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昨日の世界

最近、ふとツヴァイクが残したこの一冊を思い出す。

" なぜならば私は、われわれの記憶というものを、ひとつのことを単に偶然保有し別なことを偶然喪失する要素とは考えずに、意識しながら整理し懸命に無駄をはぶく力と見なしているからである。人が自分の人生から忘れ去るすべては、元来、内面の本能によってずっとそれ以前にすでに忘れ去られるように定められたものなのである。ただみずから残ろうとする回想だけが、ほかのさまざまな回想にかわって残される権利を持つ。それでは語れ、選べ、お前たち回想よ、私にかわって。そして少なくとも私の人生が暗黒のうちに沈む前に、私の人生の映像を見せてくれ!"
シュテファン・ツヴァイク『昨日の世界 Ⅰ』

先週からアレルゲンの症状が出た。喉が腫れ上がり、どうにもならない。咳き込むと止まらず気管支炎になってきた。そこへニコチン、つまりタバコのアレルギーが作用して、咳が止まらなくなった。問題は他者の衣服に着いた臭いだった。狭い車内の隣席。仕方あるまいと思うが咳き込んで鼻ももげそうに痛む、喉はぜいぜいする、もう本当にタバコをやめてくれたらどんなに生きやすいか。タバコの臭いだけで吐き気がしてよく唾を吐く。唾は服に拭っている。口内を濯いでどうにか飲まないようにする。免疫が低下してる時は痒くなって口内や喉が大変だ。

ツヴァイクの話に戻そう。
ヨーロッパがまだ分裂してなかった頃。第一次大戦前くらいの、その頃に行ってみたいと思った。世情が今と変わらない気が、しないでもない。でもとても知的で品性に溢れているのだ。そこは違う。
私はあの時、愛しい人にこの一冊を渡されて救われた。ウェスの描いた世界がここに全てあったのもそうだが、何より、かれも私も同じ感性だったということに救われたのだ。そして、そのことについて語り合ったあの空間に射し込んだ西陽やクッションの木綿の感触が懐かしく、夜更け近くまで語るつもりがうたた寝してしまい、闇の中にぽつんと置かれた筆跡がとても美しかったことも、まだ私の記憶に十分ある。

品性というと、言い訳がましい泣き崩れた声がまだ耳にこびりついている。
あれに同調できなかったのは、品性も知性も感じられなかったからだ。せめて愛らしさがあれば救われただろう。誰も愛さない人は悲しい。愛し合うことは大事だ。愛し愛されるのではない、愛し合うのだ。

ヨーロッパの遺書。
そう呼ばれる本書。ブラジルでのツヴァイクの自死を南洋での自分に重ね考える。
私は何も残さない。
何も残さず、いきたい。

認知症を患った母を前に、少し苛立った。私の話を真面目に聞いて欲しかった。
母は少女のようにおどけて見せたが、苛立った私の瞳に涙が溢れているのを察し、母の瞳も赤く充血してきた。だから慌てて優しい眼差しを装った。

彼女だけだった、最終的に私の話に耳を傾けてしみじみ話せる人。
清潔な部屋で美味しいご飯を食べさせてくれてお茶を一服飲ませてくれて、清潔な寝具に寝かしてくれた人。
私と旅に出た時も、私の脱ぎ散らかした服やグラスを片付けていた人。
私の家に泊まりにきたときに、うぉーたーベッドの寝心地に、これじゃああれする時大変でしょう?と少女のように冗談皮肉めいて笑い飛ばした人。
母との幼い頃の写真を飾っていたら、しみじみと昨日のようだと呟いた人。
母との2人きりの時間は素晴らしかった。

全ては、「昨日の世界」だ。

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