「アイとアイザワ」第20話
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ルミが気を失っていたのは、ほんの数十秒だった。モーリスがルミをおぶり、人目に付きづらい駐車場へ移動させた。通行人に怪しまれる事請け合いだったため、愛と花はわざとらしく「もう!お姉ちゃん、飲み過ぎよ!」などと横から賑やかした。そして目覚めた瞬間、モーリスの顔が見えるとまた逃げ出すと考慮して、介抱は主に愛が承った。が、それでもきっと狼狽するに違い無い。目覚めた瞬間に、なんて説明をすればいいものか。
「愛、安西ルミが目覚めます。」
眼球運動を観察していたアイザワが、ルミの覚醒を予告した。思ったよりも早い。愛は、まだ第一声を決めかねていた。長い睫毛をパタパタと動かし、やがてルミの焦点が愛を捉える。
「あ…えと…安西さん…おはようございます…。」愛は自分の膝の上で目覚めたルミに、たどたどしく挨拶をする。
ルミは愛をまじまじと見つめた後、口を開いた。
「…あなた…すごいわね…見た物を全て記憶できるの?」
「え?」
ルミはまるで、さっきまでしていた会話の続きをする様に自然に発した。そして、モーリスを視界の隅で見つけて、顔を見上げる。
「あなたは記者だったの…ニューヨークから来た…。」
モーリスは落ち着き払ったルミの顔を見て、眉をひそめて愛に目配せをするも、愛もまるで状況が掴めていないのだ。ルミはさっきまでモーリスの正体も知らずにビビりまくっていたというのに、今度はそっくり形勢が逆ではないか。ルミは全てを悟った顔をして、愛達は狐につままれた気分がしている。眠っている間、ルミに一体どんな変化があったと言うのだろうか。この場にいる一人を除いて、理解できずにいた。
「愛、実に興味深いです。」アイザワは事もあろうか、指向性ですら無いなかなかの音量で喋り始めた。
「ちょ…!アイザワ!なに急に会話に入ってきてんのよ!」
「大丈夫、モーリスもルミも、私の存在をすでに知っている様ですから。特に、安西ルミ。彼女は、実に興味深い。」
愛は何の話かさっぱり分からなかったが、何となく面白くなかった。アイザワが自分以外の、それも年上の美女を手放しに褒め称えるのを聞いて、重たい鉛の様な感情が下っ腹に溜まってゆく感触がした。アイザワは続ける。
「愛が人工知能の言葉を読める様に、安西ルミは人工知能の言葉を聴ける様です。」
「聴ける…って?」
「順を追って説明します。安西ルミの状況…能力と言っても差支えが無いでしょう。彼女の能力は、元を辿れば私が与えたものなのです。しかし、その事を今まで認識していませんでした。」
「能力って?その…私のカメラアイ的な?」
「その通り。私は、NIAIの施設でフラッシュトークの実験をした後、普通の人間とはフラッシュトークで会話する事が不可能だと判断しました。結局、愛が現れて初めて意思の疎通が可能になったのですが、それまでは別の方法で人間と会話する方法を試していたのです。そのうちの一つを、ウエーブトークと言います。二つ目の、私独自のコミュニケーション手段です。」
「ウエーブトーク…?そんな話、私聞いてないよ。」
愛は、ちょっと拗ねた口調で返した。
「ええ、お伝えする必要が無いと判断しました。と言うのも、ウエーブトークは失敗だと今まで考えていたのです。ウエーブトークとは、ネットを通じて日本中のスマートフォンから特殊な周波数を発する技術。もちろん音声で情報を伝えるだけなら単なる通話機能に過ぎません。その辺の携帯電話と変わらない。ウエーブトークは膨大な情報を同時に伝える事で、深層心理に影響を与える…。簡単に言えば映像を夢として再生する事ができるのです。夢のハッキングと言えば、直感的に分かるかも知れません。」
「夢の…ハッキング…?そんな事が…!?」
愛はちょっと面白そうだなと思った。自分が見たい夢を、Netflixでドラマを選ぶ様に選択できたらどんなに楽しいかと空想した。
「そう。私が試みたのは未来予報を人間に夢として見せる事。つまり予知夢です。眠っている間、枕元にスマートフォンを置いている人は非常に多かったので勝算はありました。しかし、ウエーブトークには致命的な欠陥があったのです。」
「欠陥…って?」
「目覚めた時に、夢の内容を忘れてしまうのです。夢というものは、得てして儚いものです。およそ10万台のスマートフォンで試験しましたが全て失敗。数百人に一人の割合で、断片を記憶している人間はいましたが、その程度ではデジャブだと片付けられ、行動を起こさせるまでには至らなかった。」
「なるほど…でも…ルミさんだけは…?」
「そう…安西ルミは唯一ウエーブトークを忘れずに目覚める事ができた様です。定かではありませんが、愛のカメラアイの様に身体のどこかの器官に独自性があるのだと推測できます。もう少し検証は必要ですが、恐らくは耳でしょう。そのため、愛の様に完全に情報を受け取る事はできなくても、おそらく65%程度は受け取れている様です。」
65%…。愛は、自分の方がアイザワを理解できていると分かり、心のザワつきが少しマシになった。
「おい!何の話してんだ!?オレにも説明してくれ!そんで、このバックの中身は何なんだよ!」日本語が分からないモーリスが、駐車場の隅でタバコに火をつけながら訴えた。隣でしゃがんでいた花が、タバコの煙に顔をしかめる。
今度は、逆にルミの方から事の成り行きを話し始めた。アイザワは、その音声をモーリスに向けて同時翻訳してやった。
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「ここからじゃ何を話してるかまで聞こえないな…!」
NIAIの黒服、もとい営業職の二人。広尾は慎重に身を潜めながら頃合いを見計らっていた。大谷は言う。
「広君…それ本当に効くのかな…?もし失敗したら…!」
「ビビるんじゃねぇ…。NIAIの研究所で行った実証実験では上手くいっているんだ。こいつさえあれば…。」
広尾はスーツの内ポケットから、棒状の黒い機材を手にした。引き伸ばすとカチカチカチと小気味良い稼働音を立てて、40cm程の長さになった。ちょうど、折り畳み傘の柄の部分だけを持ってきた様な形状だ。NIAIの内部で、その装置は“傘”と呼ばれていた。
「AIZAWAを無効化するぞ。」
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