尖りと愛おしさ
真昼間だというのに、徹夜でサッカー観戦していたせいでとても眠い。
春の陽気の身を任せて、このまま芝生で眠りに落ちたいと心から思っている。
仕事中でも眠いから芝生で眠れるような、自分の欲望に忠実な人に憧れていたりする。
尖っている人を羨ましく思ったりもする。自分の世界観を自然体で、なんの打算もなく持っている姿に憧れるのだ。
そんな尖り方をたまに真似したくなる。
会社であえて反対の意見を言ってみたり、若さに感けて「あいつらは遅れてる。時代錯誤だよな」なんて楯突いてみたりしてる。
ある会議では、注目を集めたくて「すみません、1つよろしいでしょうか?」なんて前置きを少々大きな声で入れてみたり。
本来の自分と違うからこそ、外見と内面の乖離に違和感を覚えるが、なんだかそんな尖り切れていない自分が愛おしいと感じる。特に最近。
「本当の自分ってなんだろう」なんてもはやどうでもいい。
考えても腹落ちする答えなんて出ないし、ありふれた言葉から無理矢理言語化した概念はA4用紙よりも軽くて破れやすい。
この違和感が徐々に無くなっていけば、「自分らしくなってきたな」とドヤ顔で言えるんだろうなと思う。
そう思っている時点で、打算が入っていることもすでに織り込み済みである。
尖り切れていないからこそ、そんな少し下心が少しある背伸びをしてる自分が愛おしいと感じる月曜日も、そんなに悪くはないのかもしれない。
ただ、センチメンタルな月曜日よ、早く終わってくれ。
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