いつもの普通の相性
ママが帰ってきて、リビングにいる。
普通の日常に戻ってしまった。
レスパイトでママが不在の間は1日の時間ってこんなに穏やかでゆったりしたものなのか、と感じた。
何が違うのか?
リビングのテーブルに直角の角度で座っているママが、絶えず私の顔を見てくる。
テレビが面白くても退屈しても。
何かを察して、何かをして貰おうとする。
それがキツイ。
これも昔からで、認知症と関係なく天然のキャラクター、発達障害的な個性の1つ。
例えば、私が映画を観る。
それが退屈だと、絶えずどうでもいいことを話し掛けてきた。
私は映画観てるから
というと
あぁ、そう?
と言う会話を2時間の映画の間に
30回は繰り返す。
そして、疲れてしまう。
今日は暖かい気温で晴れた。
私がこうするべきを今よりもっと持っていた頃は、いつも部屋にいるママを連れ出していた。
季節ごとの花を見に行ったり、日帰り出来る観光に行ったり、月に2回は行ってきた。
そのうち、出掛けた時の費用も出さなくなり、次は此処へ行きたいというようになり、要望は叶えて当然になっていった。
親孝行のレールを敷くようにママがよく言っていたことに、
ママの友達の◯◯さんは、お母さんに3食作って持っていくんだって。
栄養考えて。
とか
◯◯くんはお母さんをヨーロッパへ連れて行ったんだって。
とか
それはそれは、余所の娘や息子は
親孝行していると言わんばかりに続けた。
当の本人は私の祖母に
これと言ったことはしていない。
祖母が入院したときも、看病する兄弟にお金を送ったりとか、下着や衣類、花を送ったりも一切ない。
何か送ってあげたら?と言っても
いいでしょそんなの、と返ってきた。
だけど、して貰うのは当然なのだ。
ここが私とママの感受性が相容れない点。
私がママの好みのテレビを録画していた理由の1つは、黙って座ってて貰いたいから。いちいち顔を見てきて、反応しなきゃ行けない事にならない予防策だった。
私はHSPの気質があり、ママはジャイアンみたいな所があり
普通にいるだけでも疲れてしまうのだ。
そんな、日常がここにある。