元気になる音楽の理由
「この曲を聴くと元気になる/テンションが上がる」というのは
人それぞれにあると思う。それは詩であったり、リズムであったり
自分の過去の記憶とセットで印象づいているものだったり
いろいろな理由で持って「元気が出る」のだろう。
詩やリズムが気持ちを高揚させるのはなんとなくわかる。
ブルーハーツを聴くと元気になるのはもはや必然である。
「ぼくら何かを始めよう」って2回言うんだよ?最高だろうが。
必要以上に元気になってしまうという理由で聞く頻度は少ないけど。
LOOP HRも実は最近私の中で「聞くと元気になる曲」なのだ。
一度聞いたら忘れられない劇薬めいた2人組である。ボーカルとギターという構成。(なんでジャケの背景イオンやねん…)
ELTとかグリムスパンキーとかラブサイケデリコとかをイメージしてはいけない。
ボーカルのF1エンジンのように抑揚が上がっていくのを10回くらい聞いてると
不思議と笑顔がこぼれてしまう。なぜこの歌唱法を正解としたのか。まじでわからん。
ふと浮かぶのはピカソの絵画だった。誰があの絵画を初見で理解できただろう。
爆笑問題の太田光が学生時代、味覚も失うくらい沈み込んだ時に
美術館でピカソの絵を見た時にいろいろな感情が戻ってきたという話がある。
その時の太田光の気持ちが今、なんとなくだけどわかる。
キュピズムがどういった経緯で生まれたとか、ピカソの生い立ちとか価値観とか、
そういった前知識を全部抜きにして、「なんだこれ!」「わけわかんない!」「こんな自由でいいんだ!」というような衝撃が彼に作用したのだ。
令和に浮かび上がったキュピズムのような2人組のその音楽は、
理解できないということだけは確固たる事実としてあって
そのかつてない距離感に、どうにも興奮を抑えられない。
でも、LOOP HRをピカソと呼ぶのは言い過ぎた。
ピカソを例に挙げてしまったが、どちらかというと
ダダイズムが適当かもしれない。
ダダイズムには詩の朗読もあるんだけど、
それは内容云々より、発音の仕方を変化させて
意味性を破壊する。みたいなパフォーマンスがある。
LOOP HRは音楽の基本的な概念とか、私たちが普段聴いている音楽のあり方の
破壊を試みた結果なのかもしれない。
それは、ライブ中にマイクスタンドをなぎ倒して
ギターをフロアに叩きつけて観客に飛び込むパンクロッカーよりも
本質的にパンクなんじゃないか。アナーキーなんじゃないか。
そういうまだ見ぬ奇天烈な音楽が、言葉やリズムではない何かでもって
予想だにしない新しい種類の「元気」を衝撃と共に与えてくれる気がしてならない。