世界と目の前のごはんと
昨日のママは帰宅するとリビングの椅子に座り、私のスリッパを履いていた。
玄関の仕掛けは無事ながら、鍵は1つしか締まってなかった。
やるな、ママ。
出かけようとした?
置いていったご飯は半分食べられ
テレビを見ていた。
私は一週間の疲れに倒れ込みそうなまま、気力で荷物を置いて手を洗いスタートした。
スタート?
そう今夜もルーティンスタート!
ナスと豚こまで晩ごはんの調理。ナスは薄く切って胡麻油で炒め、そこへツナ缶投入。醤油と砂糖とお酒をからめる。
豚こまはアイラップに入れて、鶏ガラの顆粒と胡麻油を入れてよく揉んで放置。
その間に、弁当箱を洗いにゃん太郎にご飯をあげて機嫌をとる。
機嫌は斜め気味でも、そのまま洗濯機へゴー洗濯開始。
戻って来たら豚こまのアイラップの中にネギのみじん切りを入れて混ぜフライパンに広げて焼き、両面焼いたらそこへ溶き卵投入し蓋をして火を弱める。
ハードディスクの残量を確認して
毎日録る番組のCMカットしてダビング開始。
キッチンに戻り、ご飯をよそい出来たおかずに作り置きの海老の香味焼きときゅうりの薄切りを添えて、晩ごはん。
ここまで座ることなくノンストップ。
ママの認知症の薬を食べる前に飲ませ、ぱぱっと食べたら、洗濯物を干してお風呂のお湯をためにいく。
にゃん太郎が足に飛び付いて邪魔しても、その歩は止めない。
お風呂は私が入った後、ママを入れる。
昔から烏の行水だったママを湯舟に入れるわけで、時に受傷する。
お風呂から出たらキッチンを片付け、やっとほっと出来る。19時頃帰って気付くといつも23時超えてしまう。
そんな日常にずっと椅子に座って品定めみたいな目で私をみてくるママを見ると、時に爆発的な怒りを感じることがある。
昔からの、察して視線
忙しいの私、何ならママのせいで
こんな事普通なら言わない。
言っても全く響かないネイティブな性格は
周りは自分の為にあると思っている。
1日家にいて散らかしてテレビ見てるだけのママの食事や洗濯物を、何故1日働いて帰った私がするの?という愚問は真髄
こういうことを日常に
時折自分を無くす
無くさないと、やってられないとき
もある
それは最近解ったその日の心のHP次第
にゃん太郎の前の2匹は
17才で腫瘍の初代と二代目4ヶ月の子猫がしばらく一緒にいた。
子猫は段々手がかからなく少なくなるが
初代は腫瘍の傷口の手当てや、食事も含め時間が必要だった。
愛おしさが上回って、苦痛はまったく無かったがその時に気づいたことごある
育児は育っていくと手がかかることは少なくなる
介護はどれだけ込めても手がかかることは
減ることは ない
そこが違う
だから介護はしんどい
ずっともっと大変な方々がいるのも知っている。
それは
世界にはご飯を食べられない人もいるんだから目の前の食べ物は残さず食べなさいとか、この仕事に就きたかった人は沢山いたんだから、大変でも頑張りなさいというのと似ている気がするのは私だけだろうか?
家族のためにしていることが
悲しいことにならない世界になって欲しい
この記事を読んで、考えてしまった夜だった。
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