歪められたマッカーシズムの評価:日本人が知るべき赤いアメリカ(4)
一般的な理解としての”マッカーシズムとは?”
マッカーシズムとは
マッカーシズムとは、できるだけ”思想”につながる表現を抜いて、事実だけで説明するならば、「第二次世界大戦後の1950年代に行われた、アメリカに潜入中の共産工作員(共産主義者)の大量摘発をめぐる騒動」です。ジョセフ・マッカーシーという共和党の上院議員の告発をきっかけに大きく取り上げられるようになりました。
ウォルト・ディズニーや、チャップリン等々、政治とは一見無関係に見える人たちもいろいろな形で登場しますが、彼らとの接点が見当たらない”共産主義”が出てくるため、都市伝説のように聞こえてしまうかもしれません。しかし、敵陣のエンタメを抑えるというのは、兵法の1つ。摘発された人全てが本当に工作員であったかどうかは別として、この業界が狙われるのは、当然のことです。
そして、現在の”アメリカの赤化現象”の源を辿っていった時に、重要になってくる事件の1つがマッカーシズムであり、「その後のアメリカ、または世界(日本)で、マッカーシズムがどのような扱いを受けてきたのか」について知ることで、現在、”陰謀論”と片付けられていることの多くが、実は陰謀論ではないことがわかります。
そういうわけで・・・。まずは、マッカーシズムが何か?一般的にはどのような説明がなされているのか、見ていきたいと思います。
わりと中立的だと思われる説明
下記は、Wikipediaからの引用です。最後の一文の、”攻撃された”という表現は、マッカーシズムを肯定する人と、否定する人とで受け取る意味合いが微妙に違うように思うのですが、これは比較的中立的な説明だと思います。
より広く理解されている説明=かなり左寄り
「おぅ、これこれ」と思ったのは、コトバンクにあった説明です。マッカーシズムは・・・、
反共ヒステリー現象であり、何ら根拠のないデマゴギーであり、赤狩り
というのがリベラル教育を受けてきた人たちの一般的な理解かと思います。
マッカーシーの共産党員摘発には、いくつかの問題点があったのは事実です。しかし、だからと言って、共産党員、それも政治経済、外交等に工作を仕掛けてくるスパイがアメリカにいなかったことにはできません。これらのことは1990年代になって公開された、そして、このコラムでもシェアさせていただいた、「ヴェノナ文書」でも明らかになっています。
■WWⅡ前後の共産ネットワークを暴いた、ヴェノナ文書:日人本が知るべき赤いアメリカ(2)
マッカーシズムで検挙された全ての人が共産工作員ではなかったにせよ、そのような活動は行われていたことは事実であり、「マッカーシズムが根拠のないデマゴギー」という説明の方がデマゴギー。・・・極左の活動家がよくやってしまうブーメラン的なものでしょうか。
また、コトバンクの説明にもある、”ソ連の原爆実験の成功”を導いたのは、アメリカや英国に潜んでいた共産工作員であることは、英国の調査でも明らかになっていることです(こちらも上記のコラム内で紹介しています)。
にも関わらず、なぜ誤ったマッカーシズムの説明を修正しないのでしょうか?
共産工作員がコントロールするままにアメリカを動かしてしまったルーズベルト大統領や、その政策を引き継いだトルーマン大統領の評価が変わらないのはなぜでしょうか?
ルーズベルト批判を行ったフーバー大統領の評価が著しく低く、彼の著書が2011年になるまで刊行できなかったのはなぜでしょうか?
この疑問点については、最後の賞で触れたいと思います。
(ちなみに、Wikipediaでは、マッカーシズムのページではなく、マッカーシー上院議員本人のページでは、一番最後にヴェノナ文書について少し触れられています。)
告発された人&批判者 VS 支持者
マッカーシズムの背景
アメリカ政府による、共産主義者への警戒は、元々第二次世界大戦前からありました。ところが第二次大戦では、ソ連と同盟関係になったことで、ソ連への配慮から、一時的に表立った動きができなくなったようです。
戦後、ソ連の核実験の成功、朝鮮戦争の勃発等を受け、ソ連との対立姿勢が深まるにつれ、共産主義に対する脅威論が高まってきました。
ちなみに”マッカーシズム”と、マッカーシー上院議員の名前が使われていますが、告発者はマッカーシー上院議員のみではなく、中心機関として下院非米活動委員会(HUAC)がありました。
告発された人&批判者
ここでは、告発された人と批判者を同じグループとして紹介していますが、それには理由があります。その理由は、マッカーシズムの失敗の章で深堀したいと思います。
財務次官補のハリー・ホワイト(ハルノートの原案者であり、ルーズベルト政権での重鎮の1人)は、同じくソ連の工作員であったエリザベス・ベントリーにより告発された。ホワイトは1948年、下院非米活動委員会で、スパイ行為を否定したが、数日後、心臓麻痺で死亡しているところが見つかり、原因は服毒自殺とされているが・・・。
ジョン・ヴィンセント、ジョン・サーヴィス、ジョン・ディヴィスをはじめ、中国国民党よりも中国共産党を推す動きをしていた、チャイナ・ハンズと呼ばれる外交官ら。
ハリウッドを中心とするエンタメ業界で活躍中の監督、脚本家、俳優等で、共産党と関係があった人物を列挙した”ハリウッド・ブラックリスト”は、1930年ごろから存在した。掲載された人物の1人で映画監督のエドワード・ドミトリクは、当初、否認していたものの、失業、投獄を経て、告発側に転向。同じ映画監督のジュールズ・ダッシンを告発した。ダッシン監督は、実際に共産主義者であり、ヨーロッパに移住した。
王女を演じたオードリー・ヘプバーンが1953年のアカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞したことで知られる、映画『ローマの休日』。この映画は同時にイアン・マクレラン・ハンターが最優秀原案賞を受賞していたが、実際の原案者はダルトン・トランボであり、共産主義を指示するハリウッド・テンの1人として失脚中だったため、ハンターの名義を借用したという事情があった。アカデミー賞は1993年にトランボに1953年の最優秀原案賞を贈呈している。トランボが共産党員であったのは事実。そして、『ローマの休日』繋がりでいえば、新聞記者役をしたグレゴリー・ペックも、ハリウッド・ブラックリストに掲載されていた1人。
FBIは1947年、チャールズ・チャップリンの共産党を支持するとみられる活動についての調査を開始。これに対し、チャップリンは、反共活動や、下院非米活動委員会(HUAC)による摘発活動を激しく批判。映画のPR活動でヨーロッパに向かった1952年、司法長官のジェームズ・マクグラネリーは彼の再入国許可を取り消した。チャップリンは、ソ連支援の演説や、在米親ソ組織を支援したほか、共産主義者との交友関係があったことから、マークされるようになったが、チャップリン自身が共産主義者だった証拠は、FBIは実は持っていなかったとされている。ただし、チャップリンは未成年の妻と2回結婚しているが、ともにいわゆるデキ婚だった。未成年と関係を持ったことで適用される強姦罪を回避するための結婚と考えられるが、このような性的嗜好は、一般的に共産党のハニトラに狙われやすいと言える(後日、深堀りしてみます)。
進歩的左翼組織と交流があったことから、共産主義者の広告塔としての行動を下院非米活動委員会から批判されたフランク・シナトラだったが、同委員会への召喚は免れ、疑惑をもたれたものの疑いは晴れたとされている。ただし、ジョン・F・ケネディにマリリン・モンローや、マフィアのボスを紹介したのはシナトラである。また、元恋人のジュディス・キャンベルを、ケネディ兄弟とマフィアのボスの双方に紹介し、それぞれに関係があった・・・というのは共産工作員っぽいやり方のような気もしますが。何はともあれ、♬ I did it my way ♪(My Wayより)。
1950年、ソ連に原爆開発情報を垂れ流したローゼンバーグ事件(■WWⅡ前後の共産ネットワークを暴いた、ヴェノナ文書:日人本が知るべき赤いアメリカ(2))
支持した人
マッカーシ上院議員は、陸軍内の共産工作員の告発で失敗したことや、人気ジャーナリストによる批判を発端に、上院の品位を貶めたとし、問責決議を受け、失脚しました(詳細は次章をご参照ください)。
マッカーシー以外にも、”支持した人”に関しては、”その後”に気になる点があります。マッカーシズムとの因果関係はわかりません。単純に私が気になっているだけです。
当時、上院議員だったジョン・F・ケネディと弟のロバート・ケネディをはじめとする民主党の一部議員からも支持を受けていた(マッカーシー上院議員は共和党)。ご存知の通り、ジョン&ロバートのケネディ兄弟は、暗殺されている。
ジョン・F・ケネディと親交があった、当時、下院議員のリチャード・ニクソンは下院非米活動委員会のメンバーだった。トルーマン政権の重鎮、アルジャー・ヒス(ヤルタ会談に出席、国際連合の設立にも関与)に対する追及の手を緩めず、偽証罪に追い込んだ。ヒスの共産工作活動については、元共産党員のウィッテカー・チェンバーズが1948年に暴露していたほか、ヴェノナ文書でも明らかになっている。なお、ニクソン自身は、ウォーターゲート事件で失脚している。
俳優時代のロナルド・レーガンは、元々ルーズベルト大統領を支持する民主党だったが、後に保守に転換。映画俳優組合(SAG)の委員長の立場から、下院非米活動委員会に協力。1981年の大統領就任直後に、暗殺未遂事件(被弾したが助かった)に見舞われたほか、同年に症例報告されたAIDSに対しては、封じ込めに失敗したとの評価を受けている。ちなみに、この時に、大統領AIDS救済緊急計画(PEPFAR)の策定において中心的役割を果たしたのが、アンソニー・ファウチ博士(【ファウチ研】世界が信じている”科学”というもの、エイズとコロナ、人災による禍としての類似性)。私がアメリカのコロナ政策に疑問を持つようになったきっかけの人物でもあるファウチ博士は、レーガン以降、現在のバイデン に至るまで6代にわたり、大統領の主席医療顧問を担っている。レーガン大統領の主な政策には他にも、レーガン・ドクトリンがあり、共産主義の根絶により冷戦の終結を目指した。
ローゼンバーグ事件で、スパイ容疑のかかった夫妻をサポートする左派活動家やメディアの攻撃を交わし、かなり強引に有罪に持っていった検事として知られるロイ・コーン。この件での実績を、FBI長官ジョン・エドガー・フーヴァーに認められ、マッカーシー上院議員とともに、告発活動を行い、マッカーシとともに表ぶ舞台から消えた人物。”民主党員でありながら、共和党大統領を支持する”反共主義者として知られ、ニクソン大統領やレーガン大統領の非公式の顧問となった。彼の評価はすこぶる悪く、1986年には法曹資格を剥奪され、その翌月、AIDSによる併発症で死亡した。
夢の国を作ったウォルト・ディズニーだが、第二次世界大戦中には、反日、反ドイツのプロパガンダ映画を作成する等、政治への参加も積極的だった。ただし、プロパガンダ映画の作成は、前作の興業に失敗した損失の穴埋めのために、アメリカ政府を顧客としたという話もある。マッカーシズムが行われた頃には、ソ連の映画監督、セルゲイ・エイゼンシュテインと親しくしていたことで、公聴会に呼ばれるも、無罪となった。『戦艦ポチョムキン』で知られる、エイゼンシュテインの作品は、レーニンには絶賛されたものの、スターリン時代には改編を求められるような内容で、未完成の作品には、スターリン批判とも取れる表現があったという。そのためソ連の映画監督と親友であると言っても、共産主義の影響を受けているとは断言できない。また、ディズニー自身、ハリウッドにいる共産党員の摘発に協力していた。日本ではあまり知られていないが、ディズニーはブラック企業の社長のような立場(制作陣と対立)であり、作品は白人至上主義や、女性蔑視との評価を受けることもあったようだ。
さて、章のはじめに、「マッカーシー以外にも、”支持した人”に関しては、”その後”に気になる点があります」と申し上げました。なぜ気になるのか?といえば、共産主義者に厳しい対応をとった、近年の代表的な人物にトランプ大統領がいますが、何か共通点のようなものがあるような・・・。
トランプ大統領に対するメディアや教育関係者からの評判はすこぶる悪いものです。2016年の大統領選でのロシアンゲート疑惑は、たびたび持ち上げられては、証拠不十分か、証拠捏造がバレて、萎んで・・・を繰り返しています。再選が期待された2020年には、新型コロナパンデミックが起こります。レーガン大統領以来、大統領の主席医療顧問を続けるファウチ博士は、トランプ大統領の下で立ち上げられた、”ホワイトハウス・コロナウイルス・タスクフォース”に参加したほか、コロナの権威として公衆衛生政策を牽引してきています。パンデミックを言い訳に使った、本人確認を行わない郵送投票の導入は、不正投票を簡単に行えるようにしてしまいました。
コロナが始まり、アメリカが明らかにおかしくなっていく中で、どうして(どこから)こんな状況になってしまったのだろう?と考えていったときに、辿り着いたのはマッカーシズムの失敗でした。
繰り返しになりますが・・・・、
共産主義者によるアメリカ潜入・工作活動はあります!
マッカーシー上院議員が失脚したことで、マッカーシズムはあたかもデマだったような扱われ方をしています。この歪められたマッカーシズムの評価こそが、その後のアメリカの赤化を許してしまった原因ではないかと考えています。この点について、次回はもう少し深掘りしたいと思います。