進次郎とリベラル・エリート
これはちょっと個人的なメモ書き的なものです。最近の小泉進次郎氏の発言に驚かれている方も多いかと思います。そんな中、個人的に「これこれこれ!!」と熱い気持ち?になっているのは、進次郎構文?進次郎節?と言われている彼のとんでも発言は、私がこのコラムの中で”リベラル・エリート”と呼んでいる人たちの発言と、構造がほぼほぼ同じなのです。
進次郎とリベラル・エリートの発言の共通点:
質問の答えになっていない:
全然関係のないところでも、議論の途中にしれっと自分(実績)アピールを投入することに熱心で、回答の妥当性等には興味がない
質問のクオリティ評価を上げ下げすることで、”答えられない(答えがわからない”自分をもスマートに見せることに熱心
主張は自分の考えではない:
権威がある人の主張を口にしているので、主張にやたらと自信があり、否定されるとキレるが議論により相手を納得させることはできない
自分では一切考えないので、矛盾した2つの意見(考え)を平気で主張することができる
内容よりも言葉の響きを重視する:
スマートに聞こえる単語を並べることこそが重要であるため、その言葉の羅列により何を伝えたいのかは全く不明
そもそも伝えたいことがないので、意味よりも響きを重視した言葉選びをしても不都合は生じず、同じ内容を繰り返すことにも躊躇しない
ちなみに、私がリベラル・エリートと呼んでいる人たちは、コロナ禍の時に、ファウチ博士らを闇雲に信じ、”ウイルス・中国ラボ流出(人工ウイルス)説”を頭ごなしに陰謀論と決めた人たちや、”お注射は安全かつ唯一の対策”とし、既存薬によるコロナ治療を陰謀論と決めつけた人たち、そして、共産左翼の出してくる利権目的のリベラル主張にまんまと乗せられてしまっている人たちのことです。
このリベラル・エリートを端的にどうやって説明しよう?と考えていたのですが、今度から、アメリカの進次郎たち、もしくは進次郎系アメリカ人と表現したら良いのかも?