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初めての瞑想合宿参加体験談。(3日目)


【※全文無料で読めます。】



両脚の痛みを抱えつつ、三日目の朝が来た。
果たして今朝は、わたしにとっての新しい朝、希望の朝となり得るのだろうか……。そんな疑念と共に起床の時刻を迎えた。


しかしながら起き上がっても相も変わらずギシギシ痛む脚たち、坐れど坐れど、我が脚は楽にならざり、ジッと膝を見る。そんな心境の中、わたしの長い一日が幕を開ける。

いつも通り、4時過ぎに起きて支度をし、洗顔歯磨きなどを済ませ、瞑想ホールへと向かう。

だが、その足取りはリアルに重かった……。
"未だにこんなにも激しく両脚が痛むにも関わらず、これから1日、また長時間坐らないといけないのか……(つらい)"

しかし、これも修行……!そもそも"かなりキツく、苦しい"ということは既に了解した上でこの瞑想合宿に参加している訳で、誰かに無理矢理銃を突きつけられて脅されながら京都の山奥へ連れて来られた訳じゃないのだ。
自ら進んで、"ヴィパッサナー瞑想の修行法を学びたい!"と、燃え盛る炎に飛び込んだのであって、体に何らかの痛みが現れる(かも……?)ということは、事前に織り込み済みだったはずだ。

しかしながら、わたしは"そうは言っても……二ヶ月前から家や職場で坐って来たしな。今は一時間ちょっとは動かず坐れるようになっているし、きっと乗り切れるはず…!"と、高を括っていたのだ。自分だけは大丈夫…!という過信が無意識に潜んでいたことを思い知らされた気分だ。


周りを見ると、皆んな淡々と坐っているように感じられる。
自分だけが脚の痛みなんぞで右往左往している気がして来て、どんどん気が滅入っていく。    
取り敢えず、昨日に引き続き、クッションや毛布を使い、自分なりに坐り方に工夫を凝らす。
どうにか…どうにかこの痛みよ軽減し給へ……!!
そんな祈るような気持ちであった。


だが、そう簡単にはいかず……、目をつぶって坐っていても、脚が痛過ぎて集中が出来ない。どう坐り直しても太腿全体と両膝が悲鳴を上げる。苦しくて仕方がなかった。
それでも、"鼻の下の部分……呼吸が通るのを感じよう……!"と必死に一点集中しようと必死にもがく。  
すると、少しずつだが、鼻腔を通る空気や、その温度を、今までよりは幾らか長めに感じられるようになって来た。
"やった…!これでまた一歩前進だ!!"
そう内心で小躍りしつつ、更に集中しようとしたその時、ただでさえ大きな詠唱の音が、更に鼓膜に響いてくるような感じがした。
そして、特に左耳に、空調の音がどんどん大きくなって行き、最終的には、ゴエンカ氏の詠唱とは別に、男性が何かを唱えているような声(何となく般若心経っぽかった)のようなものが聞こえ始めた。

"!!??"

わたしはかなり狼狽えた。
何故なら、今まで自宅で瞑想中にこんなことは起きたことなどなく、思い返してみても"キーーン"と耳鳴りがしたぐらいで(ちなみにすぐ治った)人の声のようなものを聞いたのは初めてだったからだ。

そういえば……、とふとわたしは思い返していた。
二日目、休憩時間に、やけに左耳の辺りで蚊が飛んでいるかのような音がしていた。その際は、"自然豊かだから、虫の音も四六時中聞こえるのかな?"などと、牧歌的な感想を抱くのみであまり気にしていなかったのだが……よく考えてみれば、近くに蚊などの虫が居ないのにそんな音が聞こえる方がおかしいのである。


今、坐っている瞬間の聞こえ方の変化も、多分この時から始まっていたのでは…?と脳味噌が高速回転していた。


(※この記事を書いている今当時を振り返ると、元々聴覚が少し過敏なところに、様々なストレスや合宿中の特殊な環境、という状況が重なったことで、一時的に音のキャッチ機能の調節がおかしくなってしまったのだと考えられる。現在はこの症状は殆どなくなりました。)

三日目になり、聴覚の異変をキャッチしてからは、元々の両脚の痛みに加え、聞こえてくる様々な音たちにも二重の意味で悩まされ続け、個人的にはまさに地獄のような日々の開始を肌で感じているところだった。

とはいえ、そんな二重苦のせめぎ合いの中でも、指導者の先生の言葉を信じ、"鼻の空気の出入りに意識を集中…"と心を一心に傾けていると、鼻腔に入る空気の冷たさや暖かさ、くすぐったさなどがグッとリアルに感じられて来るようになった上、どうしようもなく痛む両脚の"一番痛いと感じる部分"に焦点を当て、痛みを感じ、ジッと観察しているうちに、どんどんその"痛み"が分解され、いつしかスッと消えるのがわかったのだった。例えば、膝が痛くて堪らない時、膝のもっとも痛む部分の感覚をつぶさに感知し続けると、痛みの場所が移動して行くのが感じられ、次第に消えて行く、という不思議な現象が起きる、というような感じだ。

これが、アニッチャー…!(無常)

痛みはずっと続くわけではなく、いつかは消滅するものなのだ、と感覚的に"了解"した瞬間だった。


"事前に読み漁っていた色んな方の体験談や、指導者の先生の助言は、このことを言っていたんだ!!!凄い……。本当に観察してると物理的な痛みって消えるんだ……。"
この出来事に遭遇した時、わたしは坐りながらも密かに興奮していた。
百聞は一見に如かず、とはまさにこのことだと実感出来た喜び、とでもいおうか。


だが、こうして脚の痛みには徐々に向き合えるようになったものの、どうしても聴覚過敏が気になって仕方がなくなっていた。
体感として、周囲の色んな物音を一気呵成に拾い上げていると言っても過言でないほど、兎に角様々な音が耳に入り、気になりまくるのだ。

3日目の午前中の瞑想時、キーーーン……!という耳鳴りが両耳に大音量で響き渡り、"これは本当に色んな意味でヤバいかも知れない……。"と、最早ゆったり坐っているどころではない心境に突入していた。


ここで、昨日同様、お昼休憩後に指導者の先生との面談を申し出た。
脚の痛みはだいぶ軽減したが、今度は聴覚の問題が出現したため、このまま残り数日間を耐えられるか、非常に不安だったのだ。

指導者の先生の前に坐る。未だに緊張でドキドキする。
"実は……脚の痛みは瞑想中の観察で、だいぶ軽減したのですが、今度は聴覚がとても過敏になってしまって……耳元で詠唱がずっと鳴っていたり、虫の飛ぶ音や空調の音を拾ってしまい、それがずっと続くかと思うと不安で、瞑想にも集中できません。こういう時は、どうしたらいいのでしょうか。"

すると、先生は、
"瞑想中は感覚が鋭くなるので、音にとても敏感になることがあります。ですが、そんな時もただ呼吸に集中するのです。鼻に入ってくる息、出て行く息を観察し続けなさい。そうすると、自然と周りの音も聞こえなり、background musicになっていきます。心配しなくても大丈夫です。"
と、答えました。

"呼吸に集中……"そうしたら、今気になって仕方がない様々且つ厄介な"音"もただの環境音として処理出来るようになるのだろうか……?
正直、胸の中の不安は拭いきれなかったが、そこはグッと堪え、"わかりました。出来る限り集中してやってみます。"と伝え、瞑想ホールから出て、部屋へと戻った。

部屋に入ると、すぐさまドサっと布団にねっ転がった。その瞬間にも絶え間なく左耳に虫が飛び回るような音が響いている。

"これは今だけの症状なのか……?
もしかしたら、本格的にわたしはおかしくなってしまったのだろうか…?
いや、でも、きちんと修行していれば、この危機的状況をヴィパッサナー瞑想によって乗り切ることだって可能なのかも知れない……。
しかし、しかし……。"


終わりの無い疑問と不安は尽きないのだった。


部屋に居ても悶々とするだけだったので、気分転換に外へ出ることにした。
自然豊かな中庭を歩く。
ポツポツと、他の参加者の方々も、思い思いにベンチに坐ってボーッとしたり、体操したり、空を見上げたりと様々に合宿所の自然を堪能しているようで微笑ましかった。

わたしは、道端に咲いている鮮やかな紫の花を見つめ、しばしジッとしていた。
すると、何処からともなく蟻たちが花の周りへやって来た。


"立ち止まってこうして蟻の行進や花をまじまじと見るのって、もしかすると小学生以来かも……?"

そして顔を上げると、ザアッ……!と一陣の風が吹き、わたしの髪の毛は一気に乱れた。
しかし、そんなことも気にならないぐらい、何故だかその吹き抜ける疾風が非常に心地よく感じられた。風を全身で浴び、そしてその感覚を体全体で受け止めるという、ただそれだけの出来事なのに、不思議と新鮮な気持ちになっていた。

何だか、さっきまで耳のことで悩んでいたのが馬鹿らしくなって来て、まだ調子は悪いし相変わらず何らかの音は拾っているものの、"気にし過ぎるのもよくないよな…"と少し落ち着きを取り戻すことが出来た。


そうこうしている内、気が付けば午後の瞑想の時間が迫っていたため、急いでトイレ休憩を済ませたのち、再び部屋に戻った。
この時はグループ瞑想の時間ではなかったため、自室にて瞑想クッションを敷き、そこで一人坐った。


最初は、相変わらずの聴覚過敏につき、音が気になった。そして、脚も少し痛み出した。
その二つに気を取られぬよう、出来る限り鼻腔に意識を向ける。

暫くすると、眉間の辺りがムズムズし出し、雑念の飛び交う中、少しずつ呼吸に意識が集中していくのを感じた。何分経ったか定かではないが、音も気にならず、脚の痛みも感じず、ただぽかんと"坐って"いた。(ような気がした)

すると、二日目のアーナーパーナー瞑想開始直後、あんなにも職場に対する怒りや苦しみ、憎々しさが溢れて来たのと打って変わって、今度は、
"ああ、昨日はあんな酷いことを考えてぷりぷりしていたけれども、こうして此処に来られたこと自体、奇跡的なんだよな…。普通だったら、前日になってから急に、約十日の休みを下さいなんて、余りに突然にも程がある申し出なのに、揉めたとはいえ何だかんだ休むことを了解して貰えたのは中々無いことだろうし、だからこそ、わたしは今、坐って居られてるんだ。それって有難いことだよなぁ…。
そして、融通が利かない性格が嫌で堪らなかった同僚の存在もそうだ。この人がきっかけにならなければ、そもそもこの瞑想合宿に行こうとはならなかった…。
ということは、この苦手な同僚にも感謝だわ。お陰でこうして此処に実際に来ることが出来たんだから。"
という、感謝の思いがドバドバ溢れて来たのだった。
これには自分でもびっくりで、"あんなにクソー!何でわたしがこんな苦行しないといけんのだ!!!"と怒り狂っていたのが嘘のようで、すわ台風一過後の青空ですか?ぐらい、職場に対する思いや思考がガラッと変化していたのである。

瞑想後、目を開けると、心なしか、わたしの心はうっすらと温かくなっていた。

これが、瞑想(合宿)の効果、というものなんだろうか……?

まだ三日目の時点なので、そのはっきりとした効果については定かではない。が、どうやらわたしは、少しずつヴィパッサナーの階段(?)を昇ろうとしているようなのであった。


そうして、いよいよ明日からはアーナーパーナー瞑想からヴィパッサナー瞑想へと移行する時がやって来る。

一体、これからわたしにどのような変化が訪れるのか?果たして聴覚過敏は治まるのか…?
様々な疑問や不安、そしてうっすらと見え始めた希望と共に、三日目の夜もこんこんと更けゆくのであった。

 


四日目へと続く……。


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