結局は幸せのためなのか?
自損事故シリーズを再開したものの、なんかしっくり来ない。
自分の中ではかなりの大事故だったけど、4年と3ヶ月経過してみて、やっと昇華したようです。
そもそもnote開設して書き始めた頃は慣れない社会復帰で、スーパーの品出しバイトから派遣会社に所属してフルタイムで働き始めた頃でした。
現実が見れず、一攫千金を考えたりしてジタバタ。。。トレードを模索したり、仮想通貨を漁ってみたり。
どれも頓挫してうまくいかない。
逃げ回ってた不動産の仕事に目標を定めて求職活動。
たとえ賃貸しかやった事がなくても、宅建士として重要事項説明書に印鑑を押すのが怖くて避けてました。
やっぱり、覚悟を決めるというか、胆が据わると追い風が吹く。
私みたいなオバチャンで変な奴をうまく受け流して笑って、いじってくれる職場に出会う事が出来た。
この後も、ふらり。とやらかすんですが。。。(;´д`)
また、受け入れてくれた。
感謝しかない。
自損事故を起こさなかったら、出会えなかったし、時系列からしても、結局は私はトレード生活を続けても破綻してたような。
ただ、良かったのは、自損事故で他人に迷惑を掛けなかったし、自損事故を起こした事も気づかれなかった。
戸建て二件分の資金を溶かすって、なかなかしんどい事だけど(;´д`)
要らない人間関係を切る事が出来たし。
惰性でやってた趣味と言えるか分からない事から距離をおく事が出来た。
全ては幸せになるために起きた事なのか?
何かを拝む事がスピリチュアルじゃなくて、リアルに生きる事、そのものがスピリチュアルなんだと思う。
死んであの世に行ったら父に会って、『実家の土地、うまく運用したぜ!』って親指立ててニヤリと笑ってやりたい。
『女はあの土地を持ち続けるのは無理だ。』ってよく言ってた。
父はなんて顔をするか、今から楽しみだ。