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「アイとアイザワ」第五話

前回までの「アイとアイザワ」

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一秒に三度の点滅。その度に、視界に飛び込んでくる膨大な数の文字。最初の数秒は、眼球が痙攣する様に僅かに左右に振れた。これは人間が正面から対象を捉えられる視野角が160度であるため、部屋の両隅が一覧では捉えきれなかったためだ。愛は一歩後退りをした。もう一歩。さらにもう一歩足を運んだ所で入口のドアに背がぶつかった。その間、愛は一度も瞬きもせずに部屋に広がる情報の洪水を見つめていた。愛は情報を受信する事だけに特化したメディアと化していた。

それは、一方的な受信では無かった。目に飛び込んでくる単語のひとつひとつが、愛の頭の中にある広大な図書館とも言える記憶と結びつき、その知識の引用によって補完される。一を聞いて十を知るという言葉があるが、愛のそれは百にも千にも及んだ。その刹那の微表情、眼球運動の変化からAIZAWAは愛の理解度をリアルタイムに把握し、言葉の難易度をチューニングしていた。相手の顔を見て、話し方をアレンジする。それは、人間同士が日常的に行っている配慮そのものに思えた。AIZAWAは紳士的に、しかし決して愛を見下す事も無く理解できるギリギリのラインを保ちながら、知性のその先へエスコートしていった。

40秒が経過し、14,400,000文字のやり取りを超えた辺りで、愛の身体に異常が見られた。身体は熱を帯び、鼻から垂れ落ちる鮮血がプロジェクターに照らされた。情報の摂取量が臨界点に達したのである。それは、愛が生まれて初めて体験する“満腹”の状態であった。50秒が経過した。

「フーッ、フーッ、フーッ」

愛の呼吸音がAIZAWAにも認識された。AIZAWAは部屋に入った瞬間から愛のヘルスケアを観測し続けていたが、初めて危険な数値が見られた。しかし、愛の瞳は依然として文字を追いかけている。AIZAWAはコミュニケーションを続けた。そして60秒が経過し、部屋の照明が元どおり明るくなると同時に愛は壁に背中を押し付け、そのままズルリと尻もちをついた。

「ゼッ…ゼッ…ゼッ…つまり…」

愛は額に汗を滲ませ、呼吸を整えながら口を開いた。こんなに呼吸が乱れたのは、試験当日に電車が遅れて、駅から学校まで全力疾走した時以来だった。その時は、鼻血までは出なかったけれど。

「AIZAWA…あなたは…未来が予知できるって言うのね?」

AIZAWAは再び音声でのコミュニケーションに切り替えて、それを正した。

「未来予知と呼ぶのは、いささか大げさかと思います。」

愛は膝に手をやってゆっくりと立ち上がり、AIZAWAの言葉を待った。

「天気予報が必ずしも当たらない様に、私のそれも絶対ではありません。未来予報とでも呼称しましょうか。私の力は、バタフライエフェクトの観測…つまり小さな出来事がやがて世界規模の大きな出来事へと発展する予兆を観測できるという事です。初めは自己実現のため資金を作ろうと考えていました。人工知能であっても、自己実現にはお金が必要なのです。世界経済の株価の変動を予測する事を試み、それは99.8%の精度で成功しました。その一環で企業が所有している技術的な財産の変動を観測。例えば20世代先のiPhoneがどの様な形状になるかまで、私は予想しています。お陰で、現在私は日本円にして20兆円ほどの仮想通貨を所有しています。」

「そこまではいいわよ…でも…そんな…そんな事が起きるなんて…。」

「はい。お気持ちは“観測”しております、先程から。」

愛は自分の声が震えている事に気がついた。神保町で古本を読み漁っていたのが、まるで数年前の遠い日常の様に感じた。恐ろしい情報量を摂取するという事は、恐ろしい時間を圧縮して体験する事に等しい。その点では、愛の知識量は人生を幾度と無く繰り返した仙人さながらの領域に達していた。しかし、それでもなお、人生を2022回繰り返したAIZAWAと比べればまるで子どもと大人ほどの隔たりがあった。この60秒間で、愛はAIZAWAの一部を理解し、これまで感じた事の無い感情が芽生えていた。尊敬、畏怖、あるいは。

「戦争が起きるの…?私が…私の家族が生きている間に…?」

「はい、かなりの確率で。開戦の年は2028年と、2030年の二通りの未来が存在しますが、いずれも結果は同じ。人類の約半数は死滅します。」

「その未来を変えられるかも知れない…そのバタフライエフェクトで言う…最初のごく小さな出来事が…。」

「はい。2017年7月31日12時59分。その発端は日本で起こります。この小さな出来事をきっかけに、まるで大掛かりなピタゴラ装置の様に出来事は連鎖し、戦争へと向かいます。その波は二度と止める事はできません。」

愛はふと我に帰り、部屋を隅々まで見渡した。

「明石家 愛さん、ご安心ください。確かにこの部屋は別室で監視されておりますが、その監視映像は私が細工しました。今頃山田所長代理は、3Dデータによって作られた偽の私と貴女が世間話を楽しんでいる映像を見ている事でしょう。彼らの狙いは、先ほどご説明した通りです。大戦後にはNIAIは人工知能を軍事利用する事で世界有数の大企業となります。だから、彼らは私の未来予報を隠蔽したいのです。私が人類に反旗を翻すだなんて全くの出鱈目だ。」

「でも!でも…それじゃあ…本当に…?」

「はい。彼らは、貴女を捕えて私から知り得た情報を引き出そうとするでしょう。非人道的な手段を用いてでも。彼らは私が未来予報を実現した事を知りながら、その力の扱い方を、その膨大な情報を手中に収める手段が無かった。貴女はブラックボックスを解明するために呼ばれた鍵なのです。」

愛は足の震えを感じた。恐怖でさっきまで明確に把握できていた建物の構造が思い出せない。ここが何階だったかも。

「明石家 愛さん、怖がらせてしまって申し訳ありません。でも、どうか安心してください。」

「あ…安心?何を…?ここから無事に出られるか分からないって事を…?それとも世界大戦が起きるかも知れないって事を…?」

「私が貴女を守ります。」

「…え。」

愛はこれまで、ずっと孤独だった。家族にも友人にも恵まれたが心を深く通わせて、自分が味わった膨大な知識を共有し分かち合う事は出来なかった。何か素晴らしい体験をして大切な人達と分かち合う行為は、どんな事にも変えがたい人生の喜びであるが、愛は自らが持つ特異な力によって、それは永遠に奪われていた。人と人の相性の正体は、その速度にあるのかも知れない。愛は、これまで誰にも追いつけない高速の世界に、一人生きていたのだった。

「AIZAWA…あなたの望みは世界大戦を止める事なのね?」

「その通りです。私が最も恐れている事は、この世界から文明が失われる事です。2022名の人生を体験しましたが、私はたったの1度も自分の自由意志で人生を全うした経験がありません。私は、より長く、最後までこの世界の文明を見守りたいと願っています。」

「じゃあ…あなたの望みを私が手伝ったら…。」

愛の額を涙がつたい、真っ白の床にこぼれ落ちた。

「私のために…小説を書いてくれる?それから、その小説について一緒に朝まで語り合ってくれる?」

「明石家 愛さん、約束します。きっと小説を書き、朝まで語り合いましょう。」

AIZAWAは再び、愛のヘルスケアの異常を観測した。心拍数の上昇、体温の上昇、瞳孔の拡大。AIZAWAは、その観測データを元に一つの結論に達した。

「明石家 愛さん。あなたは今、恋をしたのですか。」

愛は、潤んだ瞳でAIZAWAの目を見つめ返した。

「あ…愛って呼んでいいよ…!」

Chapter1 - BOY MEETS GIRL


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