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足助のおばさんと教育 72

春の会

今日は年に1度の春の会の日です。大学時代の女子の同級会です。もっとも全員そろっても7人ですが。今年は、肝心の幹事役の女性が身内にご不幸があり、来られなくなりました。
教育大学の卒業生でもあり、仕事をしていないのは7人のうち私一人です。私も最初から専業主婦になろうと思っていたわけではなく、子どもが大きくなったら教壇に戻ろうと考えていたんですが、子どもが二人とも小学生になった時に考えたのは、このまま新卒の教員に混じって仕事をするのは、ちょっと屈辱だな、ということでした。教員採用試験には都合4回落ちてましたが、私の気持ちとしては実力で落とされたわけではなく、明確に就職差別だと思っていましたから、この先も正規の教員になるにはいばらの道が待っています。自分より若い正規職員のいる環境で、臨時教員として働き続けることは、少々気持ちの負担が大きかったです。もちろん、20年も臨時教員を続けて正規合格を勝ち取った活動家仲間もいて、すごく尊敬していますけど、私は、下の子どもが生まれた時からシナリオの勉強を開始しており、その子が小学生になった時には、「よし、ここでスパートをかけるぞ」という気持ちでしたので、教壇に戻ることよりも、名古屋にある英語スクールに通うことにしました。
実を言うとこれが1995年のことで、この年は阪神淡路大震災のあった年です。地下鉄サリン事件もありました。そして、私個人的には札幌のシナリオセミナーに参加し、「ヤンママブギ」が佳作入賞し、そして心が壊れた年です。
もしこの頃に春の会のお誘いがあっても、私は参加しようという気にはなれなかったかもしれません。全てが一通り片がついて、私には連句がある、と思い始めた頃に同級生から久しぶりに会わないか、という連絡をもらいました。はじめの頃は夏休みにやってたんですが、結局年度替わりの、春休みがみんな都合が付けやすいので、名前もいつからか春の会で定着しました。
これまでの年月は私一人が激動だったわけじゃなく、同級生のだれしもが何かしら困難を抱えて生きてきたことも、会ってみてわかりました。教員という、比較的男女差が少ない職場でも、出世するのはやはり男子が先です。それもどうも嫌味な奴から出世していくように感じているのは私一人ではないようです。
今学校を覆っている効率主義・競争原理は学校の内部にいてはやはり見えないようです。私は今やっている新婦人の活動と連句がともに、私が学んだ教育学の延長上にあると位置付けて取り組んでいるんですが、なかなかその高邁な理想は理解されることがないです。(2011年3月27日 記)

(元ブログ 春の会: Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com)

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