ノーという選択
この数ヶ月で、バシャール関連の動画を沢山見ている。「引き寄せの法則」を日本語でわかりやすく説明している動画がないのかと探していたら、バシャールの存在を知るようになった。それまで胡散臭いと思っていたけど、見ていると「そういう考え方もあるんだ」と思えるようになった。
生きていると悩みはある。そして、「ああこれ以上無理」という悩みを吐き出してみた。別に相手から嫌われても良い。以前から同じようなことがずっと繰り返されて、精神的に限界がきていたからだ。わたしはいわゆる「大人としての行動」を取っている。状況を知っている第三者は、半ば呆れるように「自分ならとっくにキレている」と言って、わたしの立場を擁護してくれている。改善が見られないのは私を悩ます相手も、本気で問題解決に取り組んでない、もしくはわたしが譲歩すると思っている。
バシャールの動画をいつもわかりやすい翻訳で投稿する岩瀬アキラさんという方がいて、彼が「許しの本質とは?」という題名で動画を投稿していた。その動画で「彼らが態度を変える選択をしないのであれば、なぜあなたはその望ましくない状態と関わることを繰り返すのですか?」「もしあなたが彼らに「変わる」チャンスを与えたいと思うならば、彼らの選択が引き起こす「結果」をあなたが「行動」で見せる必要があります」「それをしないなら、彼女は我々の現実世界から身を引こうとしているぞ。もし我々が彼女と繋がり続けたいなら、我々が変わらないといけないな」という翻訳が出てきた。
そして「相手に選ばせたい道を選ばせると同時に、自分の選びたい道を否定しないこと。」という言葉が印象に残った。わたしを悩ます彼らにも、言い分があるだろう。そしてわたしにも言い分はある。嫌われてもいい。わたしはもうあなたたちとは関わらない覚悟は出来ていますよ、とわたしの気持ちは伝えた。自分の言動を変えて歩み寄るなり、なんだこいつは!と腹をたてて関係を断つかは彼らの選択だ。
ノーを選択することは悪いことではない。岩瀬さんが「引き寄せに失敗した人へ」と題名をつけた動画の中では、「本来の自分に相応しくないものに気づき手放す。そして本来の自分に相応しいものが来ることを許可する」と翻訳したバシャールの言葉に背中を押された。ノーという選択は、自分に相応しいものと相応しくないものを見極めた、そして相応しくないから手放しますという意思表示だから。
自分の選びたい道は否定しない。否定したら悩みはずっと解消されない。他人の気持ちも大事だけど、死ぬまで付き合っていくのは自分自身。改善されない悩みに、時間とエネルギーを使うなら、「もうこれ以上同じことで悩みたくないので、ここらで失礼します。さようなら。」という意思表示だってある。この答えにいきついた時に、今まで決断出来なくてモヤモヤした気持ちにきちんと向き合えた気がした。苛立ち、悩み、苦しい気持ちに区切りをつけて、気持ちが穏やかになっていた。