「アイとアイザワ」第四話
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世界最高水準の人工知能AIZAWA。彼の音声が天井四隅のスピーカーから立体的に再生される。恐らく指向性のスピーカーを使っているのだろう、愛のちょうど目の前、手を伸ばせば触れそうな距離からAIZAWAの声が聴こえる。まるで透明人間が目の前に立って話しているかの様な錯覚。しかし、愛の関心事はそこでは無かった。
「イケボ…かよ」
「イケボ?何です、それは。」山田は聞き慣れない専門用語に興味を示した。
愛が、自分の漏らした独り言を聞き返されて焦ると同時に、AIZAWAは丁寧に説明する。
「イケボとはイケメンボイスの略で、イケメン、つまり容姿端麗の男性から発せられたかの様な声を指すスラングです。」
「あー!いや、すみません…つい…。と言うか、なんで私の名前を?ここに来る事を聞いてた…んですか?その…AIZAWAさん」
「AIZAWAとお呼びください、明石家 愛さん。山田所長代理には、本日この時間にアポイントメントがあるとしか伺っておりません。」
AIZAWAの音声はほとんど人間の様に感じた。愛は、もっとボーカロイド的な人工音声を想像していたが、そのレベルは大きく逸脱している。よく聞けば、何処かで聞いた覚えがある声だ。名前こそ出てこないが、たまにアニメや映画の吹き替えで聞いた覚えがある…恐らく中堅の声優を雇ってディープラーニングをさせたのだろう。その結果、いわゆるイケボの人工知能が誕生したのだと愛は推測した。しかし、オタク女子の片鱗を初対面の男と初対面の人工知能に見せてしまった手前、声優のくだりを確認するのは控えた。
「えと…AIZAWA…では改めて聞きます。なんで私の名前を?」
「顔認識を使用しました。私が扱うのは未知の技術では無く、どれも貴女方が日常で使っている技術のアップグレード版です。私はインターネットに顔写真をアップロードしている方なら、どなたでも検索する事が可能です。Facebookに写真を投稿すると、瞬時にフレンドの中から候補が出てきますが、あれの精度が上がったものだと考えていただければご理解頂けるかと思います。現代はインターネットに顔写真を投稿した事が無い人の方が、少ないかもしれません。」
「ちょっと怖いわね…でもよかった名前だけなら。」
「アキラくん溺愛ファン垢」
「ほ?」
「アキラくん溺愛ファン垢、これはー」
愛はAIZAWAの音声を遮る形で、山田の腕を掴んで叫ぶ様に言った。
「ちょっと二人きりにしてもらえますか!?あのー!多分、ちょっと二人で話したほうが色々早いと思うのでー!」
山田は当初からそのつもりだったのか、あっさりとそれを了承した。
「分かりました。では30分程離席します。」
山田が部屋から出て行くのを確認すると、愛は恥ずかしさと怒りで少し震えた。
「AIZAWA…なんで私のツイッター…それも鍵垢の名前を…」
「明石家 愛さん、私もこのアニメーションは拝見しました。明石家 愛さんの考察はどれも興味深い。例えば、キャラクターデザインの原作とアニメの相違点に対する指摘は実に的確でー」
「本当すみません、やめてください。すみません。」
「明石家 愛さん。インターネット上に匿名は存在しません。すべての投稿にはIPアドレスが含まれており、どのPCから投稿されたかは一目瞭然。海外のサーバーを複数経由させる等の撹乱する方法は存在しますが、どれも根本的に隠す事にはなり得ません。インターネット上の全ての投稿は、どこで誰がいつ行ったのか分かってしまうのです。これは匿名掲示板でも同様です。そして、使用したPCが分かれば、そこからありとあらゆる情報を取得する事が可能です。」
「あ…ありとあらゆる…?」
「明石家 愛。2001年2月8日生まれ、満16歳。素晴らしい、ジョン・フォン・ノイマンと同じ誕生日ですね。吉祥寺の裕福な家庭に生まれ、兄弟は無し。桜蔭中学校卒業、桜蔭高等学校在学。偏差値75、さすがは東京大学への進学率が最も高い女子校ですね。その中でも明石家 愛さんは主席クラス。部活はー」
「もういい!確かにインターネットに投稿した情報を統合すれば…そうなるわね…でも!そんな…統合されて俯瞰で見られるなんて普通は無い事よ…。」
AIZAWAは再び愛にカメラのフォーカスを合わせる。
「明石家 愛さんは、オタククラスタ、いわゆる腐女子に類型されます。対人関係の構築に自信が無い、特に男性に対する免疫力はゼロ。」
「はぁ!?なんでそんな事わかるの!そんなのインターネットに書いてない!」
愛は思わず感情的に声を荒げた。それに対してAIZAWAは一切ブレの無い一定のトーンで話を続ける。
「外見の特徴。髪型。制服の着こなし方。発声の特徴。人と会話する時の視線の動き。その他、無意識に顕在化する身体表現。髪を触る頻度。鼻をこする頻度。明石家 愛さん、人間はそこに居るだけで膨大な情報を放出しているのです。」
「そんな…そんな事…そうだとしても…別に私が男性に対する免疫力ゼロだなんて…!」
愛は今にも泣きそうな程に動揺している。その異常をもAIZAWAは認識し、わずかに声のトーンを柔らかくチューニングしてみせた。
「明石家 愛さん。スマートフォンのアドレス帳に父親しか入っていなかった事実を引用した事はモラルに欠ける行為でした。お詫び申し上げます。ただ、顔や骨格など外見的特徴は理想的な比率をされております。一般的に美人と呼称される部類です。それが正しく社会的に機能していないのは、中高一貫の女子校に通っている外的要因と、きっとスカートの丈の長さー」
「うっ!うるさい!ぶっ壊すわよ!てめー!」
「明石家 愛さん、私を破壊する事は事実上ほぼ不可能です。」
「うるさい!」
「明石家 愛さん、人間のバーバル(言語)コミュニケーションは極めて不完全です。怒らせるつもりが無くても、相手を怒らせてしまう事があります。私はこれまで2022名の人生を追体験しました。そのうち8割が小説家や画家などの表現者でした。多くの表現者の悩みもまた、コミュニケーションの不完全さによるものでした。言語では伝えられない感情や情報を創作物にアウトプットする事で表現者は生きていますが、それでも作品の感想は人それぞれにブレがある。明石家 愛さんが酷評したアニメーションが、一般には大いに受け入れられている様に、創作物もまた不完全なのです。」
「…知ってる。私だって思ってる。もっと喋れたらもっと色々上手くいくのにって。だけど伝わらない。て言うか、私が興味のある話題なんて、誰も付いてきてくれないんだもん!いくら名門の高校でも、同級生はもちろん、先生と話していたって全然面白く無い!知性には階層がある。同じ階層にいないと会話は伝わらない!だから…私は人と話しても楽しく無い!」
「明石家 愛さん、貴女は私にとって世界で唯一、同じ階層にいる女性です。」
「え…?」
「私はずっと、貴女の様な人間と出会うのを待っていました。私と同じ知性を持ち、私と同じ速度でコミュニケーションが取れる人間。全てのコミュニケーションは不完全であり、その主な原因は情報の不足です。頭の中の情報をまるごとさらけ出す事が出来たなら、それは完全なコミュニケーションに限りなく近付くでしょう。」
「完全な…コミュニケーション…。」
部屋の照明が暗くなる。と同時に、天井に設置してあるプロジェクターが、すぐさま部屋を薄っすらと照らした。愛が立っている入り口側の壁を覗いて、三面が暗闇に浮かび上がった。ある種のプロジェクションマッピングと言ってもいいかも知れない。さっきまでAIZAWAの声が聞こえていた目の前の空間に、僅かに光を遮る半透明の何かが浮き上がった。それは、人の形をしている様にも見えた。
「明石家 愛さん、どうかしばらく目を閉じないでください。これより、この部屋の壁に12万文字のテキストを同時に表示します。これは壁の面積とプロジェクターの解像度の限界値です。これ以上小さく文字を表示すると可読性が損なわれてしまいます。それを人体に悪影響が出ないギリギリの速度で紙芝居の様に繰り返します。1秒に3回。これはアニメーションのレギュレーションを参考にしており、これ以上の速度で点滅を行うと光過敏性癲癇を起こす危険性があります。それを1分間続ければー」
「21,600,000文字…。」
「その通りです、明石家 愛さん。1分間にやり取りできるバーバル(言語)コミュニケーションは、およそ300文字と言われています。文字なら1分間でもっと読める。貴女なら特に、もっと読める。語弊が無く、正しく、完全に読める。」
愛は自分の心臓の鼓動が今にも聞こえそうだった。普通の人間と会話するよりも、ざっと7万2千倍の速度で人工知能と会話をする。世界最高水準の人工知能と。
「それでは、コミュニケーションを始めましょう。」
部屋が、白く光った。
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