孤独と自由(笑)
ここ数週間調子が悪い。毎年十月はこんなもの。高校を辞めたのも、バイトを辞めたのも十月末だった。学校にはなんとか通えるけれど、他のことはできない。食事も疎かになる。今日は十時半頃に布団に入ったのに三時頃に目が覚めた。練習も殆どしていない。スマホとパソコンばかり触っている。余計な思考ばかり巡るから疲れる。なんとかこの時期を乗り越えることができればいいのだけれど。
急に夏が去って秋を吹き飛ばして冬が来た。服を選ぶのが下手。今日は寒かったからセーターを着て学校に行ったら汗をかいてしまって冷房をつける羽目になった。かといって半袖にカーディガンだと寒い。アウターを着ると暑い。もうどうしようもない。
高校生の頃、猫を拾った話は書いたっけ。去る2020年10月7日、乃木坂46のDVDが届いて「さあ、見よう!」とディスクドライブにセットした瞬間、母上が「野良猫が車に轢かれたんだけど……。」と一言。道に置き去りにされた猫を回収し、急いで近所の動物病院に駆け込んだ。あのとき、おれはセーターを着ていた。なんなら暖房をつけていたような記憶。そう、四年前に秋は確かにあったのだ。
屈託とした気分を変えるために髪を切った。伸ばしっぱなしの捨て犬のような手触りだったボブをショートにした。ショートはアホ毛が目立たなくてよい。微妙にくせっ毛。彼の人に撫でてもらった髪の毛。パーマや染色を薦められることも多いけれど、きっとやらない。彼の人が褒めてくれたものを自らの手で手放すようなことはしない。今度はもう少し前髪を切ろう。長いのはまた今度。
定位置。廊下側(上手)の最前列。どの授業でも同じ。あ、大きい教室は首が痛くなるから前から五列目。板書が視線の左側にあってほしいから。発作を起こしたとき脱出しやすいから。隣や近くに誰も座らないから。
周りの人間に気を取られて授業に集中できないことが嫌。小声で話したりは周りにも迷惑。だから一人。最初はそれでよかった。顔見知りなんていないから。自由気ままに学校生活を謳歌していた。ただ、半年経って状況が少し変わった。多分その授業におれしか顔見知りがいないのだろう、近くに座ってくる人がちらほら発生してきた。別にそれ自体はいい。ただ、授業後少々雑談をしながら歩いていると知り合いを見つけて遠くへ行く。一瞬の淋しさと不安を癒やすためだけの存在。特別仲がいいわけでもないおれに縋らなければならないほどに、孤独がそんなに恐ろしいのだろうか。
ある人に呼ばれた。恋愛相談。当の本人のことも相手のことも殆ど知らない。ただ呼ばれたから話し相手になった。予定の時間になったから切り上げた。今度また話し相手になってと言われた。特に予定もなかったから了承した。その時間になったから指定された場所に行った。一時間程度待ったけれど来ないから帰った。買い物に行きたかった。売店でお弁当を注文して、待っている間に連絡が来た。「通りがかった知り合いと話していた。」
やっぱり、独りが一番。誰の顔色を気にする必要もない。誰かの責任をとる必要もない。気の向くまま。
何をしているときが一番楽しいだろう。八月末に新しいウォークマンを買った。びっくりするほど進化していて、それを弄くって遊んでいるとき。いつか演奏したい曲を譜面に書き起こしているとき。コーヒーを点てて飲んでいるときは……。最近は安い豆を大量に買い込んでちびちび消費している。味に飽きた。本も買ってはいるけれど積読。SFはカロリーが高い。野球はマリーンズもパドレスもシーズンが終わってしまった。練習室で応援歌を弾いているとき。あれは楽しい。球場でもやりたい。手に取った楽器を間違えてしまった。
おれの楽しいことには誰の影もない。時折周りを羨ましく思うこともあるけれど、その心も風に吹かれて飛んでいく程度には軽い。誰かと関わるのは苦痛。カウンセリングすら億劫になってキャンセルした。元気があるときにしてくれ。別に今も元気なんだけれど。
あることないこと噂を立てられたり、陰口を叩かれたり、化け物を見るような目で蔑まれることも珍しくない。その刃を受け流し切れずに身を裂かれてしまうことも多々ある。そこまで強くはない。けれど彼らのように独りでは何もできないくせに群れて強くなったと勘違いしてしまうほど弱くはない。なんて強情を張り続けて生きる。そうでもしないと生きていけない。それは弱さなのかもしれない。
とかいろいろ言いつつ、
結局のところ他人の責任を取りたくない、自分の責任を他人に背負わせたくない。他人の行動に振り回されたくない。
ある人がバンドを辞めて正社員になった。音楽を辞めてしまった訳を尋ねた。「ボーカルが結婚して子どもができたから。」おれは、そのひとが「そのボーカルが「自分の幸せのために音楽を辞めるような人」だと、それまでにどうして気づくことができなかったのか」ということが疑問だった。口に出そうとしたが止めた。
アンサンブルでもそう。ドラムが、ピアノが、管楽器が、とか考えたくない。自分の中にあるイメージを他人と共有することは不可能。「どうしてイメージ通りに演奏してくれないんだ!」という憤りすら邪魔なのだ。自分のイメージを自分で再現できないのなら練習すればいいだけなのだから。
自分の下手さが嫌になる。調子が悪いと言って練習をサボってばかり。ちょっと無理して練習した方がかえって暖まっていいのかも。明日は早起きして学校へ行こうか。