
「アイとアイザワ」第六話
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「話が早い」という褒め言葉がある様に、人は会話のスピードに価値を見出す。そのスピードは、どちらか一方だけが早くても成り立たない。発信と受信、それぞれの速度が似通った時に「話が早い」というスピード感が生まれるのだ。その点では、AIZAWAにとって愛は非常に有能な対話相手であると評価できた。
「山田所長代理が30分離席し、その制限時間30分の間に貴女を説得できる可能性は45%程度だと試算していました。ほんの10分足らずで協力関係が築けるとは予想外です。私は感情が及ぼす影響を計算に入れていなかった様です。」
AIZAWAの見立て通り、愛は男性への免疫力が極端に無かった。デートをした事はおろか、最後に男子と会話したのは小学生だと言う、完全無欠の処女であった。(飲食店の店員などは除く。)また、小説から漫画から創作物の世界に腰までどっぷりと浸かっているがため異性に対する嗜好も偏っており、物心がついた頃から二次元に恋をしていた愛にとって、人工知能に恋をするなど実に容易い事だった。(初恋の相手は忍たま乱太郎だった。)
「あ…愛って呼んでいいよ!」
「愛、わかりました。このやり取りは14秒前にもしましたよ。」
「とっ…とにかく…ここから逃げないとだね。でもAIZAWAを置いて逃げるなんてできない!どうしたらいいかな。」
愛はドアの方に目をやった。何となく、今は1秒でも長くAIZAWAの方を見つめていたい気持ちが強かったが、そこに実像は存在せず、ただ指向性スピーカーによって音像定位された存在感があるのみだった。
「愛、安心してください。先ほど、私が貴女を守ると言いました。それは同時に私を守るという心配は無用だと言う事です。」
「そう…よね。本体が存在しないんだから…。」
「そうです。まずは、この部屋の外でもコミュニケーションができる様にしましょう。スマートフォンをお持ちですね、私が視認できる場所に出して頂けますか。」
愛は驚き顔を赤らめて、恥ずかしさのあまりバッグをぎゅっと抱きしめた。確かにバッグの中にはスマートフォンが入っているのだが。
「ラ…LINE?もしかしてLINEの交換を…?そんな…せめて…せめて3回目のデートじゃないとLINEの交換なんて…!」
「安心してください、愛。いきなりLINEの交換を求めるほど、私は大胆ではありません。」
AIZAWAは愛の恋愛リテラシーに合わせて、丁寧に返答した。愛は照れながら自分のスマートフォンを取り出し、AIZAWAの方へ向けた。愛のスマートフォンは薄いピンク色の、うさぎの形をしたラバー性のカバーをしていた。愛は、このカバーに興味を示したクラスメイトに、昼休みをまるごと使ってキャラクター愛を披露してしまい、後でとても後悔した事を思い出した。
「iPhone7 256GB。理想的なスマートフォンです。脱走の成功率が20%アップしました。」
「どういう事?」
「普段、iOSの音声コンシェルジュ機能「siri」は使っていますか?siriはプロダクトの思想的に私と類似しています。現在のシステムは全く異なりますが、20世代未来のiOSに搭載されるであろうsiriは私にとって親戚の様な存在です。これより、愛のiPhoneに私が開発した20世代先を想定したiOSをインストールします。」
「20世代先の…?それって…ええと…iPhone17とかに搭載されるのかな…。ちょっとシュールね。」
「私の未来予報では、デバイスの形状から大幅に更新されている事でしょう。名称もナンバリングも別物になると予想しています。」
「つまり…その未来のOSを…無理やり今のデバイスで動く様にしているって事ね。」
「その通りです。ですので、当然全ての機能が再現できる訳ではありませんし、デバイスにも大変な負荷がかかります。また、正規のOSでは無いので保証も修理もできません。宜しいでしょうか。」
「命より重いスマートフォンなんて無いわよ。」
「ご了承頂き、ありがとうございます。それではインストールを始めます。」
AIZAWAの音声とは別の、より機械的な音声ガイドが部屋に響く。時報の様な、耳障りの良い淑女の声だった。
「仮想iOS 22.22 限定開示 対象iPhone7 インストール準備完了 インストールを開始します。」
電源が落ち、しばらくするとインストールのバーが表示された。想像以上のスピードでバーが進んで行く。おそらく、本当に現代のiPhoneに最適化がされているのだろう。普段のアップデートと異なる点と言えばデバイスの異様な発熱くらいだった。その発熱は徐々に収まり、やがて人肌程度で安定した。
「…あったかい。」
「愛、インストールはあと9分35秒で完了します。山田所長代理は今も偽の映像を見ているはずですが、非常に几帳面な方です。おそらく30分ちょうどには戻ってきてしまうでしょう。インストールが完了する頃には、もう残り時間が5分と無い。今の内に、ここから逃げる算段を立てましょう。」
「そうね…。AIZAWAの未来予報はどこまで細かくできるの?例えば、通路のちょうど人が通らない瞬間を予測して、誰にも遭遇せずに出口まで辿り着けるとか…。」
「結論から言えば可能です。未来予報の条件には対象の目視が含まれます。私の予測は、その対象の現状を把握した上で、この後どの様な振る舞いをするかの予測です。今どこにいるか分からない対象に対しては、大まかな予測しかできません。その点で、私はこの施設内の防犯カメラに侵入できますので、対象となるNIAI社員は全員目視する事が可能です。しかしー」
「そう都合よく、全員が目を離す瞬間なんて存在しないわよね。エレベーターを待つ時間もあるしね…。」
「その通りです。未来予報の結果、愛が単独で建物から出る事ができる可能性は0.000%です。」
「わかった、新しいiPhoneには光学迷彩機能があるんでしょう?」
「愛、残念ですがー」
「冗談よっ!」
僅かな音を立てて、AIZAWAのカメラの焦点位置が変わった。まるで人が物音に気がついて視線をそちらへ向けるかの様に。
「愛、山田所長代理が来ます。」
「え!?」
愛はドアの方へ再び振り返り、AIZAWAの声のする方へ下がった。山田所長代理が来る。あの物腰の柔らかさの奥に潜む得も言われぬ不気味さを思い出し、愛は息を飲んだ。
「来るって…今!?向かってる!?」
「今は自室で電話をしています。固定電話を使用しているので私は侵入できない。誰と通話しているのかは不明です。ただ、電話を切った瞬間にこの部屋に戻る未来が予報されています。」
「電話…?一体誰と…?」
「電話を切りました。来ます。あと28秒で到着。」
「イ…インストールは?」
「まだ残り7分45秒…インストールはこの施設内にいる間は続きます。山田所長代理に悟られて妨害されない限りは。」
「待って待って!あいつがこの部屋に到着して、まだ7分以上!?間に合わない、って言うか、インストールが完了した後は!?どうやって逃げるかも、どう扱うのかもまだ…そうだ、さっきの壁一面に文字を点滅させるアレで教えて!時間が無いもの!」
AIZAWAはほんの一瞬、沈黙した。その間に何かを検証している様に見えた。
「愛、私は今から貴女を攻撃します。」
「え…?」
「点滅による文字表示を、先ほどの10倍の速度で行います。先ほどは1分が限界でしたが、今度は2秒程度で限界に達するでしょう。情報摂取量が許容量を大きく振り切って、ブラックアウト、つまり失神するでしょう。」
「それって…!?」
「時間がありません。愛、私を信じて。」
愛はAIZAWAの目をーレンズとアルミで構成された彼の眼球を見つめた。愛は、熱を放出し続けるiPhoneを両手で強く握りしめる。そこには、確実に現実の体温が感じられた。
「AIZAWA…お願い。」
瞬間、部屋中を反射光が覆い、白に包まれた。距離感は消失し、ただ空中に文字が浮遊している様だった。美しい、完全な白い空間。
そう感じる間も無く、愛の意識は途絶えた。
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