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アチコーコーの島とうふ

武富一門弟子の涼へ

石にまつわる幾つかの事柄についての書簡をいただき、この石について宮古島のneeさんの書簡からも大事なことが書かれていたので驚きました。それは宮古島の画家であられる宮原昌茂さんによる石垣の絵でした。鮮明には見えませんが宮原さんは大事な石積みは決して積みなおしてはならないという警鐘を鳴らすためにも絵に描いたんだと思うのです。積みなおしてはいけないとあれほど言ったにも関わらず消えていったある石垣についても触れられていた。離島にも消えてしまってはならない沖縄を深く知る上で貴重な文化財がたくさんあると思います。沖縄の消えゆくものの運命について以前君がこんなことを言っていたことを思い出しました、「貧しいってそういうことですよ」。以下、neeさんによる宮原さんの記事を留めておきます。

石の話から急に柔らかな豆腐の話をさせてもらうね。

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昨年、長い沖縄滞在中の自炊の楽しみは島にある食材で作る料理でした。野菜も肉も魚もですが、特に東京ではなかなか手に入らない島とうふは食卓に欠かせない存在でした。そもそもとうふが好きなんだけど東京では絹と木綿と料理によって使い分けるのに対し、沖縄は「ゆし」と「島」しかない。あっても厚揚げでしょうか。毎朝早くに島とうふを買いに近所の商店へ行くのが楽しみでした。そこでは嘉数豆腐が売っていて、ご存知の通り、島とうふの一丁は大変大きい。単身暮らしの私にも優しい半丁のそのまた半丁サイズも売っていたのがありがたかった。人気だったようで昼過ぎに行くと売り切れていて、そんな時はスーパーに並ぶ永吉とうふを買っていました。ある日、アチコーコーのとうふが売り場から消えるという知らせを受けて、本当かいな?そんな県民がえええー!っと悲嘆するようなことやるかな?と定点観察していたのですが、やはりある日を境に、アチコーコーが並ぶプラスチックのコーナーにはプラスチック容器に梱包された島とうふが窮屈そうに並んでました。お前アチコーコーじゃないのか?と私も思わずとうふに向かって声をかけてしまったほどです。アチコーコーの島とうふをビニール袋を縛らずに開けっぱなしで並べているその様子を最初目にした時、なんで??と思ったのですが、島とうふを作る過程を見ていくと、なるほど冷水になんか潜らせない、アチコーコーのまま売られ庶民の口に入るものなのだと納得しました。特に、ゆしとうふのアチコーコーを朝食にいただける贅沢さ。私はある朝それがやりたくて、嘉数豆腐の所在を突き止め、早朝にアポなし突撃。住宅街の中にひっそりとある小さな工場。のら猫みたいに庭を突っ切って奥の工場を覗くと、地窯が二つ並んでいる。朝のとうふ屋からは豆の美味しい香りと湯気がモワモワとしてそれを眺めただけでも朝の幸せを感じたくらいです。突然の客に少し困っていましたが(きっと作る数は少ないから店におろす数は決められているはず)ゆしならいい、ということでラッキーな事にゆしをゲットできたのでした。

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繁多川にはとうふやがたくさんあったと君から聞いていたので、他も巡ってみました。東京に帰るときに必ず空港土産で買っていた美味しい島とうふは、繁多川近くの真地とうふだったのに、そこはもうなくなって、他のとうふやが引き継いでいるようだ。識名にある瑞慶覧とうふは牧志公設市場の入り口でよく売られてて、美味しいので二日酔いに何も食べたくないときなど滞在中は重宝していた。ある日、看板がある角を入って瑞慶覧とうふの工場をのぞいていたら、近所のおばちゃんが「だあれ?」と声をかけてきたので、とうふを買いにきた者ですと答えると、「もう2、3年になるかしら、とうふ作りはやめたって聞いてますよ」と返ってきた。がっかり項垂れながらションボリしていると、猫がやってきて、こっちこっちと私を誘うものだから、細い道をいくと、火の神が祀られた祠がありました。もうほとんど霊園に続く道ではありましたが、その細い道こそが、真玉道で、あの首里城から真玉橋までをつなぐ金城の石畳の道からずっと続いている道だったのです。猫に誘われないと人がやっと一人歩けるほどの道なのですが、ぐんぐんとそれはある方向へ確実に伸びている古い道ではあったので、真玉道だと知って、びっくりしました。

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それにしても繁多川付近にはたくさんとうふ屋があったはずだと聞いたのに、結局嘉数豆腐しか見つけられませんでした。他は機械で作る大きな工場だし、県内でも地窯で作る、しかもにがりを海水を使用するような古い作り方をしているとこも消えゆく運命であると、宮古島の石嶺とうふから聞きました。コロナが蔓延する前の夏、サリーと君を連れて石嶺とうふのアチコーコーを食べてもらいましたよね。ご多分に漏れずあそこも絶滅の危機に立っているわけで、でもそれ以前に嘆いていたことがありましたね。まるで当たり前にここにくればいつでもイートインできるみたいに思われていることだと。どこからそんな情報が流れるのかしらね。石嶺とうふにイートインなどないのに。

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ふと、石にまつわる話から島とうふの話をしたくなったのですがどちらにも共通しているのが、先人たちから継承していく謂れがあるということ。そんなことをこっちにきて、味気ないとうふを突きながら、美味しい島とうふの行方を考える私です。本当、宮里千里さんをお迎えして沖縄島とうふ会議を開催するべきなんじゃないかしらね。

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ではまた。どうぞご機嫌よくお過ごしください。元気でいてよ。

日本の昨日にいる 洞口依子より



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