人種問題に対する違和感:アメリカで人種問題が解決しない理由(2023年冬)
はじめに
ヒトとヒトとはなぜ対立するのだろう?
若い頃から継続的に持っていた関心事です。
個人レベルで言えば、対立にエネルギーを使いたくはないですし、巻き込まれるのも面倒だということから、できるだけ”対立”とは距離を置きたいと考えています。一方、社会レベルで言えば、”対立”から得られるものがない以上、”対立”は避けるべきであると思います。
しかし、ご存知の通り、近年のアメリカをはじめ、世界的な傾向として、どうも”対立させたがり屋さん”が暗躍しているようで、さまざまなところで”対立”が激化しています。
アメリカで人種問題が解決しない理由は、
”対立させたがり屋さん”が暗躍しているからだ。
と言ってしまえば、このコラムはここで終了してしまうわけですが。このように断言したところで、問題は解決しませんので、もう少し深掘りしていくと・・・。
なぜこの無意味な対立に、ヒトは踊らされてしまうのだろう?
という疑問が生じます。そして、この踊らされてしまう仕掛けがどのようなものか?というものを探りたいと思い、日々ぐるぐる考えながら数年が経ちました。
そんなぐるぐる考えてきたことの中から、今回、焦点を当てたいのは、そもそも問題が解決できないのは、”定義”に問題があるのではないか?という点です。これは、アメリカ生まれ・育ちではないからこそ、感じてきた、この問題に対する違和感のようなものです。
タイトルに”2023年冬”といれているのは、この先さらにリサーチを深めていくうちに、もしくは私がもっとアメリカナイズされていけば、また違った考察が出てくるかもしれないと思うからです。
謎がいっぱい!?アメリカの人種区分
ポリコレ人種用語は本当に適切なのか?
私がNoteを始めたのは2021年6月頃で、コロナ騒動のおかしさについて、親しかった友人とさえも自由な議論ができない状態になり、その捌け口を求めて・・・というのがきっかけですが、人種問題とは直接的には関係のないその頃のコラムでも、ちょこちょこ人種に関する記述はあるかと思います。なぜなら、”人種”を避けてはアメリカの社会問題を語れないほど、どんな問題にも”人種別のデータ”っぽいものが出てくるからです。コロナ騒動でも、人種ごとの”あーだこーだ”はいろいろと議論されました。
コロナ騒動についてあれこれ書いていた頃のの私は、白人をコケージャン、黒人をアフリカ系アメリカ人というような用語で表現していたかと思います。それはそれが人事部系の人々にとっては、ポリコレ的に正しい言葉と教えられたからでした。
”人事部系の人々にとっては、ポリコレ的に正しい言葉”という言い方も、「何だ、このめんどくさい言い方は」なのですが、これにも意味があります。人事部や、会社の幹部的な位置付けにいる友人、言い換えると、足元を掬われることを最も危惧する層の友人らが”ポリコレ的に正しい言葉”を勧めてくれたのは、彼らがそれが正しいと思っているからではなく、”余計なトラブルに巻き込まれないためのセーフワード”だからです。
しかし、いつから?というのは、自分でも覚えていませんが、最近のコラムでは、白人、黒人という単語を使っています。この言葉が適切なものかどうかはわかりません。しかし、”足元を掬われる危険のない”友人間での会話では、問題なく、白人、黒人という言葉を使っていますし、コケージャンやアフリカ系アメリカ人が本当に適切な単語なのか?といえば、それにも疑問を感じるようになったからです。
コケージャンは白人か?
コケージャンという言葉を使う際に、いつも感じていた違和感は、「インド人もコケージャンじゃないの?」です。コケージャンは
英語版のWikipediaによると、このコケージャンという用語を人種分類に使用しているのは、アメリカがむしろ特殊であるような印象を受け、さらに批判があるとも言及されています。
アメリカの人種分類では、 "White" or "Caucasian"と使われる。
アメリカでは、白人またはヨーロッパ、中東、北アフリカの祖先を持つ者の同義語としてコーカソイドという語源が現在も使われており、この用法には批判もある。
というのも、上記に引用した、日本語の定義にもあるように、コケージャン=白人というわけではないからです。世界史を学んだ時の遠い遠い記憶で、インド人はコーカソイドではなかったっけ?というのもありました。それで「白人のことは、コケージャンを使った方が良いよ」と教えてもらった際にも、「あれ?インド人もコケージャンじゃない?」と言ってしまったのですが、「いやいや、インド人はアジア系でしょ」と、どちらかといえば「何言っているの?」という反応。この疑問については、この手の話題が安全に話せる相手に対し、”素朴な疑問”として何度か問いかけしてみたのですが、大抵の場合、”疑問を持つ私に対して疑問”という反応でした。そこから言えるのは、アメリカ人の認識としては、”コケージャンは白い肌を持つ人”というものではないでしょうか。
インド人のことは、インド人に聞けば?
と、思う方もいらっしゃるかと思います。確かにそうなのですが、ここにはセンシティブな問題がありそうで、聞けていません。というのも、アメリカでは過去に「インド人がコケージャンではないか」という訴訟が起こされていて、最高裁での判決がどう考えても微妙だったからです。
当時のアメリカでは、移民がアメリカ市民権を得るためには、”コケージャン”とみなされることが必要でした。その中で、起こされた裁判です。
え?じゃあ、コケージャンっていう表現を変えたらいいんじゃないの?
と、思ったので、以降、私は自分が表現したいカテゴリーが白人だと思えば、白人という言葉を使っています。
アルゼンチンの白人は、アメリカでも”白人”か?
1923年の最高裁判決時の考えに基づくいて、”一般的な(アメリカ)人が白人だと認識される人”を”白人”だとすれば、今度は別の疑問が生じてきます。
アルゼンチン出身の白人は、アメリカでも”白人”なのか?
アメリカで一般的に使われている人種カテゴリーには、”ヒスパニック”という、アメリカ最大のマイノリティグループを指す言葉があります。ヒスパニックはスペイン語を話す地域・国を出自に持つ人を指します。南米からの移民が大多数を占めるため、”ラティーノ”という用語を使うこともあります。南米の国々の中からわざわざアルゼンチンを名指ししたのには理由があります。アルゼンチンは人口の9割くらいが白人を占める国家だからです。
そのため「アルゼンチンの白人はアメリカでも”白人”なのか?」の問いは、何も私だけが気になっていることではありません。
横に表示された、”関連する質問”にも、似たような質問が上がっています。自らの体験を含む、さまざまな意見がある中で、ヴェネズエラ在住の大学教授という方の、下記の意見がまあそうだろうな・・・というところで・・・。
定義としては、人種に限らず、”ラテン・アメリカ(南米)”の出自を持つ人は、白人でも”ヒスパニック””ラティーノ”
一般社会の中では、南米出身の白人は、自ら出自を言及しない限り、白人アメリカ人として認識される
実際、2000年時のアメリカの国勢調査でも、「人種区分は、アメリカで一般的に認められている人種の社会的定義を反映したものであり、生物学的、人類学的、遺伝学的基準にも適合しない」と、明言されています。
というわけで、人種カテゴリーの定義からすれば、アルゼンチンの白人は、アメリカではヒスパニックであり、白人ではないということになります。
ただし、このようなケースが多々あるためだと思うのですが、”ヒスパニック”に関しては、”白人””黒人””アジア系”・・・・という人種を尋ねる項目とは別に、「ヒスパニックかどうか?」という”民族”を尋ねる項目が用意されていることがほとんどです。
この場合、統計上でも、ヒスパニックの中の”白人””黒人””アジア系”・・・か、ヒスパニックではない”白人””黒人””アジア系”・・・の別に表示されます。そして、ヒスパニックは”民族”という扱いになります。
人種のカテゴリーは何のためにある?
在米日本人だからこその疑問:どうして毎回人種を尋ねるのか?
アメリカの国勢調査によれば、アメリカにおける人種区分というのは、”社会的定義”であり、生物学的、人類学的、遺伝的基準とは別物ということでした。このように断定されてしまうと、在米日本人としては「チョ、待てよ」という気持ちになります。
だったら、なぜ、個人情報を尋ねるいろいろな場面で、
人種についても回答させるのか?
例えば、病院や歯科医での診療を受けるためには、アメリカではまず患者登録をする必要があります。この書類が本当に大変で、支払い能力を示す保険の情報だけではなく、個人の病歴、家族の病歴等々のほか、基本的な個人情報を記入する必要があるのですが、その中には必ず”人種を尋ねる項目”があります。最初はゲノム医療の発達に伴い、これらの人種情報が治療の際に何らかの影響を与えることになるのかなと思っていました。しかし、機会あるたびに、この件に対し、「先ほど記入した情報のことで質問なのですが・・・」と尋ねてはみるのですが、「言及されたくない場合には、ご記入いただかなくて大丈夫ですよ」というポリコレ的な回答が戻ってくるのみです。友人の医師らにも尋ねたのですが、「何だろね?」というくらいですから、人種の情報が治療に役立っているということはなさそうです。
さらにもっと緊張する場面が、入学や就職の際にも必ず、人種について回答する項目があることです。後者に関しては、必ず選択肢の中に”回答したくない”というものが用意されています。これもまたポリコレ的配慮なのでしょうが、”「人種について回答したくない」という主張をしてきた人”というカテゴリーが就職の際にどのような扱いになるのだろう?という疑問もあります。
そして、この「人種について、なぜわざわざ聞いてくるの?」という疑問は、おそらく私が日本人だからこそ生じるものだと思います。幼い頃から、この手の質問に当たり前のように回答してきたアメリカ人が感じることがない疑問だと思います。
”社会的定義”による人種区分に対する違和感
前出「コケージャンは白人か?」では、人種的にはコケージャンに属するインド人のアメリカの市民権を巡って行われた裁判、”米国VSバガット・シン・ティンド判決”についてシェアさせていただきました。人種区分によって、市民権の獲得の可否が決まってしまう時代の話です。そのため、”コケージャン”という人種区分に、誰が含まれ、誰が含まれないのか?がとても重要でした。ここでの最高裁判決のベースとなった考え、「一般的な(アメリカ)人であれば、(インド人と白人コケージャンの間に)間違いようのない明らかな違いがあるという認識があって当然」というのは、2000年国勢調査が言うところの”社会的定義”と言うことになるかと思います。市民権を巡る裁判ですから、社会的定義により判決を下すと言うのは理解できます。現代の常識で考えれば、差別的な判決ともとれますが、ここでは論理的かどうか?という点のみに注目したいと思います。
そのように考えると、入学や就職の際に尋ねる人種区分が”社会的定義”であるというのは、ある意味、論理的な根拠があるとも言えます。”ダイバーシティを重視”という社会の要求がある以上、社会的定義に基づいた人種区分での、自社の人種割合を調べ、公表することは必要な作業だからです。この件についても、いろいろ議論したいことはあるのですが、今回はあくまでも、”妥当な根拠”の有無に注目することにします。
そして、ここからが社会的定義による人種区分に対する違和感についての話です。
病院で尋ねる人種区分が生物学的、人類学的、遺伝的基準ではなく、
”社会的定義”に基づいたものである意味は?
ここで少しアメリカの医療に関する追加情報を。先ほど、”患者登録”の書類がたくさんあるという話をしましたが、その中には、過去の病歴やアレルギー、違法ドラッグ使用有無や飲酒や喫煙の頻度に関する質問、メンタルの健康に関連する質問のほかに、”家族の病歴”も含まれていて、遺伝する可能性があるものに関しては、初診の時にさらに詳しく尋ねられます。同じ症状の患者であっても、医師は、これらの情報も考慮した上で、診断するため、これらの情報が必要だと言います。さらにプライマリードクターを変更した際には、以前の病院での診察情報を含めて、新しい病院に情報を転送したりすることもあります。
この制度は、より適切な診断が可能になると思いますので、日本でもぜひ導入するべきだと思います。そして、このような総合的な判断を行うという診療システムが素晴らしいと思うからこそ、先ほどの疑問が生じるのです。せっかく人種について尋ねるのであれば、社会的定義ではなく、診断に影響するような人種区分に変更するべきではないでしょうか。
例えば、現在の人種区分では、日本人とインド人は同じ”アジア系”カテゴリーとなります。しかし、日本人とインド人は人類学的にも違えば、食事や生活習慣、風土病等も全く異なります。と言うことは、病院に提供した”アジア系”と言う情報は、診察に役立つわけではなく、単純な顧客情報でしかありません。
うちの病院は、患者のダイバーシティに富んだ・・・
なんていうアピールを行うわけでもないでしょうし。顧客獲得のためのアピールを行うとするならば、必要な情報は人種よりもむしろ言語。「日本語が話せる医師がいます」「通訳サービスが無料で使えます」と、これは医師と患者のコミュニケーションという診察に欠かせない要素の1つでもあり、特定層の患者を獲得する強みになります。
今は集めたデータが何に使えるかわからないけど、
今後の医療のため、とりあえず、集められる情報は集め、ビッグデータを作成中?
ゲノム医療業界では、この路線もありえます。しかし、社会的定義をもとにした人種区分では、前出の通り、アメリカの社会的に白人という認識がある人と、アルゼンチンの白人を区別したり、インド人と日本人を1つの区分に括ったりして、情報収集する意味がわかりません。正直なところ・・・
社会的定義に基づいた人種分類は、少なくとも医療業界には不要なのでは?
と、2023年1月時点では、考えています。
”社会的定義”を用いて科学するCDC
コロナのリスクマーカーとして、”社会的定義の人種”を利用したCDC
ところが、この社会的定義に基づいた人種区分は、アメリカの医療業界でもガッツリ使用されています。
科学の権威、ファウチ博士と共にコロナ政策を牽引してきたCDCは、社会定義に基づいた人種区分を用いた”科学”を展開しています。彼らが展開している”科学”というものを、このコラムでは、”新型科学”と勝手に呼んでいますが、この”社会的定義の人種”を用いた科学も新型科学の1つではないかと考えています。その理由を実際にCDCが出しているデータで見ていきたいと思います。
次の表は、人種・民族ごとの新型コロナの感染、入院、死亡リスクについてまとめたものです。
左が基準値となる、白人(ノンヒスパニック)のデータ、続いて右側へ、”アメリカン・インディアンまたはアラスカ・ネイティブ(共にノンヒスパニック)”、”アジア系(ノンヒスパニック)”、”黒人またはアフリカ系アメリカ人(共に(ノンヒスパニック))”、そして”ヒスパニックまたはラティーノ”となります。
この表から言えることは、黒人は白人よりも1.1倍感染リスクがあり、2.1倍入院リスクがあり、1.6倍の死亡リスクがあることになります。
この表だけ見ると、”黒人”という人種がコロナのリスクファクターのように見えてしまうかもしれませんが、そうではありません。アフリカのコロナ状況は、コロナ騒動の全期を通じて、いわゆる先進国とは比べられないほど感染抑制ができている状態でした(注:ワクチン接種推進が進んだ国では、少し違う傾向が出ています。詳細は下記のコラムをご参照ください)。
下記のグラフは2021年9月時点までのものですが、アフリカ大陸にあるすべての国とアメリカ、UKとを比較した結果が次の通りーーアメリカやUKの感染者数に比べると、アフリカ諸国の感染者数は限りなくゼロに近い位置を推移しているーーです。
■アフリカのコロナ政策:ワクチン接種率と新規感染者数の関係(2022年1月)
■【アフリカのコロナ事情】ワクチン支援の前に、彼らから学ぶべきこと
実際、CDCの注意書きにも、「人種や民族は、社会経済的状況、医療へのアクセス、職業(フロントライン、エッセンシャル、重要インフラ従事者等)に関連したウイルスへの暴露など、健康に影響を与える他の基礎的条件のリスクマーカーとなります」としており、人種や民族そのものがリスクファクターだとは言及していません。だから、CDCは学術的に正しい情報を配信しているに過ぎません。しかし、私はここがポイントだと思っています。
CDCサイドに立った、説明をしてみると・・・
リスクファクター:疾患の発症に因果関係があると考えられる先行因子
リスクマーカー:疾患の発症に対する遺伝的傾向を示す生物学的または神経心理学的形質。
(https://www.medscape.com/viewarticle/512405_3 より抜粋した抄訳)
この定義だとちょっとわかりにくいですので、例えば「脳梗塞、アルツハイマー、がんなどの酸化ストレスを原因とする疾患では、生体内でアクロレインと呼ばれる有機化合物が過剰に発生している・・・」という場合の、リスクファクター:酸化ストレスであり、リスクマーカー:アクロレインだと思います。アクロレインがこれらの病気の原因ではないものの、アクロレインの量(増加)は、病気を早期発見するための目安の1つとして使われています。
CDCは人種や民族ごとのリスクデータを公開しておきながら、注意書きで、”黒人”ということが直接的に健康に影響を与える要因になるのではなく、”健康に影響を与える他の基礎的条件のリスクマーカー”と言及しています。
”健康に影響を与える他の基礎的条件のリスクマーカー”については、はっきりと言及していませんので、あくまでも憶測ですが、例えば”黒人”であると、”医療へのアクセス”が他の人種よりも良くないということが考えられます。アメリカの医療は異常に高額ですし、医療保険制度も複雑怪奇なものになっています(”怪奇”は言い過ぎかもしれませんが、謎が多いのは事実)。貧困は、医療へのアクセスを悪くしますし、貧困はコロナの重症化要因の1つである”肥満”との因果関係があるとされていますから、”貧困”はリスクファクターの1つかと思います。
また、すでに明らかになっている別の事実として、”貧困層には黒人やヒスパニックが多い”というものがあります。さらに、アメリカの過去の事件から、黒人は実験的な医療に対して不信感を抱いている人が多い傾向にあります。
■アフリカ系アメリカ人はなぜワクチンを拒否するのか?:タスキギー事件(1)
■史上最悪の人体実験を成功に導いた、黒人看護師の役割ータスキギー事件(2)
このような”事実”を重ねていくと、黒人だから感染リスクが高まるのではないものの、黒人であることが回り回ってコロナのリスクが高いということになる・・・ということが言いたいのだろうということが考えられます。
しかし、問題は、こんな注意書きを丁寧に読み解こうとする人が一体どれくらいいるのか?ということです。こんなにパッきりとした数字を出されたら、誰でも「アジア系はコロナにかかりにくい」と思うでしょうし、ヒスパニックや黒人という人種や民族がコロナのリスクという認識をする人の方が多くなるかと思います。
注意書きで誤情報出さない方に、しっかり明記しているでしょ?
私たちは科学的な事実を言っているだけよ。
っていうことではないでしょうか。
不要なデータを収集し、活用する意味は?
その統計、いる?のなぞ
CDCのデータがどのように使われていたか?を思い返すと、実際のところ、ワクチン未接種者を糾弾するような報道の中で、メディアは「黒人はコロナリスクが高いものの、ワクチン接種率がなかなか伸びない。それはアメリカの過去の悲惨な事件(タスキギー事件等)が影響している・・・」という感じに、人種がコロナのリスクファクターであるかのように扱っていたように思います。
前章でシェアさせていただいた通り、アフリカのコロナ状況をみる限り、黒人ということでコロナリスクが高まるということは言えないかと思います。もちろん、黒人だからリスクが低くなるわけでもなく、アフリカでコロナ感染が抑制されていたのは、別の病気対策で用いられていた予防薬、イベルメクチンがコロナ感染・重症化予防にも効果があったからという研究があります。イベルメクチンは、コロナ予防・治療薬として早くから注目されてしまったがために、新型科学の利権団体から目の敵にされ、イベルメクチンの効果をめぐってはきちんとした研究が続けられない状況にありました。そのため断定はできないのですが、コロナリスクに対する影響は、少なくとも、人種よりもイベルメクチン投与の方が関係していると考えられるのではないかと思います。そのように考えていくと・・・
人種・民族別コロナデータっている?
と思うわけです。
あ、そうですね。注意書きがありましたね。
人種や民族は、”健康に影響を与える他の基礎的条件のリスクマーカー”でしたね。
とはいえ、リスクマーカーだと言い切るくらいなのですから、CDCとしても、人種によって経済的には・・・とか、医療へのアクセスが・・・とかいう前提があっての統計だと思います。でしたら、その前提、例えば、コロナのリスクファクターとしてCDCが考えている”貧困”とか、”ブルーカラーワーカー”といった項目でデータを集計したら良いのでは?と思います。
しかし、この例えば”貧困”も、実は世界的なデータを見ると、コロナリスクが高いのはむしろハイ・インカム諸国だという、WHOが言っていたこととは真逆の結果が出ています。
緑がハイ・インカム諸国で、茶色がロー・インカム諸国です。所得の高さは国ごとに決められてしまうため、1つの国の中の、富裕層と貧困層に当てはめて考えることはできません。しかし、貧困がそのままコロナリスクにはならないということは言えるかと思います。
そうしたことを踏まえた上で、アメリカで貧困層に感染者や重症化者が多いのだとすれば、アメリカ(先進国)特有の貧困問題があり、そして、それは以前から言われているように貧困と肥満の問題ーー安くてたくさん食べられる食品として、栄養価が低く食品添加物たっぷりである種の中毒性がある、ファーストフードを必要カロリー以上に摂取するーーではないかと思います。コロナでこの”ファーストフードの食べ過ぎ”をより問題視するべきだと思うのが、免疫を高めるために重要な役割のある腸が食べ過ぎたジャンクフードの処理に追われてしまうと、その機能をフル活用できなくなるからです。
同じ食べ過ぎる場合でも、栄養価のあるものであれば、免疫力を上げるだけでなく、体調を整えてくれることが期待できるかもしれません。しかし、ファーストフード等の加工食品は、栄養価が少ないだけではなく、体を酸化させる食品としても知られています。コロナの重症化やロングコロナの原因を”酸化”で説明する科学者の人もいますから、肥満問題の中でも、特にファーストフード等加工食品の食べ過ぎがいいわけがありません。
人種の違いから生じるであろう経済や医療アクセスの格差によって、コロナのリスクを暗に仄めかす情報提供よりも、具体的に「加工食品の食べ過ぎは避けるように」等、行動レベルで具体的なアドバイスをしてあげる方が親切ではないでしょうか。コロナに関して、加工食品がダメかどうかはデータがあるわけではありませんが、”手洗いの奨励”と同じ一般論的なアドバイスにはなり得るのではないかと思います。
にもかかわらず・・・
人種が関係するような印象のあるデータ公開をするのはなぜでしょうか?
繰り返し唱える、呪いの効果
次の言葉の続きをご存知でしょうか?
保育園落ちた・・・
10年前くらいでしょうか、認可保育園への入園ができなかった人がつぶやいたとされる、日本を呪った言葉がなぜか日本の流行語大賞に選ばれるという、こういう人たちが日本をおかしくしているのだなという企業、選考委員、そして、政治家が炙り出された出来事がありました。この言葉の受賞に前向きな人の多くは、「日本の少子化対策をもっと充実させなければ」的なことを言っていましたが、そうであるならば、この言葉の選出は全くの逆効果しかないと思います。それは、このような言葉を繰り返すことで、”日本での子育ては大変”という印象を強めるからです。
それに・・我が家でも数年間、認可保育園に入園できない時期がありましたが、いろいろな制度や施設を調べてたり、夫婦の働き方を考えたり・・・等々して乗り切りました。確かに大変で、認可保育園の数を増やして欲しいとは思っていました。しかし、だからと言って、”日本を呪う”ような言葉を吐いても・・・・。
この手の人々は、今後も、公立高校や国立大学に入学できない際にもまた、日本を呪うのでしょうか。正直なところ、園庭で転んだお子さんが「幼稚園のバカ!もう幼稚園なんて行きたくない!」と言っているような、未熟な印象も受けます。そもそも保育園の管轄は市区町村かと思いますので、クレームをつける相手も間違えていますし。ですから、本来、”保育園落ちた”ということと、その後に続く、日本に対する言葉は、関係のない話です。
もちろん、人間ですから、意味のないことを時には呟きますし、八つ当たりもします。Twitterに呟いたこと人がいたこと自体は、「捌け口をTwitterに持っていったのね」くらいにしか思いません。
問題は、この発言をありがたそうに繰り返し使う政治家やメディア、そして、何よりこれを”流行語”とした人々です。この言葉が繰り返し唱えれらることで、日本では子育てが難しいような印象をばら撒き、結果、日本の少子化に貢献したのではないかと思います。それに、私は言霊を信じていますので、このような毒にしかならない言葉を繰り返し唱えるというのは、日本人として本当に残念です。
「保育園落ちた」が話題にされていた当時は、「反日の人っていろいろなところに転がっているのだな」くらいにしか思っていなかったのですが、コロナ騒動の後になって思い返してみると、この”流行語”も、共産主義者による種まきの1つだったように思えます。アンチ日本の種を蒔きつつ、他人任せで思考停止した人を増やしていくからです。
アメリカでの人種問題も、同じような”仕掛け”がされているのではないかと思います。というのも、アメリカに住んでいると、本当に人種による決めつけがひどいなと思うことが多々あります。
アジア系ならば計算が得意で当然。
親子で嫌になる程、よく言われることですが、これも先ほどのリスクマーカーの話に似ています。確かにアジア系の方が計算が得意・・・というより、アジア系の立場からすると、アメリカ人の計算の出来なさにびっくりすることはあります。しかし、それは、理解を優先させ計算能力や暗記を重視しないアメリカでの教育に対し、アジア諸国ではドリルを重んじることが多いことが影響しているのが理由であり、人種による違いよりも教育による違いの方が大きく影響していると思います。
他にも「アジア系はルールを守る」「アジア系は楽器ができる」「アジア系はスイミングが得意」等々、広く信じられている都市伝説があります。大筋あっている都市伝説もあるのですが、それは決して「人種ガチャでラッキーだった」というような類のものではなく、家庭教育の影響があるとはいえ、子ども自身が努力して得た能力です。その子どもたちの努力が過小評価されるのには、腹立たしいものがあります。
■アジア系は学業成績は良いが人格に問題あり!?:ハーバード大VSアジア系受験生❶
■多様性を守るために、アジア系学生を制限!?:ハーバード大VSアジア系受験生❷
■アジア系差別の本当の狙いは・・・?:ハーバード大VSアジア系受験生❸
一方、アジア系とは逆に「数学が苦手」と決めつけられている人種もあり、比較して語るようなものでもありませんが、ネガティブな都市伝説はさらに深刻さがあるように思います。
「自分は( )人だから( )が出来なくて当然」
と決めつけて、自分の能力に限界を設けてしまっているような人たちがいるからです。
繰り返しになりますが、アメリカでの人種区分は”社会的定義”であり、人類学的、遺伝子学的な根拠はありません。ですから、特定の人種で数学が苦手な子が多いとしても、それはあくまでマーカー的なことであり、本当に問題を解決したいのであれば、正しい課題を見つけなければなりません。
例えば、「数学が苦手」な理由は、子どもたちわからないことを親が教えられないことになるかもしれませんし、教える余裕のない生活が原因かもしれません。もしかすると、数学の基礎を学ぶ低学年の時に、英語がわからないことで、数学の学習も遅れてしまったことも原因の1つとして考えられるかもしれません。
このような”本当の課題”が見つけることができれば、解決策を模索することもできます。
しかし、現在のアメリカでは、問題の原因があたかも”人種”に由来するような印象操作が続けられています。”人種”というのは、自分の努力で変えることのできないものですから、できないことはその子どもの責任ではないというような理屈が出てきます。そのため、できない子に合わせて、卒業要件等、子どもたち全体に求める水準を落としていくというのが現代のアメリカの教育です。そうすると、従来の基準でもクリアする努力ができた子も、”低い水準までの努力”しかしないことになります。教育水準の低下は国力に直結しますから、
誰得?
というような状態なのです。
さらに、ネガティブなステレオタイプを教えつけられた層の中には、人種を理由に諦めてしまう人も出てきます。そして・・・。
だから、自分たちは優遇されて当然だ。
近年、アメリカで大きな問題となっている逆差別的な問題で、聞こえてくる声です。この考えが危険な方向に行ってしまったのが、リベラル州中心に起こった特定人種グループによる街の破壊・略奪事件や、白昼堂々と警備員の目の前で多発する万引き事件です。
そして、このような危険な考え方を消極的にでも容認するような土壌を育ててきたのが、CDCが出しているような”誤解を与えるような不明瞭なデータ”ではないかと思います。
今回、事例として挙げたCDCの人種・民族別コロナリスクのデータは、あくまでも繰り返される人種区分という”呪文”の1つです。アメリカに住んでいれば、いろいろな場面での申込書、申請書等に、人種について尋ねる項目が入っています。その度ごとに、アメリカ人は”社会的定義に基づいた人種区分”を回答していくーーつまり、人種が何かをもたらすような印象づけをさせられるわけです。
さらに、学業成績、収入、就職、入試、コロナ・・・等々、さまざま場面で、”社会的定義に基づいた人種区分”ごとのデータを目にすることになります。メッセージ性のないデータ公開はあり合えませんから、その都度、”人種に基づいたメッセージ”を受け取っているのですが、そもそも社会的定義に基づいた人種区分がこれらのデータにとって意味があることなのかを考えると・・・。
このような状態で、人種問題が解決するわけないよねと思うのです。