集まるにも、連絡とるにも、待合せるにも、大変だったからこそ思い出がある
こんにちわのっぽです😄
今朝の朝日新聞の記事が面白くて、
気づきや思い出を整理します。
🗞REライフ🗞
テーマを決めて読者からのアンケートでまとめているこのコーナー。
今回は待ち合わせについてでした。
今のように携帯がない時代、
待ち合わせも一苦労だったという思い出話し達。
真ん中に掲載されているエピソード一つ一つ、
アラフィフの僕には、どれもあるある過ぎて、
読んでいて懐かしくなりました。
🗞集まれる素晴らしさ🗞
たとえば成人式。
結局、中3のクラスメイトと式後集まり、
たしかカラオケにいった。
しかし、どうやって集まれたんだろ?
そもそも、来てるか来てないかもわからない。
〇〇は✖️✖️と一緒にいた。
そんな伝言ゲームの連続で繋がれた人が集まれたんだと思う。
本当にあうのも一苦労、会えるという事が偶然性に左右されていた。
そんな中でも集まれた、それだけで素晴らしかった。
🗞連絡取るのもドキドキ🗞
携帯がない。
つまり家にしか電話がない。
友達に電話するには、親の関門を通過する必要があった。
相手が初めて電話をする女の子だと大変だ。
だいたいどこの家も親が始めに出る。
お父さんが出たら大変だ。
繋いでくれるかどうか?
どういう関係だと聞かれたらどうしよう?
そして、長電話しているとチャチャが入る。
「いい加減に電話を切れ」
と親からプレッシャーがかかる。
電話して親がいないと聞けば超ラッキー。
そんな電話ひとつも偶然性に富んでいた。
🗞わからない事実🗞
先程の記事に挿絵が載っている伝言板。
今でも、時々駅で見かける。
携帯がある今でも使うのは、
僕以上の世代の人だけだろうか?
僕が20歳前の頃、色々と思い出がある。
初めての待合せで遅刻をして相手が来ない時に、
何度も伝言板を確認した記憶がある。
今思えば、あの時に相手は来ていたのだろうか?
来たけど自分がいなくてかえったのか?
それともそもそも来なかったのか?
もちろん、今となっては確認する術はない。
待合せひとつとっても偶然性に富んでいた。
🗞偶然が必然に🗞
携帯がある今は便利になった。
偶然性が高かったのが、必然になった。
角度が上がったという事。
確実に連絡が取れる、リアルタイムで。
便利な世の中だ。
でも便利すぎて、素晴らしさやドキドキ、
そしてわからない事実への甘い想像、
こんな気持ち味わえないなんて、
ちょっとかわいそうだなぁ
なんて思うのは、
アラフィフの勝手なエゴですね。