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タコス屋で会いましょう

ヨシミへ

まだ終わってない!

という書簡をいただいて口の顎の奥のあたりから何やら酸っぱ苦いものが口中に広がって思わず、そのセリフは沖縄の孤高のミュージシャン「やちむん」の合いの手じゃないかと、わあああとなった。そして、君の書簡の最後にあったあの1991夏の沖縄での出来事と何故か2022年の今がとんでもない時空を超えて繋がってしまったという、インターステラーの TARSでも引き連れていないと時空の隙間に挟まったまま一生出てこれないような気がしてならないからここに少しだけチルチルミチル的に吐き出して置いておこう。って、ほんとまだ終わってない!と言ってもいいんじゃね?と小声で言いたくなる伝説のオキネシアンムービーの誕生。ずいぶん記憶も朧げなあの1991年夏沖縄伊是名島。私はあの夏に「沖縄」というカオスを覗いてしまったような気がする。あれこそがオキネシアンムービーこと映画『パイナップル・ツアーズ』全3話の伊是名島ロケだった。どこだよ伊是名島。那覇空港から58北上して運天港から船で行くんだよ。沖縄初上陸という私になかなかハードルの高い数週間のロケが待っていたのさ。なんたって会う人会う人が妙ちくりんというか、赤塚不二夫の漫画の土管から出てくるようなキャラクターばかりで、何がなんだかわけわからない。さらには、私が演じた本土からやってきた富士菊ちょうちんグループというまたこれも怪しい会社のデベロッパーの女という怪しさの相乗効果。私の白い柔肌を保つためにいつも日除け傘をさしてくれるスタッフのエンちゃん、本土から搬入した洗顔用ミネラルウォーターがなくなればでかいヤカンで硬水の水を煮沸してくれた制作の大牟礼さん、そして第3話の監督のハヤシこと當間早志、いつもギタラ展望台の天こっちょで昼寝をキメていたプロデューサーの代島さん。灼熱の中懸命に働いていた助監督の岸本とかね。1話の監督の真喜屋もまだ琉大生みたいなノリだったよね。あの現場に君もいたんだ。何故か前歯がいつもおかしな位置にあって、なぐりをぶら下げたボロボロのジーンズは決して流行りのおしゃれではなく、素足に革靴という石田純一よりもおそらく早かろうそのワイルドないでたちが、君の印象だった。

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東京からの出演者は私と利重剛さんのみ、ほぼ沖縄のスタッフと沖縄の共演者に囲まれたあの島では信じがたい出来事がたくさんあったんだ。ガジュマルの木の下で何か不思議な大きな光が私たち東京からきた大牟礼、金太郎、3人を襲った時の話など、今でもなんじゃそれはとそっくりかえるような出来事だったよ。「あ。それはキジムナーさー、ガジュマルの木にいる精霊だよ、何かいたずらしに来たんじゃないの?フフフ」って第3話の監督のハヤシに言われた時は本当にぶっ飛んだよ。なんだよキジムナー!なんだよ精霊!って。あと、私の出演しているその第3話は、ほぼほぼ日中のロケが多かった撮影にもかかわらず何個も台風が襲来したこと。第3話を撮影する頃はもう滞在日数もカウントダウン推し迫っていたし、あれは本当に大変だったよね。未曾有の大型台風が何個も。子沢山の春川ますみ扮するトラック野郎の母ちゃんの股座を連想するくらいおおらかで多産な台風天国の伊是名島だった。正直、沖縄であんな台風を経験したのは生まれて初めてで、ワクワクしたものだった。古い民家に民泊していたスタッフは雨戸を古板でバッテンに釘打ってるし、そんなの見たのも初めてだったな。台風が何個も来れば荷物を運ぶ船も来ない、小さな島の商店には食料もなくなる。動物性タンパク質がないと自炊班が嘆くと、スタッフが夜釣りに出て小さな魚をバケツいっぱい釣ってたよね。「ありがたいんだけど鱗とるだけでもう大変よ」って、公民館の台所裏の西陽に背中を丸めてた大牟礼さんを思い出します。食事班による自炊の毎日だし、南の離島だし『神々の深き欲望』の今村プロじゃないけど、なかなかハードなロケだったなあ。台風の後、美術の大事なパイナップルの巨大なハリボテは消えるし、ボートピープルの船は停泊するし、本当に「島は大騒ぎサ〜」だったよね。ジリジリ焼けつくような真夏のアスファルトを裸足で車を牽引するスタッフたち、蝉の鳴き声を止めるのに爆竹を投げていた君の姿を、ああ、あの島での出来事を思い出し、ここまで書いてて酸っぱ苦さが口中に広がってきているよ。

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島での私ときたら、アルトマンの『マッシュ』のホークアイ気取って、マティーニとまではいかずとも、本土から個人輸入したウィルキンソンとカンパリを夕暮れには決めて、夜にはフェルネブランカやテスターズチョイスのコーヒーにベイリーズなんか入れて舐めながらジタンを燻らし、あの夕暮れが象る稜線のシルエットの美しさとやがてミッドナイトブルーの帷が降りてきて、お月さまや満天の夜空の星たちをよく眺めたものだ。星座なんかよくも知らないのに勝手に繋げては〇〇座なんか呼んで、ネットもない時代に孤島にひとりぼっちを楽しむしかなかったんだ。そんな私にロケ現場でちょくちょく人なつこく話しかけてきたのが、川満しぇんしぇーとアフリカンのユリア・ティーゴだった。あのタコス屋の店員の凸凹コンビ役が面白くて、「タコス屋で会いましょう」という私のセリフをみんなで真似して遊んでたのよね、ただ意味もなく。面白いセリフでもないのに、アフリカンのユリアが言う発音の妙なのか、川満との掛け合いが面白かったのか、今では記憶にないけれど。で、なんとそれを歌にして歌ってしまったというとんでもないことをやらかした人がいて、その人は何故かいつもギター片手に衣装部屋でヒッピーみたいに歌っていて、この人なんの役なんだろうと探ってたらスタッフだというし、スタッフなのに衣装部屋でギター抱えていつも歌ってる人って私初めて見たんだ。そしてある日、「洞口さ〜ん、ドライブ行きませんか?」って誘うの私を。しかもあの未曾有の台風の中。土砂降りで道も何もわからない、まるで洗車マシンの中を行くような危険極まりない坩堝を。なんで私がその人と台風の中ドライブに?って何度か断ったんだけど、面白いよーとか、島ではこれがフツーさーとか、私を焚き付けるいろいろな理由を乗っけるもんだからつい、ノリで行ったんだけど流石に怖くて引き返してもらった。台風のドライブおもしろいな〜!なんてその人は笑ってましたけどね。で、ある日、映画のロケの中打ち上げだったかな、そこでその人が歌ったのが私のセリフから詞を書いたとかいう「スギモト・ブルース」だった。嫌な予感はしたんです。ちぇっちぇちぇ〜♪ってはじまって、歌詞が全部私のスギモトという役のセリフの洪水でびっくりしました。♪タコス屋で〜会いましょう〜♪ワイルドがおしゃれ〜〜♪って歌い上げるその人を見て、私は全身から汗が拭き出し、ただただ「恥ずかしい」という気持ちでいっぱいだった。その歌を歌った人が、のちの「やちむん」リーダーの奈須重樹さんなわけなんだけど。奈須さんの存在も91年夏から知ってるんだね、私。奈須さんの写真がここにあるから貼っておくけど、鈴木茂さんプロデュースで彼がアルバムを出すとは91年夏に誰が思ったかしらね。ある意味、奈須さんもドライブ感半端ないわよね。

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そして、そのやちむんが30周年記念だと言うことで、昨年末に首里劇場でハヤシが監督した音楽ドキュメンタリーを上映したけれど、その中でも歌われている「タコス屋で会いましょう」を久々に聞いて思わず、あの時に全身から汗が吹き出して恥ずかしかった91年夏を、『パイナップル・ツアーズ』伊是名島ロケのデイゴ広場の長閑な情景を今でも思い出せるのだから不思議よね。映画のサントラでもない歌を。そして、あの91年夏がなかったらきっと私と君との付き合いも、ハヤシをはじめとする沖縄っ子たち、ここまで濃ゆい沖縄との関わりもなかったわけで、その『パイナップル・ツアーズ』も40周年記念とかになるらしいね。5月にデジタルリマスター&リバイバル公開予定ですってよ、まさに“まだ終わってない!“ってすごいわね。そうよね。あの映画に焼きついた伊是名島の時間は永遠で、あの島の匂いやなだらかな版画のように美しい稜線のシルエットや空や海はあの映画に焼き付き、そしてやちむんの音楽に歌われているわけで。朧な記憶だったけど、そんなことをこの冬のバンクーバーで思い出していたよ。

折下今日は土曜日。ケイシーのアメリカントップ40から「タコス屋で会いましょう」が流れてきてもおかしくないような謎の時空にレイドバックした土曜の午後だよ。

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ではまた。ご機嫌よくお過ごしください、お誕生日おめでとう。元気でいてよ。

バンクーバーのヨーリーより

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