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イタンな正統派。


 「自分らしく生きる」ということ。


 これ、なかなかに難しいことです。

 "本当の自分をさらけ出す"ってだけなのに。
 異常なまでに高すぎるハードル。

 窮屈な世の中ですなぁ。

 少し前にわたしの個性について記事にしたことがありますが、ニンゲンは「異端」を見つけるとついつい構ってみたくなってしまいます。


 異端。

 「正統から外れている」という意味があります。

 では、どうでしょう。
 わたしは、正統から外れているのでしょうか。

 ま。
 そんなこと。

 わたし以外のダレカに決められる筋合いなんか、ありません。ありえません。
 自問しておいてなんですが、馬鹿げた質問です。

 自分が正統から外れているだなんて。


 でも、たまにふと思います。

 わたし、ちゃんと正統なのかな?
 じつは、「正統の面を被った異端」なんじゃないかな?

 って。ふと。


 自分が「フツウの枠組み」に当てはまっているのかどうかって、誰でも悩むことではないでしょうか。

 真剣に悩んだことはなくても、頭の片隅で「わたしって周りからどう思われてるんだろう」ってちょっぴり考えたこととか。あったりしませんか?

 わたしは、たくさんありますよ。

 頭の中、悩みもなく。
 お花畑パラダイスな人生を送ってみたかったですが、そんなわけにはいかず。

 結局。

 「あぁ〜、もしかしたら自分って世間とちょっぴりズレてるかもしれないなあ」とは思いながら。

 も、「いやだいじょぶ。普通っしょ」と己に言い聞かせながら日々生きていくしかないのです。


 そんなふうに日々を過ごしていると。

 なかなか本当の自分を晒せなかったり、まわりの目線を気にして窮屈に生きていくことが増えていきます。


 二十代前半の頃、洋服に興味を持ってアパレル関係の仕事に就きました。

 その頃はメンズながらスカートを穿いたり、ワンピースを着たりしていたのですが、そこまで周りの視線は気になりませんでした。

 なぜかって。

 自分に自信があったからです。
 「似合っているという確信があったんです。


 同僚もコーデを褒めてくれました。

 よく行く古着屋のお兄さんお姉さんも、わたしの性別で判断するのではなく、"わたし"に似合う服を薦めてくれました。

 周囲が自分を認めてくれているんだって分かると、自分も自分をより愛せますし、それが自信になります。


 地元は地方都市なので、古着屋さん以外では奇抜なファッションをしている人は見かけませんでした。

 でも、わたしは異端ではない
 だってわたしに似合った服を着ているだけだし、この格好を好いてくれるひとだっているから。

 もしかしたら"少数派"な人間だったかもしれないけど、それでも楽しくて毎日が輝いていました。

 それが、だいたい5〜6年前のおはなし。


 あの頃は、わたしのみなぎる自信によって周りの雑音が淘汰されていました。

 今は、みなぎってきません。
 し、昔ほど自分を愛せているかと言われたら、首を横に傾げてしまいます。

 若いころ特有の「訳も分からないところからフッと湧いて出てきた自信」だとか、そんな適当な理由ではないのです。

 やはり、周りからの雑音が聞こえないというのが一番大きかったと思います。

 周りなんてどうだっていい。
 自分が"これがいい"と思っているんだから。
 これが自分なんだから。

 強いな〜。無敵すぎる。
 あの頃の自分は、今の自分にとって憧れです。


 先日。
 わたしと歳の近い有名人が、この世を去りました。

 最初、理解できなくて。
 冗談であってほしいと思いました。

 だって、あんなに明るくて、元気で、キラキラしていた人が。自ら命を落とすだなんて。

 その人も周りから見たらきっと。
 構いたくなる存在として、嫌なことを言われたり、バッシングも相当あったのではないか。

 と、勝手ながら推察しました。

 でも。"これがわたしなんだよ"って、ありのままの自分をさらけ出してメディアに出演されていましたよね。

 もし今のわたしがその人だったら、絶対できない。

 すごいなって。

 とんでもない勇気が必要だったと思います。

 し、やるからには"貫かなきゃ"っていう重圧も抱えていたんじゃないかなって。
 これはあくまで、わたしの推察ですが。

 周りから見たら、もしかしたら構いたくなる対象だったのかもしれないけれど。
 わたしから見たら、その人はまさしく正統派

 自分に真っ直ぐに生きる。それこそが正統派。


 「自分らしく生きる」ということ。

 冒頭でも掲げたテーマです。

 これが正統でないのなら、なにが正統?
 ほんとの自分を隠しながら生きていくことが、はたして正統なのか。

 いや、そんなはずがありません。

 傍から見たら異端かもしれないけれど、正統です。

 みんな自分らしく生きたいけれど、自分らしく生きるのって怖いし、とっても勇気のいること。

 だから、ずるい!って思っちゃうんです。
 あんな真っ直ぐに生きて。正統に生きて。


 正統に生きているなんて、異端だぞ!って。

 矛盾していますが、人間の嫉妬は正当をも異端に変換させてしまうのです。


 そうなると、余計に自分らしく生きる人は少なくなってしまいます。

 自分らしく生きるのは、異端だから。
 寂しくて、窮屈で。つまらない世の中ですね。

 異端認定されると、攻撃されてしまいます。

 己を隠して、自我は晒さず。
 平均的な人間として、荒波立てずに生きる。

 何度だって申します。つまらない世の中ですね。


 世間が「異端だ」と指差したって、まっすぐ自分らしく生き様を見せてやりゃあいいんです。

 自分の着たい色の、着たい服着て。
 胸張って生きる。

 周りの目とか、言動とか。
 なんにも気にせず。

 着たい服。好きな髪型。したい化粧。
 着たいように、好きなように、なりたいように。

 誰もが堂々と、胸を張って街を歩ける。

 そんな世になったなら。
 そしたらきっと。きっと人類誰もが正統派」。


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