休眠中の規制を巡っての熱い裁判!?:バイデン グリーン政策に関連する訴訟
EPA(連邦政府環境保護局)VSウェストバージニア(保守派州&石炭会社)
注目されていた点
ここのところ、全米(世界各国?)から、連邦最高裁判所の判決が注目されてきましたが、その1つで、私の住むテキサス州が原告団に加わった訴訟があります。EPA(連邦政府環境保護局)を相手に、同局には、温室効果ガスを規制する権限が議会により与えられていないと訴えていた、ウエストバージニア州の訴訟です。判決は、原告の訴えが認められた形で、グリーン政策に制限を加えかねないとして、現政権とメディアが共に「最高裁はトランプ化した!」と大騒ぎしています。
この判決も、中絶規制裁判と同様、二酸化炭素排出量の上限を設けること自体に制限をかけているわけではありません。それどころか、”上限を決めることは賢明な解決策”という表現も出ています。判決のポイントは・・・
下級裁判所の出した、EPAに炭素排出に関する拡大した権限を与えたという判決が誤り・・・つまり、議会の承認なしでは、EPAにはそのような規制を行う権限がないと判断したためです。
メディアの中には、憲法を過大解釈しただの、裁判所が環境政策を決定しただの言っているところもありますが、最高裁が言及しているのは、権限があるかどうかであり、政策の良し悪しではありません。それに、過大解釈していたのは、むしろ、EPAの規制を問題なしとするリベラル寄りのコロンビア特別区控訴裁判所の方です。
中絶規制の方でも述べたことですが、もし、メディアの指摘通り、「米国の最高裁が「トランプ化」 保守派判事多数、バイデン大統領の温暖化政策に不利な判断」のであるのならば、2020年の大統領選の不正疑惑をめぐるいくつもの裁判で、ことごとく”審議なしで却下”するようなことはなかったと思います。
訴訟の争点となった2つの規制←ここがユニーク!
EPA対ウエストバージニア(保守派州&石炭会社)訴訟がおもしろい点は、争点となっている、2つの異なる相反する規制がいずれも現在施行されていない(現在発電所に関する有効なEPAの規制がない)という点です。
まずは、争点となっていたCPP(クリーンパワープラン)とACE ルール(アフォーダブル・クリーンエネルギー・ルール)が何かを見ていきたいと思います。
以下は、Supreme Court curtails EPA’s authority to fight climate changeから関連部分の引用させていただきました。
CPP(クリーンパワープラン):発電所からの炭素汚染を減らすことで気候変動に対処しようとするオバマ政権により、2015年、採択した(例えば、電力生産を天然ガス発電所や風力発電所にシフトさせるなど)。2030年までに発電所からの排出量を削減するために、各州に個別の目標を設定していた。
ACEルール(アフォーダブル・クリーンエネルギー・ルール):CPPを廃止したトランプ政権が2019年、代替案として「アフォーダブル・クリーンエネルギー・ルール」を制定。各州に基準設定の裁量を与え、発電所にはその基準遵守のための柔軟性を持たせた。
CPPを廃止したトランプ政権の言い分:
大気汚染物質を排出する建物について「排出削減の最善のシステム」を決定する権限をEPAに与えるするCPPは、大気浄化法第7411条に基づくEPAの権限を超えている。この規定は、CPPに含まれるような業界全体の対策ではなく、発電所の物理的な敷地内に適用される対策を実施することのみをEPAに認めたものだった。
ACEルールを廃止した、コロンビア特別区控訴裁判所の言い分:
7411条は、トランプ政権が採用したEPAの権限のより限定的な見方を必要としないため、トランプ政権によるCPPの廃止とACE Ruleの両方を無効。追加手続きのために本件をEPAに差し戻した。
バイデン政権VSジョン・ロバーツ最高裁長官
実は、バイデン政権はこの裁判自体に消極的でした。というのも、現政権としては、CPPを復活させるのではなく、発電所からの炭素排出に関する新しいルールを発行する予定だったからです。
「このケースは最高裁が判断すべき生きた論争にはならない」と主張していました。確かにともに施行されない規制であるならば、なぜわざわざ裁判を?と思います。
にもかかわらず、最高裁が判決を下すに至った理由を、ジョン・ロバーツ、最高裁長官は次のように説明しています。
政府が訴訟の中心となる行為を止めることを決定しても、”違憲とされる行為を再発することが合理的に起こりえないこと”が絶対的に明らかでない限り、訴訟は続けるべき。
バイデン政権はオバマ政権時のEPAがCPPでとったアプローチを精力的に擁護しているため、最高裁は意見を述べることができる。
さらにこのような強い主張の背景には、EPAが業界全体に変更を加えることで温室効果ガスを規制しようとしたことが、重要な基本原則に違反していたことがあります。「もし議会が行政機関に「経済的、政治的に大きな意味を持つ決定」をする権限を与えたいのであれば、明確にそう言及しなければならない」(ロバーツ最高裁長官)。
以下は、ロバーツ最高裁長官による、本件への指摘です。
大気浄化法第7411条は、CPPを制定する以前の数十年間はほとんど使われなかったことから、隙間を埋めるために作られたものと推測できる
7411条を利用したCPPにより、EPAは、アメリカの産業に対して前例のない権力行使を行おうとしている
特に、EPAがCPPで実施しようとしているようなプログラムを制定しようとする努力を、議会が過去に拒否している以上、議会がEPAにそのような権限を委ねたと考える根拠がない。
その他判事の意見
ニール・ゴーサッチ判事は、今回の争点が "自治、平等、公正な通知、連邦制、三権分立に関する基本的な問題”に関わるものであることを強調。連邦政府機関が重要な問題に取り組む際には、”明確な議会の承認”を必要とすることで、”意図せず、斜めから、あるいはありそうにない”ようなの利益への介入から保護するべきとしています。
ただし、ゴーサッチ判事も、この問題の重要性は認めています。「石炭火力発電所とガス火力発電所の稼働を許可すべきかどうかは、人々が意見を異にする問題ではあるが、極めて重要な問題であることは誰もが認めるところである」とも指摘しています。
一方、反対の立場にある、エレーナ・ケーガン判事は、「バイデン政権が新しい規則を発表する予定であることを表明しているため、この段階で裁判所が意見を述べる理由は全くない」としています。この意見に対しては、確かに、最高裁判所に判決が求められている訴訟は多く、この訴訟の代わりに不正選挙訴訟のどれか1つを扱うと言われたら、そちらを選んでほしいと思います。
ケーガン判事は「裁判所は、議会や専門機関の代わりに、自分自身を気候政策の決定者に任命したのだ。これほど恐ろしいことはない」とも。おそらくこれを見出しやポイントに使っているメディアもいるようですが・・・。
・・・ロバーツ最高裁長官やゴーサッチ判事が言及したどのあたりに対して、気候政策を制定しようとする試みだと思ったのでしょうか?
最高裁判決の意義
米国共産党が、”過大解釈”を必要とする理由
ロバーツ最高裁長官は、”石炭からの移行を推し進めるための規制は環境問題の解決につながるかもしれない”と政策の意義に対し、一定の理解は示していますから、オバマ政権やバイデン政権のグリーン政策自体がNGだとは一言も言っていません。判決で重要なのは、”このような重大な決定は連邦議会に委ねられている”という部分す。EPAの行政権を超えているということで、三権分立の原則に基づいて、議論の場を立法府に戻すというのがこの判決だと思います。
議会とEPA(行政、官僚)の大きな違いは、選挙で選ばれた国民の代表であるかどうか?という点です。
米国共産党である現政権は、できるだけ”大きな政府”を目指します。ところが、中国共産党には簡単に実現できて、米国共産党には難しいのが、法律による制限があることです。
一党独裁の中国では、共産党幹部の一声で超大国全域に関わるような法律でも簡単に変更してしまえます。そのため、中国ビジネスの1番の難しさは、ある日突然法律が変更されることにあると言われることも。最低賃金が安いと思って工場を建てたら、ある日突然最低賃金がアップし・・・とはいえ工場を稼働させた後には撤退もしにくい・・・みたいな。しかし、さすがにこれは今のアメリカでは無理です。
そこで米国共産党が目をつけたのが”法の過大解釈”だと思います。米国共産党よりのCNNでも、オバマ政権が”条項を広く解釈した”と、この点を認めています。
ところが大方の”リベラル”メディアでは、裁判所が自らの力を大きく使ったようなコメントを中心に使っています。しかし、この裁判所批判コメントにも、しっかりと対策は書かれています。
連邦議会が規制当局に具体的な権限を明確に与える
そして、それはまさに最高裁判決で述べていることと同じ。ですから、バイデン政権が今やるべきことは、連邦議会でEPAの権限を明確に与えるということです。
ところが、これに対する現政権のコメントは”既存の法律の枠組みで国民を大気汚染から保護する方策を検討”というものです。いまだ既存の法律の活用に拘り続けようとしています。
このコメントが、過大解釈すれば、EPAによる規制を認められる条文が関連法案のどこかにないかな?・・・と聞こえてしまうのは、大気汚染によって、私の心が汚れてしまったせいでしょうか。
最高裁だけではなく、最高裁判決に反対する立場の教授も、連邦議会による明確な権限付与を勧める中、現政権が既存の法律に固執するのはなぜでしょうか?
その答えの1つが下記の記事かと思います。
EPAの炭素制限計画が議会で認められなかった過去がある以外にも、この政策が議会で認められない可能性はいくつかあります。
ウ国危機の長期化により世界的なエネルギー供給逼迫が顕著になったことで、化石燃料の重要性が見直されている。
ジョー・マンチン議員(ウェストバージニア州)等を中心にグリーン政策に反対する層が存在する。
民主党の苦戦が予想される中間選挙(2022年11月)以降、新たな法律制定はより困難と考えられる。
議会で認められないだろうから、行政府に与えられた権限を過大解釈させ、政策を実行させてしまおう、だって、温暖化対策って重要でしょ?
とまでは、言っていませんが、それが匂うような発言しているようです。
メディアの嘘
”重要なことなのに議会で認められない可能性があるから、行政府に与えられた権限や法律を過大解釈させ、政策を実行させる”ーーこのような現政権の手法は、ワクチン接種義務化の時にも使われた手でした。
■米国最高裁、OSHAを通じたワクチン義務化を阻止
ここで重要なのは、”重要なこと、または、それが重要であると決めるのは誰か?”です。バイデン政権や行政は重要だと考えていることが、必ずしも国民が重要だと考えているわけではないということです。
ワクチン接種義務化をめぐる裁判でも、最高裁は、ワクチンの効果や必要性ではなく、”規制を出す機関にそのような権限があるのか?”というところに注目し、判決を下していました。
アメリカで連邦政府の権限というのは、かなり絞られています。公共政策は州政府が行うべきことで、テキサス州やフロリダ州等、思い通りにいかない州に対しても影響力を及ばそうとして考えられたのが、管轄する政府機関による規制の導入でした。これに対する最高裁判決は・・・。
■義務化対象者(管轄政府機関):最高裁判決
大企業の従業員(OSHA):義務化阻止
医療従事者(CMS):義務化決定
”トランプ化した最高裁”とメディアが言う最高裁ですが、そうであるならば、義務化を反対する保守派の意向を汲んで、全て一律に”義務化阻止”の判決を下したはずですが、医療従事者に対する規制についてCMSの権限は認めています。
最高裁の保守派判事は、この時のメンバーと変わっていません。
保守派のニール・ゴーサッチ判事は今回の判決について、「国民に説明がつかない行政機関の権限を裁判所は抑制していく」としています。おそらくワクチン接種義務化の際の判決も、このような考えに基づいたものではないでしょうか。つまりワクチン接種義務について、医療従事者に対するCMSの権限は説明が付いたが、大企業従業員に対するOSHAの権限は説明がつかなかったのだと思います。
これも誤解を招くひどい記事です。
◆銃を保有・携帯する権利:残念ながら、修正第2条で”人民が武器を保有しまた携帯する権利”を言及されている
◆中絶する権利:”アメリカ市民としての身分”として言及された修正第14条を過大解釈したと言われる”プライバシーの権利”の中に含まれるとされた(1973年)
この2つについては、憲法で言及されているかどうか?がまず違うため、異なる判決が出ることは不思議なことではありません。
銃所持についての権利が”修正条項”にあると言うことは、この権利も後に議会で提案されて決まったものだと言うことがわかります。ならば、中絶規制も同様に、議会で提案され、同様に新しい修正条項として批准されると言うステップを踏めば良いのではないかと思います。
政治色が強すぎるのではなく、逆に政治色を抜いて、憲法に忠実な判断を行ったに過ぎません。一方、裁判所がきちんと説明していることを、政治色で歪めた形で印象操作し、不要な対立を煽っているのが今のメディアです。
違憲を行為を再発させない
現在発電所に関する有効なEPAの規制がない中、現在施行されていない規制について、なぜ最高裁が判決を下したのでしょうか。
「政府が訴訟の中心となる行為を止めることを決定しても、”違憲とされる行為を再発することが合理的に起こりえないこと”が絶対的に明らかでない限り、訴訟は続けるべき」。
現政権VSロバーツ最高裁長官のところでも紹介したコメントです。国民に説明がつかないほどの過大解釈による行政行為は違法であり、もうそろそろそういうのやめない?ということではないでしょうか。
それはニール・ゴーサッチ判事の発言にも現れています。
「共和国の約束を捨て去りたいという人は誰もいない。国民とその代表者が、自分たちを統治する法律に実質的な発言権を持つべきだという約束だ」。
最高裁が夏休みに入る前の6月。保守派に有利と取れる重要な判決が立て続けに行われました。でも、それは”保守の風が吹いてきた”みたいなものではなく、アメリカが民主主義の原点に戻ろうとしている動きであると思います。
共産主義と闘う
民主主義への原点回帰の兆しがあったからとはいえ、うかつには安心できません。
第二次世界大戦開始の頃には、アメリカを動かす共産主義者がたくさん存在したことは、ヴェノナ文書(プロジェクト)等で明らかになっていますから、民主主義が危機的な状況になって80年くらいは経っているわけです。その後”マッカーシズム”により、共産主義の勢い対する一時的な沈静化はあったものの、その勢力は着々と広げられてしまったのが今のアメリカ。どこに隠れ共産党員が潜んでいるかはわかりません。
例えば「裁判所は時代にあった判決を」なんて発言しているメディアがあれば、共産主義の洗礼を受けた人ではないか疑ってみる必要があります。裁判所は法に従った判断を下す機関であり、時代に合った判決が必要であるならば、新しい法律が必要であり、それを担うのは立法機関。三権分立は、権力の監視システムですので、お互いの役割が曖昧になって言い訳がありませんし、越権行為が柔軟な対応なんて言えるわけがありません。それらの境目をあえて曖昧にし、権力をひとところに集中させようとするのが共産党です。
”休眠規制”にあえてメスを入れた、最高裁判決。三権分立を、民主主義を守っていくという強い誓いにようにも感じられました。
がんばれ!アメリカの民主主義。