見出し画像

低迷するアメリカの教育に、トランプ大統領のMAGAパワーは届くか?❷改革はなぜ失敗したのか?

カーター大統領と教育省創設の背景

トランプ大統領が1期目から公約に掲げてきたのは、”教育庁の廃止”。教育庁とは、ジミー・カーター大統領時代(1977−1981)に創設された連邦政府機関ですが、教育庁に対する議論の前に、まずはそもそも”教育庁”とは何か?から見ていきたいと思います。ちなみに、カーター大統領がどういう時代の大統領かひとことで表すなら、モスクワオリンピック(1980年)をボイコットした大統領。ということは、冷戦時代の競争が最も激しかった頃です。ちなみにカーター大統領はご存命で、今年10月に100歳に

1970年代の教育に対する課題:

  • 教育政策は州や地方政府に委ねられ、連邦政府の役割は限定的だった

  • 教育水準のばらつきや不平等が問題視され、特に低所得層やマイノリティに対する教育支援が必要とされていた

創設により解決が期待されたこと:

  • 教育の全国的な基準向上: 各州で異なっていた教育基準を統一し、全米で均等な教育機会を提供する

  • 公民権運動の影響: 公平な教育が公民権の重要課題でもあり、人種問題となっていた教育格差を解消する

  • 連邦政府のリーダーシップ: 教育における連邦政府の指導力を強化し、州や地方の支援を効果的に行う

1979年、教育省設立法(Department of Education Organization Act)にカーター大統領が署名し、厚生教育福祉省から教育部門を引き継ぐ形で、教育省を新設

  1. 効率性の向上:教育に関する連邦プログラムを一元管理し、州政府や地方教育機関との調整をスムーズに行う体制を構築・・・教育政策の明確化と政策提案プロセスの改善

  2. 無駄の削減:重複した手続きや書類作業を減らし、行政コストを削減する・・・官僚的な障壁を取り除く

  3. 教育の質の向上:学生の学力低下や教育の質の問題に対応し、特にテスト成績や達成度の向上を目指した

教育政策の背景情報

以上の教育省創設の背景だけ見ると、なぜ教育省が批判されるのか、わかりにくいかと思います。ただし、これまでのアメリカ教育改革の結果としては、2022年のPISAではアメリカは日本をはじめとする東アジアには及ばない18位ということが出ています(日本よりレベルが低い!?アメリカの教育に、トランプ大統領のMAGAパワーは届くか?❶

教育庁に対する主な批判は、創設当時から「教育政策の連邦化は、地方の自主権を奪う」というものであり、これはトランプ大統領の演説にも含まれたものでした。この批判は、アメリカの独自の政治システムを知らないと「え?」となりますが、アメリカは独立当初から、州単位での政治がベースとなっています。

アメリカ政治を理解する鍵:州が連邦政府に授権するシステム
(毎回出てくる問題ですのでまとめました)

これはアメリカに住むようになるまで知らない仕組みでしたが、住むようになってからは、生活者としてもとても重要なポイントだなと実感しています。州ごとの特徴を知らずに住むと、ルールが全く違って、ユニークなルールによっては、大変なことになるからです。

また各政権で導入された教育政策には大統領が所属する党の色も濃くでています。大きな政府を求める民主党と、小さな政府を求める共和党です。教育改革に関しても、どちらの党の大統領かによって、連邦政府の主導力を強めるのか、緩めるのかという基本方針に影響しています。ただし、共和党ながら民主党よりの政策をとるRINO(Republican In Name Only、名ばかりの共和党)と呼ばれる人もいます。

真っ当そうに見えて、なぜうまくいかないのか?

妥当な政策に見える教育改革

各大統領のもと、加えられていった教育政策には、”大きな政府”か”小さな政府”かという思想による影響は見られるものの、”前政権の教育政策の課題解決につながるような修正を加えていった”と、真っ当な政策が並んでいるように見えます。いや、政策は、企画立案の段階では、多分真っ当だったんだと思います。なぜうまくいかなかったのか?といえば・・・

アメリカ政府がアメリカ人のことを考慮しない政策だったから。

ということが大きいと考えています。本来、コラムの流れを考えると、順番としては、先に、”教育改革の流れ”がきて、それに対する考察がくるかと思いますが、時折、キャッチーなネイミングはつくものの、特に変わり映えもしない、ごく真っ当そうな政策が並ぶため、これを先に見ても退屈かと思いました。それで先に、失敗の原因として考えられることをシャアさせていただいた後に、各政権の教育改革について、見ていただく流れにしました。先に流れが知りたいという方は、目次から”カーター大統領以降の教育改革の流れ”に飛んでください。

リベラル・エリートな教育現場での不正行為

批判された部分はあったとはいえ、評価される点もあったアメリカの教育改革。正直なところ、どの政策も問題がないように見えます。なぜうまくいかないのか?といえば、繰り返しになりますが、

アメリカ人向けの政策なのに、アメリカ人の価値観を考慮に入れていないから。

これはもしかすると、私が外国人で、自分とは違う、アメリカ人の価値観の中で、ある意味日々闘っているからこそ見えてくることかもしれません。アメリカの競争社会は、日本のものとは違います。アメリカの方がもっとフェアな競争?いえ、フェアの考え方がそもそも違うのではないかと思います。

私がリベラル・エリートの教本と勝手に呼んでいる書籍「Nice Girls Don't Get The Corner Office」があります。コーナーにオフィスがあるというのは、出世したことを意味します。アメリカ人女性がなぜ出世できないのか?会社でどのように振る舞うべきなのか?について書かれた本なのですが、これはそのまま”アジア人はなぜアメリカで出世しにくいのか?”に置き換えられるため、度々読み返しているわけです。その中で、最も強烈な?教えの1つが・・・

ルールの解釈を広げ、行動範囲を広げなさい

というもの。例えば、経費の使い方等、他の人がやっていて怒られないなら、自分もそこまで広げるべきであり、注意されるまでルールの解釈を広げていくと、これがギリギリのラインというのがわかるので、そこまで行動範囲を広げましょう!っと。私はルールを守らせる側に立たされたことがありますが、苦戦した理由はここにありました。ちなみに、この本は、”頂きなんとかちゃん”が書いたマニュアル等のようにおかしな価値観の人が書いちゃった本というわけではなく、長年にわたり重版されてきているきちんとしたキャリア本です。

ただし、その中で私がなぜ”リベラル”に限定しているかといえば、ルールの解釈を広げるという考え方自体がリベラルの価値観だからです。最高裁での憲法解釈においても、解釈を可能な限り広げるのがリベラル判事であり、憲法が制定された当時の解釈に従うのが保守判事と言われています。リベラル判事が優勢だった頃の最高裁判決が、保守判事優位になってから覆されたケースがいくつかありましたが、それは誰に指名されたかよりも、判事の法解釈によるものだと思います。

そして、この「ルールの解釈を広げ、行動範囲を広げなさい」は、数値目標や結果の公表や、説明責任を義務付けられた、教育現場でも生かされることになります。

その結果、私が報道等で目にした、教師たちの行動とは・・・

  • 評価対象となるテスト実施日に、成績の悪い子はお休みしても良いことを伝える(暗黙の圧力)。

  • 頑張っている生徒たちを労うために配るお菓子の包みと一緒にテストの解答が配られる(テストは数時間にわたるため、おやつタイムがある)。

  • 天井や壁にプロジェクターで解答が映し出される(暗黙のヒント)。

「なんだ!これは!!」という不正です。こんな馬鹿げたことをする教師が仮に1人いたとして、誰も止めないの?と疑問に思う方も多いのではないでしょうか。このような不正が広がってしまう原因として、リベラル・エリートの別の価値観が影響しています。

些細な規則違反を指摘する際には、その結果として背負う代償をよく考えてから

これも、先ほどの本によると、良心に従って行動するナイス・ガールズでいることは、磔にされてしまう懸念があるからおよしなさいというアドバイス

そんなバカなことが!?

あるんです!
2020年の選挙の時には、民主党支持者で集計作業に携わっている人の中に「私は民主主義を守るために、こんな不正をしてまーす!」というのをSNSで世界に叫んでいるような人も見受けられましたし、そのような行動を見て見ぬふりをする人もいました。実際、不正を発見し、それを世に公表した人は、引っ越しを迫られるほどの脅迫を受けたり、職を失ったり・・・と、良心に従った結果の代償を背負わされてしまいました。アメリカは狂ってる!と思った出来事でした。

ルールの解釈を広げ、行動範囲を広げなさい」は、これを繰り返すたびに倫理観がどんどん薄れていく作業ではないかと思います。SNS等で見られる傾向は、最初にジョークと迷惑行為の境目がわからない人が出てきて、迷惑行為がエスカレートして法に触れてしまう・・・というものですが、渦中にいる本人が一番わかっていないということは、よくあることです。

教育者らによる不正も同様です。結果、ジョージア州アトランタの学校で教師や校長ら178人が成績の良くない子どもの回答を修正したという、大規模な不正行為が起こってしまいました(アトランタ公立学校スキャンダル、2009年ー2011年)。2002年に導入された「No Child Left Behind」が求める厳しい基準を達成するための圧力が原因とされていますが、その前に、教育の現場の倫理観はどこに行った?です。でも、それがルールの解釈を広げ、行動範囲を広げ、良い子を卒業しなければ出世できないというアメリカの現状。しかし、政策立案時点では、このようなアメリカ人のキャリア観が反映されないまま、インチキができてしまう数値目標を課してしまったわけです。

「No Child Left Behind」とは、落ちこぼれをゼロにしようとした、息子ブッシュ政権時に導入された、教育政策。学校や教師の評価が子どもたちが受ける標準化テストによって行われ、その評価によって予算や給料を変えたため、これをプレッシャーを感じる学校や教師が多くいたようです。

もちろん、流石にここまでの不正は、ラインの向こう側ということで、お咎めを受けることになります。こうした不正行為が発覚した教師や管理者は資格停止や解雇、学校への罰金や監査の実施等、厳しい処罰が科されます。政府は対策として、テスト中のセキュリティの強化、不正行為を検出するためのデータ分析等も行なった上、Every Student Succeeds Act(ESSA、No Child Left Behindを改正したもの)の導入により、テストのスコア以外の評価項目を設けたりしました。これにより、大規模な組織的不正行為は大幅減少したとされています。

念の為、このような不正が成績不振に苦しむ全ての学校で行われたわけではありません。”その証拠に”という言い方も変ですが、”成績不振”を理由に閉鎖されてしまった学校もあるからです。

ルール通りに正直に取り組む人が損をするような競争原理、
これは本当にフェアな競争と言えるのでしょうか?

この教育政策は、医療政策のミスと似ているなという気もします。もともと教育政策の多くが、学校(教師)同士を競わせることで、子どもたちの成績を上げていこうというモチベーションを利用した改革を行うはずだったと思います。医療も同じで競い合わせることで、より良い医療の提供ができるように!のはずが、競争によりなぜか医療費だけがありえないほどの高さになってしまって、提供される医療のレベルは・・・・。

リベラル・エリートの価値観は、私の価値観とは違うものですが、ここではどちらが良いかということには言及しません。ただ、アメリカ人の中にはリベラル・エリート的な価値観を持っている人が国民の半数、またはそれ以上にいて、その中で、ルール通りの競争が行われることを期待するというのは、政策として問題があるのではないかと。これで思い出すのが、社会主義の失敗理由です。

構想としては、理想の社会だと言われた社会主義が失敗した理由は、
人間について知らなかったから。

「勤勉でも怠惰でも同じ成果となるなら、サボってしまった方が得!」という人間が出てくるなんて・・・という話です。余談ですが、最も社会主義が実現しそうな国は日本だと言われています。この声が「確かに」と思えるのは、日本には”お天道様が見ている”という倫理観があるためです。先ほど、アメリカの教育現場で起きてしまった馬鹿げた不正に対して、「まさか、そんなことが!」と思った方は、この日本ならではの倫理観がある方だと思います。

そして、これは先ほどのリベラルの教本によると、良い子を卒業して、角部屋のオフィスを獲得しようとする人には、「同じ給料ならよりサボる行動をとる」というのは、正しい選択肢です。なぜなら・・・

目立たない仕事や、それほど重要ではない仕事を引き受けるのは辞めるべき

だからです。

アメリカの学校は、高校であっても、学力による振り分けがなく、その地域に住んでいる子どもであれば、誰でも通学することができます。ですから、1つの高校に全く異なる学力レベルの子どもが通うことになります。そのような中では、自分が担当したクラスに、基礎学力が著しく欠如した生徒も在籍することになるでしょう。例えば、識字能力に問題がある子に対し、自分が担当する1年という期間の中で、年齢相応の学力がある子と同様の成績を収めさせることができるのでしょうか?それは無理でしょう。

しかし、アメリカの教育政策の中で、評価されるのは、標準テストの結果。政権交代の中で、重要度は変われど、このスコアによって、学校の予算や教師の給料が決定されてしまいます。そうしたときに、自分のキャリアアップを考える、言い換えると、脱・ナイスガールズを目標とした教師にとって、標準学力には到底届かない子どもの教育を熱心にすることは、”目立たない仕事”であり、”それほど重要ではない仕事”と言う風に考えてしまわないでしょうか。また、ルールの解釈を広げすぎていくうちに、それが”不正”の領域に入り込んでしまう教育関係者が出てしまわないでしょうか。 

KPIの設定ミス

「ナイスガールズ〜」の本で示されたハウツゥーに関して、ここではその善し悪しに関する議論を行うのではなく、あの本がキャリアアップの常識だと言う前提で、話を進めます。

元々教育庁を作り、連邦政府による教育政策の介入が必要だと考えるに至ったアメリカの教育問題は下記の通りでした。

1970年代の教育に対する課題:
1)教育政策は州や地方政府に委ねられ、連邦政府の役割は限定的だった
2)教育水準のばらつきや不平等が問題視され、特に低所得層やマイノリティに対する教育支援が必要とされていた

1)は2)の教育水準のばらつきや不平等があるから、連邦政府の役割を広げましょうということかと思いますので、大きな課題としては、低所得層やマイノリティに対する教育支援に力を入れることで、教育水準のばらつきや不平等を解消し、アメリカ全体としての教育水準を上げようと言うことだったかと思います。だとすれば・・・

KPIの設定、間違ってない?

KPI(重要業績評価指標、鍵となる業績の数値目標みたいなもの)は、組織の最終的なゴール(KGI)を達成するために必要なプロセスを評価し、定量的に表す指標ですが、例えば、年間売上○円(KGI)を達成するために必要な具体的なプロセスである”新規顧客の獲得”に”月○件”みたいな数値目標をつけることです(KPIの説明は、専門の方のサイトを見ていただいた方が良いかも・・・)。このKPIは数値化できる目標を何でも掲げれば良いと言うものではありません。例えば、売上増のため、”新規顧客に1日30件電話する”と言うKPIを掲げると、ガチャギリされた通話や、クレームを受けるような対応になった電話でも、1件としてカウントすれば良いという仕事ぶりになってしまう人も出てきてしまうかもしれません。この組織の本来の目標は、電話をかけた数ではなく、売上増だったはずです。しかし、KPIの数値にこだわりすぎて、本来の目的を見失ってしまうと、本末転倒となってしまいます。アメリカの教育政策の失敗は、まさにこれではないかと思います。

学校や担当クラスのテストのスコアというKPIは、
”教育水準のばらつきや不平等を解消”というKGIに対して、
適切ではなかったのでは?

下記は、前回のコラムでも紹介したアメリカの成人の識字率です。

アメリカの成人の識字率:
・約21%が機能的非識字(英語の文書を読んで情報を比較したり推論したりするタスクが難しいレベル)
・約4%が深刻な非識字状態
識字能力の低い層の3分の1程度は、アメリカ以外の生まれ(移民)。ということは、残りの3分の2程度の人々は、アメリカで教育を受けた(受ける機会があった)にも関わらず、識字能力が低い

https://note.com/noraailin/n/n102058a29a02

底上げが必要な層というのは、上記のような人たちです。識字の問題がある人たちに対して、いきなり各教科のテストのスコアアップを求めるのには無理があります。連邦政府の介入に対する批判にも、同様の批判はあり、例えば、貧困層にはそのエリアに住む子どもの学力に応じた教育が必要であり、そこに”全国的な標準”のものを持ち込まれても無理だと言います。しかし、それを行わないと補助金が減らされてしまう・・・となれば、標準テストの点というKPIに固執する教師や学校が増えても仕方がありません。子どもたち一人一人の能力を高めていく教育ではなく、全体として良いスコアが取れることに教育の目標が移ってしまいまします。

教師経験がある友人らは、本来、アメリカの教育にあった良さーー想像力やプレゼン能力を高めるような教育よりも、とにかくスコアアップできる授業展開に力が注がれるようになった学校を強く批判しています。とはいえ、子どもの能力よりもスコア重視という教育は、まだまだ”ルールの解釈を広げてもセーフな領域”でしょう。しかし、セーフな領域である、スコア重視の教育では、基礎学力が欠如した子どもたちのスコアが上がらない・・・となればどうでしょう?さらに、”ルールの解釈”を広げるようということになり、この延長上に、先ほどの数々の不正が出てきたのではないかと思います。

いやいや、いくら何でもそんなことまでする?

って思いますよね?でも、アメリカの学校現場を保護者の立場から見てきたものとしては、まあ、あるだろうね・・・っと。アメリカの学校で起きた仰天ニュースには、下記のようなものもあります。これも”ルールの解釈”を広げすぎてしまった結果なのだと思います。「信じられない!」という方は下記もぜひ。

米国コロナ事件簿
3)”義務化”でここまでやる?中学で”マスクの貼り付け”疑惑
4)リベラル先生、無資格で生徒にお注射して逮捕
3)は、子どもたちのマスクが少しでもずれていたり、外れたりした場合、教師が子どもの顔にマスキングテープを貼り付けたという疑惑を取り上げたもので、4)は、17歳の少年に両親の同意なしに自宅で新型コロナワクチンを違法に注射した罪に問われた事件を紹介したコラムです。

カーター大統領以降の教育改革の流れ

レーガン政権:(1981−1989、共和党、”レーガノミクス”、マッカーシズムに協力した元俳優)

  • 小さな政府を掲げ、教育省の廃止を提案するなど教育政策の縮小を試みた

  • 報告書「A Nation at Risk」:アメリカの教育水準が低下しているとの危機感が高まり、教育改革の必要性を再認識された

*マッカーシズム:アメリカにいる共産党スパイを暴いたプロジェクト(目次の「■日本人が知るべき赤いアメリカ」というところに関連記事がいくつかあります)
プラザ合意レーガノミクスの一環で、日本に対米貿易黒字の削減の合意を強いたもの。日本の失われた30年の起点とされています。

パパ・ブッシュ:(1989−1993、共和党、湾岸戦争、冷戦終結、CIA長官経験者、国連大使時代に中国が国連に加盟)

  • America 2000教育戦略:アメリカの教育水準を引き上げるための教育戦略。

    • 具体的な法律よりも、教育水準向上に向けた目標設定が中心

    • National Education Goalsを掲げ「幼稚園児の就学準備、中学・高校の卒業率向上、数学と科学で世界トップレベルの達成」を目指した

  • 1990年: 障がいを持つアメリカ人法(ADA)が成立。障害者への教育機会の拡大を支援する役割を拡充

国連の設立に携わった アルジャー・ヒス(ルーズベルトの側近でヤルタ会談にも出席)は、ヴェノナ文書によりソ連のスパイだったことが暴かれています(WWⅡ前後の共産ネットワークを暴いた、ヴェノナ文書:日本人が知るべき赤いアメリカ(2))。ニクソン政権時に国連大使を務めていたパパブッシュが中国の国連加盟(台湾の追放)に携わり、その後、中国の特命全権公使を務めた後、CIAの長官に。

クリントン政権:(1993–2001、民主党、ITバブル<情報スーパーハイウェイ構想>、””ジャパン・バッシング””チャイナ・ゲート疑惑”)

  • 「Goals 2000」:高校卒業率、生徒の成績、教師の育成、保護者の関与などの分野に重点を置き、2000 年までに達成すべき 8 つの目標を設定

  • 課題:説明責任と測定可能な成果が求められた多くの州は、リソースの制限とさまざまな能力のために、期限を守り、望ましいベンチマークを達成するのに苦戦した

  • IT教育への投資

    • 米国全土の教室にコンピュータとインターネット・アクセスの導入を目指す

    • 技術リテラシー チャレンジ基金 (1996 年) 

    • 評価・批判:情報技術の普及により、IT産業が発展した一方、貧困エリアでは、デジタル・リテラシーよりも前に読み書きの普及が求められていたことや、使用する機器に貧富の差が生じたことでデジタル格差を生んだという批判も。

*クリントン政権は、情報スーパーハイウェイ構想を導入すると同時に、IT教育の充実によって、企業や産業が求めるスキルを持つ労働者の需要を満たすことに成功。その結果、テクノロジー産業への投資が加速し、ITバブルに繋がりました。民主党の重要な支持団体にIT業界があるのは、クリントン政権の恩恵を受けた業界であるからと思います。労働者の味方である民主党から、リベラル・エリートの集団へと変貌していったのはこの頃です。

息子・ブッシュ政権:(2001–2009、共和党、同時多発テロ、イラク戦争、世界金融危機、テキサス州知事時代に”TOP 10% Rule”の導入)

  • No Child Left Behind(NCLB、落ちこぼれゼロ)法:低所得層やマイノリティの子どもたちの学力を向上させ、学力格差をなくすための取り組み

    • 標準化テストの導入: 各州は、標準化されたテスト(数学と英語)を実施。結果により、学校を評価基準し、結果の一般公表を義務付けた

    • 成果に基づく評価: 基準を満たさない学校には、予算削減、閉校などの処分を課すことも。

    • 親の選択肢の拡大: 子どもの学業レベルにあった学校への転校が可能に

    • 教師の質の向上: 各教科で高い資格を持った教師が求められる

  • 批判:

    • 学力格差の可視化や教育の質の向上に一定の効果があったという声もあるが政策に携わった教授も失敗であったことを認めている

    • 成績不振の学校に対する制裁措置が厳しかったため、テスト対策が授業の中心になり、授業の質が下がった(数値を上げるための”ズル”が行われることも)。

*大阪が導入しようとしている(した?)教育改革は、このNCLBを基にしているということですが、アメリカではすでに”失敗”の烙印が押されているように思うのですが・・・。

*TOP 10% Rule:貧困層やマイノリティへの配慮として、各校の上位10%はテキサスの州立大学への入学が許可されるというもの。一見良さそうな政策に見えますが、色々問題もあります。その件は、最後の章で。

オバマ政権:(2009–2017、ネオリベラル化、”中間層の崩壊””様々な親中政策”)

  • Race to the Top: 州レベルでの教育改革を促進するために、連邦政府が設けた競争型助成金プログラム(てっぺんを目指せ!)。アメリカ史上最大規模の教育助成プログラム

    • STEM(科学、技術、工学、数学)教育に重点

    • 生徒のテスト成績にリンクした教師評価システムを作成するよう州に奨励

  • コモン・コア基準:英語と数学の教育基準を統一。高校卒業時に大学やキャリアに必要な能力を備えられるようにするために作られた。

    • 州主導の基準であるコモンコアは、連邦政府が直接押し付けることはできないため、Race to the Topの助成金を活用して州の自主的な採用を奨励。

  • 評価・批判:教育改革のモチベーションを高める一方で、地域間格差や過度な競争を招いた。特にコモン・コアに紐付いた助成金制度だったため、教育の中央集権化という批判を受けた。

  • Title IXの改正: 性別に基づく差別禁止のためのTitle IXに関しての被害者サイドでの条件緩和。証拠が不十分な段階でもセクハラを訴えることができ、訴えを受けた学校には対応を義務化。

    • 評価:教育機関の問題意識が高まり、被害者が支援を受けやすくなった。

    • 批判:適切なプロセスなく厳罰につなげてしまうような現場の混乱、迅速かつ断固とした対応を迫られた学校が教師や生徒の評判を傷つける懸念

Title IX:連邦政府が資金を提供するあらゆる教育プログラムまたは活動において性別に基づく差別を禁止する(”資金提供”と関連してくるため、連邦政府の権力が強い形)

2期目

  • ESSA(Every Student Succeeds Act):1期目の2つの政策に対する批判と課題に対処する試み。学校の成績評価方法を州政府に委ねることによって、州ごとの柔軟性を高め、連邦政府の介入を減らした。

    • 特に低所得層や特別支援が必要な学生への支援を強化

    • NCLBのように全国一律のテスト基準をなくしたほか、テスト以外の評価を加える等、”テスト依存”からの脱却を狙った

*「Goals 2000」→No Child Left Behind(NCLB)法→Every Student Succeeds Act(ESSA)の順で前の取り組みの改善点を反映させた形で、政策を投じています。

トランプ政権(1期目):(2017–2021、”教育省の廃止”を唱える、様々な反中政策)

  • 教育省の予算削減: 教育省の予算削減(役割を縮小)し、一部の予算は教育機関への支援やバウチャー制度等のプログラムへ再配分した。

  • ESSA(Every Student Succeeds Act)の柔軟性拡大: オバマ政権下の2015年に導入されたものをトランプ政権で実施。

    • 学校の評価基準やテストの要件において、連邦政府の介入を避け、州や地方教育機関に決定権を委ねた

  • 公共学校の規制緩和: 公共教育に対する連邦政府の規制緩和。州や地方政府が教育方針を決定する自由度を拡大した。

    • 学校バウチャー制度:公的資金を用いて私立学校やチャータースクールに通うことを支援。教育の選択肢を広げることが目的とした

  • Title IXの改正: オバマ政権での緩和された条件について、被害者の支援と被告の公平性の確保の間でバランスを取るため、適正手続を重視した。

    • 証拠基準の強化

    • クロスエクザミネーション(交差尋問)の権利

    • 学校の責任範囲の制限

    • 評価:批判:手続きの厳格化により、特に証拠不十分な場合の処罰が難しくなったという声がある一方、被害者数は減っていないことから、学校側が引き続き適切な対応を取っていると考えられるとする声も。

いいなと思ったら応援しよう!