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「アイとアイザワ」第10話

前回までのアイとアイザワ

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愛はスマートフォンの残量を確認した。残り11%。所長代理のバイクは、変わらず一定の車間距離をとってピタリと張り付いたままだ。映画の様にタクシーの運転手はカーチェイスに付き合ってはくれないし、映画の様に銃で撃たれる事もない様だった。ただ、事態は変わらず時間だけが過ぎて行く。

時間とは選択肢だ。時間が減るという事は、すなわち選択肢が一つづつじわじわと潰されている事と同じだった。何も起こらないまま、愛は徐々に不利な方へと片寄って行く。愛はタクシーの運転手に高速に乗る様にお願いした。目的地である人形町へ向かうのに高速に乗る必要は無かったが、できるだけ所長代理との車間距離を開けたかった。時速は90km。案の定、所長代理は几帳面におおよそ90mの車間距離を開けて走行している。

「アイザワ、よく聞いて…このままではまずい。非常にまずいわ。私にはアイザワの未来予報が必要。未来予報が無かったら、私はただ人より記憶力がいい女子高生だもの。私だけで彼らから逃げ切れるとは思えない。未来予報を復帰させるには、Wi-Fiに繋がらないといけない。そういう事ね?」愛はスマホを耳に押し付け、誰かと電話している素振りを続けた。

「うん。でも困ったな。今の速さだと、電池が持たないかも。」

「え…!?そんなに?そうだ、どうせ今は役に立たな…えと、AIZAWA調子悪いっぽいし、Wi-Fiがつかめる環境に着くまで一旦電源を落としておくとか…。」

「ダメみたい。ぼくって起きる時が一番電池使うんだよね。一回寝ちゃったら、起きるのに電池使い切っちゃいそう。」

「なるほど…省電力モードとか無いの?」

「あるよ。」AIZAWAの無邪気な返答に、愛はたじろいだ。それから、できるだけ丁寧にAIZAWAに尋ねた。

「それは意味ないの?」

「あるよ」

「使おう?」

「いいよ!」AIAZWAは嬉しそうに返事をした。

AIZAWAとは別の、機械的な女性のアナウンス音が省電力モードに切り替わった事を告げた。

AIZAWAがアホになってる…。アホという状態とは、つまりは自立思考し自己判断が行えなくなっている事だと愛は理解した。案外、未来予報以外は使えるのかと知れない。今は闇雲にそれを試して電池を消費させる訳にはいかないが、こちらが目的を伝えれば選択肢を提示してはくれるし、指示を伝えれば実行もしている。能力的にはそこまで劣化はしていない可能性がある。事実、アイザワは速度と目的地への距離、そして交通状況など複合的な情報を収集した上で、電池残量がもたないアラートを出して来たのだから。

だとすれば愛がすべき事は一つ。AIZAWAを上手く使ってやる事だけだ。

愛はAIZAWA、もとい自分のスマートフォンを見つめていた。省電力モードにしたからか、3G回線になったからか、画面には二頭身のカワイイキャラクターがちまちまと控えめに動いている。愛が好きなアニメのキャラクターと似ていた。きっとアイザワが自作した愛向けのアバターなのだろう。

相手によって外見を変えられるというのは夢の様な能力だ。動物の赤ん坊が、ちゃんと愛情を持って育ててもらえる様に本能的に愛らしいと感じる造形をしていると聞いた事があるが、アイザワは自分のオーナーとも言える愛に対して、当然の処世術と言えるかもしれない。

電池残量が、また1%減った。現在10%。

「愛、どうしよう。困ったな。」AIZAWAは困っているのか楽しんでいるのか微妙な言い方をして、またちまちまとアバターを動かせた。

「2分。」愛は、ぽつりと呟いた。

電池残量が1%減るのに、2分。分速0.5%のペースで減っている。あと20分。意外と時間あるじゃない。愛はそう思った。分からないという事は恐怖を大きくする。何が問題で、その問題がどれくらいの大きさなのか把握すれば、人は冷静さを取り戻すことができるのだ。愛の様に、地頭が良ければ尚更そうすべきだ。

考えるのよ…今の問題は電池残量でもアホのAIZAWAでもない…選択肢…選択肢が少ないのが問題。目的地に間に合わないタクシーなんて、ただの動く棺桶じゃないの…選択肢が無いというのが私達の問題。逆に私達の本来の強みは未来予報。それってつまり…無数の選択肢の中から、正しい選択肢が予報できるって強み。AIZAWAがWi-Fiを掴み正常に戻った瞬間、選択肢が1つでも多い方が良い。私にできる事は、選択肢ができるだけ多い場所でAIZAWAを復活させる事だ。そう愛は思った。

選択肢というものは、二種類ある。

一つは、時間だ。アイザワが残り5分の時点で目覚めても、残り5分の中でできる選択肢しか選べない。まずは、時間を1秒でも多く残してやらなければならない。

もう一つは、場所だ。人気が無いところでは行動の幅もたかが知れている。人がたくさんいて、ものがたくさんあって、複雑な要因が絡み合う街中が好ましい。

「運転手さん…箱崎JCTで降りてください。水天宮前の駅前に。」

できるだけ人通りが多い場所でタクシーを降りる。そうすればきっと…あの方法が使えるはずだ。人類の未来がかかっているんだ、多少の迷惑は致し方無い。

「愛、何をするの?」

「AIZAWA、私の合図に合わせて、ある事をして頂戴。それはー」

タクシーが減速した事を、山田所長代理は後方から目視した。同じくバイクを停車させ、愛の方へ向かう。長い足を駆使した早歩きでじわじわと愛に近付いてくる。愛は視線の端で所長代理を見つけた。距離は30mも無さそうだ。

愛は古本屋で使おうと思っていたお小遣いを運転手に払うと、全力で水天宮前駅へ向かって走り始めた。所長代理は、きっと例の記憶を消す装置を使う気だ。まさか人通りが多い街中で女子高生を力づくで抑えつけたりはしないだろう。装置によって気を失った愛を抱き抱え、あとは救急車に乗せて連れ去る。その救急車も、きっと人工知能の秘密を守ろうとしている国の息がかかっている。記憶を消す装置というものがどんなものなのか分かっていないが、会話の流れから憶測するに視覚に作用するもののはずだ。愛は、背後に迫っているであろう所長代理の方を見ない様に、振り返らずに走った。距離は分からない。

選択肢。時間の確保と、場所の優位性。時間は言わずもがな徐々に減っていく。場所は移動するほど優位な場所を選べる。これ以上でも、これ以下でもいけない。愛は、今がギリギリの「今」だと確信した。

「AIZAWA…今よ!」

駅は大勢の人が行き来している。若いカップルからサラリーマンまで、老若男女。人混みの一人が、スマホを取り出した。

「げ、速度制限だ。今月早くねぇか?」

「変な動画たくさん見たんじゃ無いの?…あれ、私も…?」

人々が、ドミノ倒しの様にスマホを取り出し始める。速度制限を知らせるプッシュ通知音が、雪崩式に愛を中心に広がってゆく。それが山田所長代理の所にも届いた。

「速度制限…?まさか…」山田所長はスマホの画面から、視線を愛に戻した。

「実際、悪いとは思ってる。勝手にスマホに侵入して、回線を借りるっていうのはかなり悪い気がするわ。でも人類の存亡がかかっているんだもの。許してね。AIZAWA、調子はどう?」

「愛、あと5秒で9台目のスマートフォンも速度制限に入ります。このままスマートフォンをハックしながら移動すれば、人がいる限り回線速度は確保できます。このやり方は、私の発想にはありませんでした。」

「そりゃそうよ。これは、非人道的な手段だもの。強制テザリングなんて。」

「愛、じきに近隣の高校が部活帰りの時間になります。愛の制服ととてもよく似た制服です。それに紛れれば、所長代理の目を誤魔化せるかも知れません。」

電池残量は6%。残り時間は12分。コンビニで充電器を買う時間は十分に残されていた。



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