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【テキサス州民への誤解を解く】  テキサンのベースにあるクリスチャニティ

州民の9割がクリスチャン

テキサン(テキサス州民)の9割はクリスチャン、だからイイヒトが多いです、なんてことは言いません。無神論者が多いという日本ですが、日本人には規律があり、道徳心が高く、他者を思いやる文化があります。いや、むしろ日本にはそういう人が多いと、海外の人の目に映るようです。では、なぜここであえてクリスチャンの話を持ち出したかというと、クリスチャンもまた、神との”契約”を有するからです。(【テキサン(テキサス州民)に対する誤解を解く:法の遵守で、テキサンは政府と”契約”の下、テキサスに入植した人々が築き上げた・・・というようなテキサスの歴史をシェアさせていただいています)

テキサスに住むようになり、テキサンを理解するためには、キリスト教的な考え方を理解することが重要だと思うようになり、聖書の勉強をはじめました。とは言え、まだまだ初心者です。ここではキリスト教学のようなものではなく、私の周辺にいるクリスチャンたちが、その信仰故にどのような考え方をし、それが生活の中にどのように根付いているのか?をシェアさせていただけたらと思います。

神との契約とは?

先日、【プロジェクト・ヴェリタス】連邦政府職員(看護師)によるワクチン関連の内部告白でシェアさせていただいた内部告発の動画の中で、インタビュアが内部告発した人に「あなたは怖くないの?」と問いかけます。プロジェクト・ヴェリタスの番組内で内部告発した人は、顔出ししてもしなくても、会社(組織)側が特定し、解雇になります。現在のアメリカで”主流”とされている意見とは異なるものを言えば、職を失う危険性があります。内部告発を顔出しして行った彼女も、自分が職を失うであろうことや、今後のキャリアも難しくなるであろうことも理解していました。それでも内部告発を行なったのは、ワクチン接種をして亡くなった同僚のこと、自分が子どもたちの母親であること、そして、”神との契約”があったからと言います(彼女はテキサンではありませんが、クリスチャン的な考えの一例として紹介しました)。

多くの人の命に関わるかもしれない問題を自分は知ってしまった。気づかないフリもできるし、会社はそれを望んでいる。しかし、それは神が望むことなのだろうか? 

そのような葛藤の末、内部告発を行う人は少なくないようです。”神”の話は何気なく出てきます。日本人の私に、聖書へのもう少し深い理解が必要なのはこの先です。

神の教えに従って、決断を行なった彼女ですが、神はいつも彼女のそばにいらっしゃるとはいえ、いつも助けてくれるわけではないということです。そして、助けてくれなかった神に対して、彼女が不平をいうことはありません。もちろん、「神よ、なぜ?」のような問いかけを行うことはあると思うのですが、最終的には”神は乗り越えられない試練を与えない”というところに辿り着きます。

クリスチャン・ライフ

随分前の話になりますが、たまたま災害の話から、東日本大震災の話になり、”被害に遭った方々といろいろなお話をする中で、なぜこんなに優しい気持ちを持った人たちがこんなひどい目に合わないといけないのか?と思った”という話をしたことがあります。実は、全く異なるグループで、2回、同じような発言をしたのですが、ともにクリスチャンだった2つのグループの反応は同じでした。

”優しい人、良い行いを行なっている人なら、ひどい目にあうべきでない”ということは、自分が幸せになるために(ひどい目にあわないために)人に親切にしているの?良い行いをしているの?そうではないでしょ?

そう言われると、本当にその通りなのです。さらに続くのが次の話。

神は何かお考えがあって、そのようにしているのだから、あなたができることは、その人たちのために祈ること”神は乗り越えられない試練は与えられない”のだから、彼らはきっと大丈夫。

”あなたができることは、その人のために祈ること”は、「避難者の支援活動のお手伝いをしていたときに、何の力にもなれない自分の無力さを感じだ」という私の発言を受けてのものです。この発言に対して、「あなたは神ではないのよ。全ての人を救うことなんてできない。自分ができることを行ったら、後は祈るだけよ」と、言われました。

1つのグループは、ヨガのプロフェッショナルであり、生活スタイルも自由な感じの人の集まりであり、もう1つは、硬めの職業について、子どもの躾も割と厳し目に行っている(アメリカ人の中では)グループ。一見全く違う印象のある2つのグループですが、考え方の根底にはクリスチャニティがある・・・クリスチャンなのだから当たり前と言えば当たり前なのですが。

”自分ができることを行ったら、後は祈るだけよ”という言葉も重要なポイントです。”祈りさえすればいい”とは言ってはいないからです。”自分でできることを行う”が先にきます。教会関連のボランティア活動が活発なのは、この”自分でできることを行う”があってからの”祈り”だからかなと思います。

クリスチャンには、その信仰の深さから”さまざまなレベルのクリスチャン”がいるかと思いますが、テキサスには”ガチなクリスチャン”が多い気がします。日曜日に教会に行くのは当然のこと。それとは別に週に1、2回、教会での学習・ミーティングや、グループで行う”ハウスチャーチ”等に参加する人が少なくないようです。水曜日、または金曜日の夜に、家の前に多数の車が止まっているお宅があったら、高い確率でそこではハウスチャーチが行われているものだと思います。

また、クリスチャンには”10分の1制度(Tithe)”があり、収入の10分の1を神にお返しすることになっています。厳密に10分の1かと言えば、教会によってさまざまなようですが、このことについてもとても前向きです。政府に支払う税金に対する気持ちとは、全く異なるようです。

以前、「リストラに合いそうだから、収入面がとても不安だけど、こういう時こそ、きっちりTitheを行うべきだと思うから頑張る」という話をしていた友人が後日、「収入面でも待遇面でも、そして人間関係でもすごくいい職場に転職できた!やっぱりTitheを続けてよかった」と言っていたことがありました。

この発言は先ほどの”良い行いは、自分が幸せになるために行ったのか?”議論と一見矛盾しているように思えるかもしれませんが、基本的には”神は良い行いをしている人を助けてくれる”のです。ただし、”良い行いをしたのに、良い結果がこない”という風に考えることは、見当違い。”神はもっと大きな視点から私たちを見ておられることを忘れてはいけない”ということなのだそうです。

この”10分の1制度(Tithe)”で集められたお金は教会の運営資金や、その教会が行っている慈善活動(地域、国内外)に使われます。今回のパンデミックで、大きな不利益を受けた業種の1つにレストランがありますが、教会に通うメンバーが経営するレストランの食事券を教会が買い取り、それを他のメンバーに配布する・・・というような支援を行う教会もありました。Titheはメンバー同士の相互支援にも使われているようです。

古き良き日本との類似性

聖書ビギナーの私がベテランクリスチャンの友人を驚かせることが多々あります。例えば、勉強会で・・・

友人:「他人を恨むような言葉を使ってしまうことがあるか?(相手に対してではなく、自分一人のときに)」                        私:「自分が口に出した言葉は、自分に返ってくると母が言ってたので、できるだけ相手に対してネガティブな言葉は使わないようにしている。ただ、そういう人とは縁を切りたいので、”遠くの空の下(私とは無縁の地で)、幸せになってくれ”と唱えている」

なぜ「母が言ってた」と付け加えるかと言えば、聖書についてよく理解していない私がなぜ聖書の教えに従っているのか?ということを頻繁に尋ねられるからです。そして、その後、必ず「あなたのお母さんはクリスチャンじゃないわよね?」と確認が入ります。私の母は”フレキシブルな信仰”ですので、クリスチャンではありません。先程のケースでは”言霊”の話をしました。”言霊”を気にする日本人はー正確な割合はわかりませんがー少なくはないかと思います。すると、今度は「神道信者なのか?」という話になりますが、神道信者か?と言われても、これも回答に困ることです。神社でお参りするときには、きちんと手順にそって行っていますし、お守りの中身を開けたこともありません。信じてるか?信じてないか?と尋ねられたら信じているのですが、自宅に神棚があるわけではありません。それに、母から”言霊”の話を聞いたのは、神道の教えとしてではないですし、そもそも言霊が神道なのか?とそこからわからないレベルです。

他にも、「それは学校の道徳の時間に学んだことで、できるだけそのように心がけている」と答えたことも度々ありました。この”道徳”も解説がかなり難しいものです。なぜなら、クリスチャンにとって、この道徳は宗教の教えと思えてしまうようで、学校で”特定の宗教の教え”を教えているのか?という疑問を生じさせてしまうからです。

9割がクリスチャンとは言え、他の宗教の信者もいるテキサスの会社が学校では、公式な場での他の宗教への配慮を欠かしません。例えば”メリークリスマス”ということは控える傾向にあり、代わりに”ハッピーホリデー”を使います。学校では、クリスマス・パーティらしきものは行われるようですが、生徒には”参加しない”という選択肢も用意されていました。それほど、信仰の自由への配慮が重要とされる中、日本では学校で道徳を教えるのか?という話になってしまうのです。(*”テキサスでは”と書きましたが、他の州でも”ハッピーホリディ”等の配慮はあるかと思います。)

日本の学校での道徳教育や家庭教育は、私たちがどのように生きていくべきか?を説いたものですので、それが宗教だと言われれば、日本人は西洋の定義でいうところの”道徳教育という宗教”の中生きており、それが冒頭で述べた”規律あり、他人を思いやる日本人”を維持する理由になっているのかもしれません。このように、”日本人特有の宗教観”が日本人を特徴付けているのだとすれば、クリスチャニティもまた、テキサンを特徴付けているように思います。

中絶禁止法に対するテキサンへの誤解

テキサス州で9月1日、妊娠6週目以降の中絶を禁止する州法が施行されました。妊娠6週目というのは、胎児の心臓音を検知できる時期。一方、これまでのアメリカでは、最高裁が1973年に妊娠24週ごろまでの中絶を合憲とした「ロー対ウェイド判決」が基準とされてきました。

中絶をめぐる議論は、生まれてくる赤ちゃんの権利と、産む側の母親である女性の権利とのどちらを優先するか?が争点となるため、医学的な見解の他に、宗教観、倫理観等々、いろいろな側面から検討するべきことかと思います。正直なところ、私自身は自分の意見を持てるほど、この問題についての情報がありません。

ただし、現在のメディア報道はあまりにも、一方的な印象操作に走りすぎていると感じています。コロナワクチンと同じで、多くの人に適切な情報が提供され、それを元に十分な(自由な)議論が行われるべきトピックスであるにもかかわらず・・・。

メディアで紹介されるのは、バイデン政権をはじめ禁止法の反対派の意見「この過激な州法は公然と権利を侵害するもので、女性の医療へのアクセスを著しく侵害している」のみです。まれに”キリスト教のロビイストが共和党州を利用している”という批判を行うメディアもあります。

でも、考えてみてください。テキサスの住民は9割がクリスチャンであり、”ガチ”な人=聖書に忠実な人が多いのです。そのため、実際に中絶に反対というテキサンは少なくないかと思います。

なぜクリスチャンが中絶を望まないのか?私の周辺にいるクリスチャンの声をまとめると、理由は以下の3つ。                        第一に、先ほどの母親の権利か、胎児の権利か?の議論の胎児側、クリスチャンに取っては”命を守る”側に立って考えているからです。                                    第二に、命が関わる問題で、女性の権利を主張することに違和感があるということもあるようです。                             最後に、これは、保守派にもつながることですが、古くからの慣習、家族制度を守ることで、秩序ある社会を保ちたいと考えています。中絶を広く認めることは、秩序を崩壊させる要因の1つであり、中絶しにくい環境が大切と考えているようです。

中絶が必要となる状況として、報道では、強姦や近親相姦の事例ばかりを取り上げていますが、テキサン側=中絶が行われにくい状況を作りたいサイドの、不倫や近親相姦、フリーセックス、”男女交際”の低年齢化等、社会の秩序を壊す行為を行わせにくくするためというのは全く伝えられていません。自由恋愛を楽しむこと自体は自由ですが、不倫や近親相姦等の不道徳の結果、胎児の命を犠牲にすることに対して、”女性の権利”を主張するなという考えで、決して女性の権利侵害が目的ではありません。

男女交際”の低年齢化は、アメリカの社会問題とも関係があります。子宮頸癌<HPV>ワクチンの接種が13歳からとなっているのは、アメリカでこの年齢の子どもがすでに”男女交際”を行っている割合が一定層いるからです。プリティーン(11歳、12歳くらいの子ども)の保護者を対象とした思春期についてのセミナーに参加したことがあるのですが、「子どもが13歳になったら、もうそういうことはあると思ってください。HPVワクチンは、そういう行為を始める前に打っておかなくてはダメですよ」というものでした。アメリカでは10代の妊娠も問題になっています。中絶しにくい環境により、行為に対する気軽さを取り除くことは、こういった問題の抑止力にもなります。

おそらくこのような考えを突き詰めていった結果が、キリスト教の一派、アーミッシュかと思います。アーミッシュはアメリカでは中西部のオハイオ州、ペンシルバニア州に拠点がありますが、移民当時の生活を保持した自給自足の生活をしています。その理由は、自分たりの信仰の妨げになるもの、社会秩序を壊すものを遠ざけるためです。かなり徹底しています。男性、女性ともに、服装や髪型に細かい規定があります。これもセックス・アピールが社会の秩序を壊すと考えているためだそうです。

リベラルと保守派(今回はクリスチャンですが)は、何をどう頑張っても相容れないものがあります。それぞれの特徴を出した州運営を行い、あなたの主義にあう方で暮らしてくださいというしかないのでは?と思います。それでも1つの”国”としては、”自分とは違う意見の人は、どのような考えがありその意見にたどり着いたのか?”については、双方がそれを理解していることが不可欠です。

24週が適切なのか、6週が適切なのか、私にはわかりません。ただ、本当に大切な議論ですし、この議論もまたアメリカを2分しています。両サイドの意見がきちんと紹介された上での議論が行わなければ、お互い疑心暗鬼のまま国が崩壊していきそうな気がしてなりません。


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