。それは街路樹にぶら下がる靴たちでした。それをみた途端、ティム・バートンの『ビッグフィッシュ』を思い出すわけですが、ではあの映画のようにここから出られない街なのか?と考えれば、そうでもない気がします。こないだはぶら下がるブラジャーを仰ぎみました。まるで何かの儀式なのかと想像すると楽しいですけれど。そんな私の想像力を大層面白がって耳を傾けてくれるウィットのある人でもありました。よく本屋に連れ立って本をたくさん買ってくれたりしてチボー家は読破できませんでしたが、あの頃流行った『パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集』がラタンのテーブルに置かれていた和田さんの表紙のアレがなんだかとても懐かしいです。

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人さらいのその人は私と同じ弥生生まれで、よく弥生会をしました。大好きな日本酒を飲みながら、桜も咲く頃。人の死に寛大であれ、もっと別れ上手になりなさいと笑い飛ばされた笑顔も春の予感と共に蘇ります。

ああ、もう2月も終わるのですね。

とりとめない手紙であいすみません。

まあ一杯やりましょう。ほろ酔いの中国の詩人みたいにいつの間にか寝ちゃいましたとか、遠方の友を思うとか、そういう気分であります。とか言ってたら、最後にその人と一緒に飲んだ時の写真が偶然出てきました。これも何か虫の知らせでしょうか。弥生の空は見渡すかぎり。かすみかくもか匂いぞ出る。いざやいざや、みにゆかん。


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ではまた。

洞口依子


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