日本人になったユダヤ人
前にツイッターに書いたことがあるが、シュニール織のタオルやハンカチで有名なフェイラーの製品を日本で販売していた山川さんは、売り上げを還元してフェイラー社のあるドイツのバイエルンに高齢者の施設を作っている。
その恩恵に預かったドイツの人が、山川さんにお礼の手紙を書きたいけど何とかならないだろうかと友人経由で尋ねてきた。それはドイツの施設にお願いする方が早いだろうとは思ったが、私に尋ねてきた以上はと、日本で手紙やメールが届きそうなアドレスをいくつか調べて教えてあげた(結局、現状ではうまくいってないみたいだが…)。
そんなこんなで繰り返しフェイラーの話題に触れるので、日本に帰ったついでに紙の本を買って読んでみた。山川夫妻のご主人の方の話である。それがまた、すごいドラマだった。
ご主人のアーロンさんはルーマニア生まれのユダヤ人である。1934年にドイツでヒトラー政権ができ、ルーマニアのユダヤ人への圧迫が強まった。そこで、彼は18歳で単身パレスチナへ移住する。工科大学へ入学したが、1941年に志願して英国軍に入隊。戦争を生き延び、その後、1948年のイスラエル建国に伴い、イスラエル国籍を得た。結婚をし2人の娘をもうけている。この時点でルーマニア、イギリス、イスラエルの3国籍を経ている。
その後、パリで夫と香水店を経営していた妹に請われ、フランスに移住する。この香水店で働き、後の妻となる20歳ほど年下の山川和子さんと運命の出会いを果たす。
そして、50歳の時に全てを捨てて、和子さんを追って日本へ渡る。日本で会社を立ち上げ、2人でフェイラーのタオルを売り出すのはそこからの話である。彼はその後、日本に帰化して山川阿倫と名を変えている。
こう書くとロマンスの話なのだけど、本を読んでとくに興味深かったのは、彼の経営哲学についてだった。取引先とは相手の規模に関わらず、必ずフィフティ・フィフティの関係を築き、win-winの関係を目指す。ドイツのフェイラー社とよい関係を築いたのもそのお陰なのだろう。
山川夫妻が、フェイラー社のある地域に大規模な寄付をして高齢者施設を造ったというのも、こういうフェアな経営哲学によるものなのかと納得したのだった。