ぶれない人から学ぶ
「世の中にはいろんな人がいるからね。」故人となった両親や祖父母がよく言っていた言葉だ。ある程度年を重ね、仕事をし、子供を育てていると、つくづくその言葉の意味を考える。
自分が仕事をしてきて「この人、悪い人じゃないんだけど、なんか好きになれない」と思ってしまうタイプがいる。提出されたデータや書類の不備を対面で「あの、これ、ちょっと違いますよね」と指摘し、本人もその不備を認識すると「あー、これ、違うんですよ。実はですね。。」と正当性を並べる言葉、別名「言い訳」が聞こえてくる。そういう時は心の中で「素直にミスを認めれば良いのに」と思いながら、必要事項を確認する。
子育てをしていて痛感するのは、自分がぶれてしまうと子供が戸惑う。「昨日はダメといったのに、なんで今日はいいの?」と素朴な質問をされても、「今日はそういう気分だから」なんてわたしが言ってしまったら、子供は戸惑い、善悪の区別がわからなくなってしまう。
わたしが性別にかかわらず一目置くのは、「ぶれない人」だと気づいたのはつい最近だ。自分が好きなこと、ワクワクすることを通して、自分を表現している人たちなのだ。
コロナウイルスの感染者が激増した今春に、改めて「ぶれない人」を感じたのは、神楽坂のザ・ロイヤル・スコッツマンのオーナーシェフの小貫友寛さん。わたしはいつも、ともさんと呼ばせていただいてるので、ここでもそう呼びます。ともさんは高校時代から「料理人」としての将来の準備をしていた。三國清三氏の著書に感銘を受けフランス料理で一流のシェフになること決意し、高校卒業後はあのオテル・ドゥ・ミクニで修行したのだ。ミクニでの修行後、渡仏し当時現地で人気のビストロで修行していた時に、ノルマンディで運命の出会いをする。それは、なんとバグパイプを演奏する団体。バグパイプの音色に心を奪われ、すぐレッスンを受け始める。レッスン後にみんなで行くパブに、自身が携わるフレンチとは違う魅力を感じる。パブという空間では、客同士の垣根がなく楽しく交流できる。懐の深さをパブという空間に感じ、「こういうパブを、一番好きな神楽坂でもやりたい」と帰国し、日本のパブでも仕事を開始。そして彼の想いがつまったのが「ザ・ロイヤル・スコッツマン」なのだ。
ともさんはパブという場所に対して、料理に対して、すごく思い入れがあるのが伝わる。パブはもともとパブリックハウスの略語。日本では公民館みたいな立ち位置のように、敷居は高くない。パブで出される料理と聞くと、なんとなく美味しそうなものは想像しない。しかしながら、ともさんはオテル・ドゥ・ミクニで修行を経験し、フランスで人気のビストロ店でも修行していたツワモノだ。料理には人並みならぬ情熱があるオーナーのもとで修行していた人だから、お店で食べる料理は何でも美味しい。
イギリスでは日曜日に食べる定番料理、サンデーローストが都内で食べられるのは珍しいようです。グレービーもヨークシャープディングも、ともさんが一から手作りなので心もお腹も満たされる。
テイクアウトでも美味しくいただいたフィッシュ&チップス。タラが大き過ぎてチップスが見えない(イギリス英語では、フライドポテトをチップスと呼びます)。マッシュしたグリーンピースもタルタルソースも、もちろんともさんの手作り。
コロナウイルスで臨時休業をする飲食店が多い中、働くお母さんたちを自分の料理で助けたいとテイクアウトのお弁当を始めた。今はお弁当ではなく、お店のメニューをテイクアウトとしても提供している。一貫しているのは「食を通してお客さんに元気になってほしい」という気持ち。
「コロナでお客さん来ない→やばい、どうしよう」で終わる人ではない。逆に「この状況下で出来ることはないか」と考え行動する。時にこちらの想定外の行動をするので、驚くこともある。料理が好きで、食に対する情熱があり、すべては「食べる人に喜んでほしい」想いが根底にあるのをひしひしと感じる。彼の言動はぶれないのだ。
ぶれない人は「いいですよ」と「ダメ」の境界線が明確なのだ。その明確さを受け入れない人もいる。ぶれない人は自身の「だめ」を受け入れない人に対して、憤慨したりすることなく「そうですか」と後追いしない。
そうそう、ともさんはモヒカンでタトゥーが結構入っている。アメリカでそういう人たちと何度も話していて精神的には鍛えられているはずのわたしでも、なぜか最初話が出来なかった。けれども常連のオジサマたちが「ともちゃん」と彼を呼び楽しそうに談笑している光景を何度も目にし、思い切って話してみると彼の温かい人柄がわかる。
息子と二人暮らしの我が家は、月に何回か「夜ごはんを食べに行く」感覚でお邪魔することがある。そういう時も、フレンドリーでかつキビキビした接客で迎え入れてくれる。常連のお客さんたちの中には、わたしたち親子を見かけると話しかけてくれる方もいる。居心地のよく「懐の深さ」が現れている空間は、ともさんのぶれない言動の積み重ねだと思う。「自分の信念を押し付けない、けれども境界線はぼかさない。」のことの大切さを、ぶれない人から学んでいる最中だ。