叶った未来が来た今
子供の頃は早熟で早く大人になりたかった。今思えば、私はなんて勿体ない願いをしたんだと思う。
その望みはあっという間に叶ってしまい、
今度は子供の頃は良かったなぁ…とか言っている。勝手なものである。
その後、ここに住みたい、ハワイに行きたい、シンガポールに行きたい、留学したい…どれも叶った。
今年は
にゃん太郎が便秘からその処置の後、血液の数値が悪化、獣医さんで危うく
この数値だと24時間点滴や処置が必要かもしれないので入院して貰う方がいいですが、万が一には死に目に会えないかも知れません。どうしますか?
等と言われ、連れて帰り寝ずに看病した。どんなでもいいから毎日の通院でもいいから持ち直して…と泣きながら見守った。
くたん、としたまま起きても来ず、ご飯も勿論食べず座ることもしないにゃん太郎を見てて、どんなでもいいから…まだサヨナラ出来ないよ…と世界中の神や仏に祈った。
翌朝、にゃん太郎?と言うと目を開けて
シッポを小さく振った時は、何れ程嬉しく感謝したか( ;∀;)
口元まで運んだ水やちゅーるを子猫より小さく開けた口で舐め、こちらを向いて
にぇ!と鳴いた時は痩せた身体にしがみついて泣いた。
泣けたのは、それがとても迷惑そうだったこと(笑)
にゃん太郎はその後回復し、奇跡的に数値も戻り、時折便秘が酷くなると通院したが、それもこの9月から劇的に改善し通院もしていない。
毎月一度は行っていた気がする。
雨も、猛暑日も自転車のかごにキャリーを乗せて。
出費もだが、やはり病院はイヤな記憶があるせいか帰ってからもにゃん太郎は落ち着かない。先生にお尻見られちゃうし
(*´▽`*)恥ずかしいだろう。
この通院が何とか無くならないか。。。
と願っていたが、叶った。今のところ快通でにゃん太郎もストレスが減ったように見える。
私は今、願い叶った未来に居る。
それが当たり前になっている。
にゃん太郎が爪を研いだ壁紙位では怒れない。元気になって…と言う願い叶えてくれたのはにゃん太郎だ。
半分使ったツナ缶を調理台に置いていたが、どうやら落として食べたらしく口周りをベロベロしながらご機嫌でやってきて床が大変な事になっても、怒れない(笑)
なんせ叶った未来に私は居るのだから。
今までの願いが凡てではないが、叶った未来に居る。
そして欲深い私はまだ願うことをしようとしている。
叶った事が普通になると、
それが基本形で願いが出てくる。
にゃん太郎には
健やかで本人が楽しく嬉しく過ごしているならそれで良し。
私は、願っても祈っても叶っていないしんどいことを思った。
これは、クリアするべき課題なのかそれともこれも叶った未来に起きた事なのか。
いつか、このしんどいことのお陰で
考えたこと、思ったこと、学んだことが違う願いの叶え方に繋がっているかもしれない、と楽観的に考えた。
凄くしんどいけど、お陰で勉強した。
そこで見た景色や文章や新しいテーマが、実は違う願いを叶えかるために必要な事という都合のいい解釈。
多分、いつか
その願いは叶うんだ、と思ったら
しんどいことに遭えた事も、感謝に変わるかも…と変換して期待している。
これからも人の心に何かが灯る記事の為と猫のために大切に使わせて頂きます(*´▽`*)