フコウのトリコ。
「あなたにいま不幸なことが続いていたとしても、いずれ必ず幸せはやってきます」
「不幸を幸せに変えるおすすめルーティン5選」
そのような記事を求めてアクセスしていただいた方、申し訳ありません。
そんな、自己啓発の塊のような記事はこちらでは取り扱っておりませんゆえ。
前回、わたし自身のイヤな部分を記事にさせていただきましたが、今回もそんな内容です。
できるだけマイルドな表現になるよう努めましたが、イヤな気持ちになったら申し訳ありません。
「タニンの不幸はミツの味」
まるで、昼ドラのワンシーンのような言葉ですね。
「あなたにとっての不幸は、わたしにとっての幸」という意味です。
わたしはこの言葉、わりと好きです。
"あなたの不幸、譲ってください!"
ラジオで、不幸の部分が愛車になっているCMを聴いたことがあります。
耳に入るたびにツッコんでいました。
「"愛車"だよ?譲るわけないじゃない。」
って。
わたし以外にもツッコんでいるヒト、いらっしゃるんじゃないかなあ〜って勝手に思っています。
まぁ、愛車の場合は「タダで貰えませんか」ではなく「お売りいただけませんか」のニュアンスなのでしょう。
それはもちろん、わたしも分かったうえでツッコませてもらっています。
しかし当然ながら不幸の場合は「タダで譲ってチョーダーイ!」というテンションでございます。
某CM並みの滑稽さでお送りしております。
アナタの不幸は、わたしにとって幸せなんです。
そのトーーーリ!
だから、たくさん聞かせてチョーダーイ!
ウワァ〜。サイッテイ。アリエナイ!
ドン引きされた音がしました。
でェも!
きっとわたしだけじゃないはずです。
わたしとおんなじ気持ちだ、ってヒトも少なくないと思いますよ、言わないだけで。
だって言ったら、ドン引きされますから。
ヒトの幸せを素直に喜べないってこと、ありませんか?残念ながら、わたしはあります。
ヒトの幸せを自分のことのように喜んでいる人を見かけると、すごいなぁ、それは演技じゃなくて本気で喜んでいるのかなぁ、と疑ってしまいます。
いやもちろん。
わたしにも、わたしにいいことがあった時、一緒に喜んでくれる友人はいます。
嬉しいですね。ありがたいです。大好き。チュ。
そんな友人をわたしは心の底から尊敬しています。
わたしだって、わたしの幸せを喜んでくれる友人の幸せなら、一緒に喜びたいですよ。
すべての幸せを敵視しているわけではありません。
でもデモDEMO!
こればかりはほんとに難しい問題です。
だって。
ヒトの幸せ話より不幸話のほうが、単純に聞いてて面白いなあ、と思ってしまうんです。
この気持ちなら分かってくださる方、いらっしゃるのではないでしょうか。
ゾクゾクしてくるんです。
ダレカの幸せを喜べる人も尊敬しますが、ダレカの不幸に寄り添える人も、すごく尊敬します。
甘くて、ほろ苦い。
一度味わうとクセになってしまう、他人の不幸。
こんなの味わっちゃったら、フコウのトリコになっちゃいます。
やめられないし、とまりません。
「フコウのトリコ」。なかなかいい響きですね。
「吾輩は不幸である」
そんな本は、まだないです。
自分が不幸だということを誰かに知ってもらいたい、拡散したいと思っているヒトって、なかなかいないですよね。
なぜなら、不幸は恥ずかしいことだから。
不幸自慢をしているヒトがたまにいますけど、でもそれは本当に、不幸を自慢したいのでしょうか。
少ない睡眠時間、サービス残業。
そんなオレって、ワタシって。イケてるでしょ?
うーん、なるほど。
あたかも、フコウはファッション、フコウはステータス、という前提で話をしていますね、この人達は。
イヤイヤイヤ、違いますよ。
アナタが、フコウに支配され、操られ、飼い慣らされているんです。
もしかして、気づいていないフリをしているだけなのではないでしょうか。
気づいたら、自分を不幸だって認めたことになってしまいますからね。
そうでもしないと、やってられないのでしょう。
逆に言うと、そんなふうに考えでもしないとやってられないくらい、不幸だ。とも考えられるわけです。
気づかせてしまったアナタの不幸。
わたしが美味しくいただきますからね。
さて。
「フコウのトリコ」になってしまったら、どんなことに気をつけて生活しなければならないでしょうか。
まず、周りから「アイツはヒトの不幸を餌にしているヤツだ」と悟られないようにしなければなりません。
嫌なヤツ認定されてしまうと、今後の生活に悪影響を及ぼしますからね。
まわりの人たちに悟られないよう、大胆な行動を避けて蜜の収穫をおこないましょう。
そして、収穫した蜜は個人で楽しむ程度にしておかなければなりません。
気をつけなければならないことがもうひとつ。
それは「蜜のお裾分け」。
「あの人って、チョメチョメらしいよ」
「ここだけの話なんだけど」
ピピーッ!
このような、いわゆる「うわさ話」を通してまわりの人に他人の不幸を言いふらしてしまう行為。
危険です。
やめておいたほうがよいでしょう。
一つ目の末尾に書きましたが他人の不幸は、個人的に楽しむ以外の目的で使用すべきではありません。
わたしがダレカに、蜜をお裾分けしたとします。
そのダレカがほかのダレカにお裾分けをする時、どんなことが起きると思いますか?
「アイツから聞いたんだけど、あの人ってチョメチョメらしいぜ」
ほら、なにか語頭に追加されていますね。
わたしから聞いた、という情報を付加して伝えてしまっていますよ。
そんなことをされてしまうと、あっという間に嫌なヤツ認定されてしまいます。
しかもわたしがお裾分けした蜜に、さらにプラスαすることだってあるんです。
「アイツから聞いたんだけど、あの人ってチョメチョメらしいよ。しかもチョメチョメがチョメチョメで、チョメチョメらしいぜ?ヤバくね?」
ヤバいのは、わたしです。
もうこの街には住んでいられないでしょう。
タニンのフコウを喜んでいるヒトは、少なくないと思っています。
先ほども申し上げましたが、それを口に出すヒトがいないだけです。
「タニンのフコウは蜜の味」
・自分が不幸好きなことを、拡散しない。
・収穫するときは、大胆にならず慎重に。
・蜜のお裾分けはせず、個人的に楽しむ。
この記事を書いているわたしは、自分が不幸好きなことを拡散しているワケでありますね。
わたしが頭のトチ狂ったニンゲンであることはご理解いただけたかと思います。
あくまで謙虚に、嗜む程度にとどめる。
墓穴を踏んで、こちらが不幸になってしまってはなんの意味もありませんからね。
おいしい蜜ですが、用法容量は守りましょう。