私の一部であり、娘の一部にもなる日記
私の習慣にしていること
それは「日記」を書くこと。
日記は娘がお腹にいる時から書いているのだけど、最初は自分のために書いていた。いつか娘が大きくなったときに、私が読み返して思い出となるように。
最近は、娘への手紙として書いている。
今日は娘とこんなことをしたよ、こんなことを言っていて嬉しかった、などなど。
本当に些細なことや、大きな出来事も。
私は去年母を亡くしたのだけど、心に穴が開いたと言う言葉とおり、すごい喪失感だった。母を失っただけでなく、自分の一部を失ったような感覚で、この1年本当に落ち込んだ。
私を育ててくれた母を失ったから、自分の一部を失ったような感覚にもなるよな〜と思っていたけど、本当に私の一部がなくっていると言うことに気づいた。
それは、私の幼少期を失っていた。
幼少期の記憶って、所々あったとしてもほとんど忘れている。
小さい時に行った家族旅行も覚えていない。それらのたくさんの私の幼少期を覚えていたのは母だった。
母が亡くなり、私の幼少期を覚えている人がこの世に誰もいないのだ。
それが分かってから、私の日記は娘への手紙へと変わった。
いつか私がいなくなった時、娘の一部をこの世に残せるように。
そしてきっとこれは私の一部でもある。
時間は止められないけど、時間をこの日記に刻んで、いつか必要になる日まで続けていく。
これが私の習慣。