127「ビリー・バッド」メルヴィル
123グラム。あっちにおもねり、こっちで根回し、と胃を痛めながら辛くも居場所を確保している人にとって、天然自然に生きてるだけでなんか勝手に愛されていく人が気に障るのはけっこうわかる。それが証拠にホラー映画だって山奥の小屋で大学生の美男美女カップルを殺すところから始まるじゃないか。
18世紀末イギリスの軍艦の新米水兵ビリー・バッドのお話。21歳、美青年で人柄がいいのでみんなに好かれている。
どういうわけか上官クラガートにだけは嫌われ、反乱を扇動した罪を着せらる。尊敬する船長ヴィアの前で言いがかりをつけられて激高したビリーは上官クラガートを殴り殺してしまう。みんながビリー・バッドを助けたいと画策する中、しかし船の秩序を守るために船長ヴィアは刑の執行を選択する。
読後感の不思議な話である。ビリー・バッドのどこがそんなに人気があるのかいまいち伝わらないのだ。
美男子で朗らかで優しく……と印象は延べられるのであるが、それを裏付ける印象的なエピソードがたいしてあるわけではなく、印象はうつろなまま。
ビリーにとって父のような存在である船長ヴィアも、「星ときらめくヴィア」なんて言われて高潔な人とされるがどうにも内面が立ち上がって見えてこない。
主要登場人物の中で唯一、行動の動機がしっかりしていて共感を寄せることができるのは悪役の上官クラガートなのである。計算高く、二枚舌で、強きにおもねり弱きをいじめる。あご以外はだいたいハンサム。なぜだかビリーが気にくわなくて、いやがらせの機会をねらっている。はっきりした人物像だ。
それでもビリーの性格がはっきりわかるエピソードが冒頭のほうにひとつあり、ここは素晴らしい。
蒸気船登場の前の当時の軍艦は動力を人手でまかわなければならぬ部分が多く、慢性的な人手不足だった。それを解消するために、あろうことか軍人が商船などに勝手に乗り込んでいって、水夫を拉致して軍艦にのせてしまうのである。さすがにひどいというので当時はしばしば反乱がおこり、軍も神経質になっていた。
そんな折、商船「ライツ・オブ・マン号」から強制徴用されたのが我らがビリー・バッドである。根が陽気なビリーは嫌がるそぶりもみせずに言われるがままに軍艦に乗る。そしてついさっきまで乗っていた商船にむかって大声で別れを告げたのだ。
「さようなら、ライツ・オブ・マン(人権)!」。
これ以上ないほど的確に自分の境遇を叫んでしまったので、後ろで聴いている軍艦の士官たちは青くなる。大ぴっらに本当の事を言うんじゃない。
しかし字も読めないビリーは、自分で叫んでいる言葉の意味もよく分っていないのだ。その場はお咎めなしとなった。しかし、もし一事が万事この調子でやっていったら、規律を何より重んじる軍艦でだんだん軋轢の元凶となっていっても不思議ではない。
それなのに、この手のビリーおもしろエピソードが積み重ねられていって不穏な空気が描き出されるというわけでもないのだ。なんだかぼんやり処刑されてしまう。
ヒントのひとつはこの小説の語りなのかもしれない。ビリーの処刑に居合わせたらしい水兵が、後年、仲間に昔話として語っている語り部形式である。語り伝える過程で、主要な人物たちはどんどん個別性を失って行って「無垢で純真な存在」と「我が子を守り切れなかった父なる存在」、「なんか悪だくみしてる雑魚」というようなからっぽの器になり、聴き手が自分のことを当てはめてきくための話になったのかもしれない。
もうひとつ面白いのは、やっぱりBL的な読みだ。
なにしろマッチョな男たちがミッチミチに乗ってる軍艦で女性的な容貌をしてベイビーなんて呼ばれたりする青年である。ホモソーシャルにおけるアイドルだったことはたしかだ。そこに伝説のような男らしさを誇るヴィア船長、船長のそば近くで機嫌をとりながらやたら嫉妬している上官クラバート。
事件のあと船全体の総意をまげてまでビリーを厳罰に処した船長ヴィアの妙に頑なな態度。しかし、のちに戦死する際にはビリーの名を呼びながら死んでいく。急に三者の行動原理がはっきり見えてくるようだ。
そのほか聖書のエピソードが多くちりばめられているのでそれらをつないでいって宗教的な寓話として読むこともできるのだろう。その船にとって最も大切なものを海に沈める、というのはたいへん神話的でもある。
いずれにしろ、ロールプレイングゲームのようで、読者がどの段階でどんな読みを選択したかによってその後の表現の受け取り方が変わって見えてくる。
正解はどれだ、などと遠慮がちなことを言ってないでどんどん変なことを考えて自分でおもしろく読んでいったものがち、というものだ。
私の中ではビリー・バッドは国会紛糾中の山本太郎議員みたいな感じがする。知ってる人は「メロリンキューだから声が大きんだよ」と思って見てるし、知らない人は「何の元気なの、なんか怖いっ」となってる、そんな感じ。