ありがとう2024
怒涛の一年、2024年が幕を閉じる。
初日の出を水仙の花越しに拝み、私は庚申様を巡る。
あちこちの庚申様に会いに伺い、この1年どれだけ対話したか。
おかげでどうにか、ハッピーだけど過酷な道のりもなんとか乗り越えられたから、本当に庚申様はありがたい存在であった。
正月から美味しいものを口にできた1年だった。
海鼠や魚の浮袋、アヒル、豚、鶏、そして燕の巣。
沖縄で食べた美味しいおでんのテビチ、コザの頬が綻ぶほど美味しいピザ。
でもなんだかんだ自分で作る煮物やすき焼きが美味しくて
ごぼうや大根や里芋をよく食べた。
いいことはたくさんあった。
代表する5つを挙げれば、
将軍の配信とエミー賞受賞。
FMシネマサウンズでラジオ番組で声の仕事がかなったこと。
俳優40周年イベントで映画祭を開催し、記念冊子を作り上げられたこと。
長年の夢のレコードをプレスできたこと。
宮田吉雄さんの墓参りができたこと。
初めて出会えた人や再会の時間も嬉しかった。
写真家沢渡朔さん。
詩人の佐藤よしみさん。
元所属レコード会社社長丸山茂雄さんとの再会。
人には会うものだ、実際に会って、語らうことは大事だ。
それを再認識させられた1年だった。
去っていった人もいた。
篠山さんの訃報は正月明けで、12月にお別れ会。
人との別れってどうあるべきなんだろうとふと思う。
でもそれ考えているよりも、今、そうだ、今会うべきだ、
会えないなら、手紙を書くべきだ。手紙が出せないなら、電話をすべきだ。
なるべく対話するべきだ。
そして笑顔でまたねと別れたい。
人という存在に固執しないということも悟った1年だった。
一年人という存在を観察して今さら気づけたことだった。
人とは交われない、人と交われるわけがない、
人は天涯孤独である。でもいつの間にか群れをなす。成長という過程で
そうなるのだろう。そういえば、60過ぎて群れから外れるとやばいぞと言われたことがある。でもだからと言って、先々の不安に、人をあてにするような生き方は小賢しい。あとどのくらいなんて考えることよりも、そんなはかれぬ未来よりも、過ぎ去った過去よりも、人との対峙は「今」だと私は思うのだ。
だから、会う。会えない人には、手紙を書く。電話を。勇気を出してよかった。
たくさんの人からご祝儀やご声援をいただいて映画祭を開催できたこと、映画や人の話を通じて文化交流をできたこと、そして冊子を作り上げられたこと。レコード制作に果てしない道のりがあったこと。多くの学び、奉仕、試み、いろんな壁を突き抜けた。
1人で歩き始めた道には、いつの間にか誰かがついてきてくれたり、歩けなくなった私を支えてくれたり、本当に、思い出しただけで、涙溢れ出てくる。
その間、会えなかった母のことも。
私が作った轍にはタネを撒いた。やがて芽が出るのか、わからない。何も育たないかもしれない。でも人がそこをまた歩ければいい。何もないだろうその道をただなんとはなしに、楽しめればいい。
59歳。
死に損なった38歳。58歳。
私は生きた。生きている。
本当にありがたい。生きているだけで、本当にありがたい。
生きる尊さを、突きつけられた一年だった。
感謝でしかない。だめだ、ここまで書いて涙溢れてもう打てない。
ありがとう。
さよなら2024年。